〜綱元〜
大嫌いだった。
何もかもが。自分の生まれた家、何の因果か長男に生まれてしまったがために継がなければならなくなったのは不幸としか言いようがなかった。それも普通に家を継いで適当に君主に仕えて、ならまだ良かっただろう。私はきっと適当に生きて、適当に天寿を全うしただろう。だが何故か次期当主の守役をやらされる羽目になり、その次期当主は自分で口にできるほど、確かに竜と呼ばれる気性の持ち主だった。彼個人は別に好きでも嫌いでもなかったから適当にやってきた。のらりくらりと逃げるのも、当たり前のような日常。そんなときに彼女がやってきた。
何の変哲もない女。容姿も別に優れたところがある訳じゃない。だが、どこか懐かしい雰囲気を纏った女だと思った。捨てられた犬のように差し伸べた手に必死にしがみつくのは、どこか今の当主、伊達政宗公の幼少時を思い出させた。疱瘡にかかり右目を失った直後の彼によく似ていた。義弟たちが右往左往して彼を立ち直らせようとしている間、私は少し離れたところでそれを傍観していた。別に冷たいわけじゃない。齢9つの幼子が自分の右目を失ったんだ。その衝撃から自分で立ち直るまで放っておけばいいと思っただけだ。そしてその女も差し出された殿の手を必死でつかんでいた。
聞けばこの世界の住人ではないという。まさか、と最初は思っていたが、彼女の知識は私が信じていたものとはいろいろ違った。中でも一番驚いたのは移動手段は馬ではなく、車や電車と呼ばれる鉄の箱であること、情報を得るのは諜報ではなく何やら変な箱(といっていた)に知りたいことを尋ねれば瞬時に答えが返ってくるというものだった。興味本位に見てみたいな、と呟けば彼女は私に小さく笑って言った。
「ええ、でも私、何も持っていないから───────────」
「何も?」
「あ、はい。全部私が持っていたものじゃないから」
まるで自嘲するような笑みに私はじっと彼女を見つめた。先ほどから押さえている腕から見えている痣は彼女が普段折檻を受けている証拠だろう。ちらり、と小十郎を見れば彼もその痣には気付いているが、彼女の気持ちを汲んでか無言を通すことにしたらしい。そのうちに彼女は『竜の巫女』などという大層な肩書を持って伊達家で保護されることになった。
来る日も来る日も殿も小十郎もその女にかかりきりになった。馬鹿馬鹿しい、と私は知らぬふりを決め込んだ。殿のお気に入りであることは見ればわかる。この城にいるどんな女にもない反応が面白いのだろう。殿を見ても目の色を変えるわけでもなく、おべっかを使うわけでもなく、愛情を求めるわけでもない。ただ懸命に生きているだけの彼女が気に入ったのだろう。朝餉で同席することが多くなり、話す機会も増えた。だが私の印象は変わらなかった。ただの女。私にとってはどうでもいい女のままだった。
そして出陣の日が来た。殿の悪戯で女が舞を舞った。殿の舞を見慣れている私たちにとってはたどたどしい舞だった。一生懸命に稽古をしたんだろう、とわかる児戯に毛が生えただけのそれに私は溜息をつかないことに懸命だった。だが、それは舞が終わるまでだった。先ほどまで晴れていた空が一瞬にして雷雨に見舞われたのだった。
ありえない天候の変化に呆然としていたのは私だけではなかった。殿も、小十郎も呆然と彼女を見ていた。そう、原因を作ったのは異世界から来たあの女─────────── だったからだ。
小十郎の機転から集まっていた兵士たちの雰囲気が一瞬にして変わる。人間、超常現象には弱い。しかもそれがか細い女がやったこととなればなおさらだ。意気揚々と出陣した我が軍が大勝を収めたのは当然の結果だった。
その日から、殿と小十郎のを見る目は変わった。特に殿の変わり様は顕著だった。それまではただの面白い玩具扱いだったのが、明らかに『女』を見る目に変わった。小十郎もそうだ。ただあれはそう思わないようにと自分にいい聞かせているようだったが、私から見れば殿と大差ない。私は───────────、と言えば彼女を少し見直した。やっていることは一生懸命なのはわかっていたが、殿や小十郎に言われないと動かない。ただの無気力とは違う。どうにも彼女自身何もかも諦めているように見えたからだ。
だが出陣から戻ってきた彼女の雰囲気は何か変わっているように思えた。戻ってきた当日は寝込んでいたものの、翌日には殿や愛姫さまと交流するようになり、それから数日、彼女は思いつめた表情で私と小十郎にこう言ったのだ。
「文字を教えてください」
と。正直私はひどく驚いた。その言葉の中身よりも彼女が「何かをやりたい」そう言ってきたことに、だ。今までは読みたいものがあれば私たちに甘えてくるのが当然だという風だった。文字を知らない人間は皆そうだ。学ぼうとはしない。手習いはある程度の教養のある人間がすることであって、文字が読めないことは恥ずかしいことでもなんでもない。
「小十郎」
「綱元どの───────────俺に押し付けるつもりですか」
「当たり前だろう。手習いならお前の方が慣れているだろう。、小十郎が教えてくれるそうだ」
「本当ですか!?小十郎さん、よろしくお願いします!」
「───────────アァ」
小十郎が呆然としているのをいいことに彼に押し付ける。面倒なことは嫌いだ。途端嬉しそうな顔を見せるには悪いが、渋面のまま表情に困る義弟に思わず吹き出しそうになった。少しずつ彼女が変わってゆく。それを見るのは嫌いじゃない。だから少しだけ付き合ってやろうか、そう思えるようになってきた。彼女がどういう道を選ぶのか、ゆっくりと見守って行こう───────────。