部屋に戻ってきた政宗と小十郎が席に着くのを確認して立ち上がる。すでに自分の机の上には一枚の書類も残っていない。彼らが『竜の巫女』の舞の稽古に行っている間に済ませてしまっていたからだ。

「では失礼いたします」
「おい綱元!Wait!何だ、この書類の山は!?」
「何だ、と申されましても、殿の決裁が必要な書類でございます。小十郎、後は頼む」
「承知」

大量の書類に主君が文句を言うのが聞こえてくるが、綱元は柳に風、と受け流して部屋を出た。二人には言えないことだが、二人が席を外している方が仕事に集中できる。政宗が隙を見て逃走しようとするたびに手は止まるし、それを阻止しようとする小十郎の小言も集中力を途切れさせる。二人がいないとその分仕事に集中できるのだ。それは自分だけではなく、同じ部屋で執務をしている仲間たちもそうらしく、政宗と小十郎の二人が戻ってくる頃にはほとんどその日の仕事が終わっているのが日課のようになっていた。

廊下を歩いて、とある部屋へ向かう。一般の兵士たちでは立ち入りのできない奥にある一室。先日異世界から落ちてきたという女性がいる部屋だ。異世界から来た、という彼女の言動は自分から見ても明らかに違って見えた。当たり前のように主君を敬うことを知らないうえ、主君と自分たち上流階級の属する武家から下働きをする女中まで接する態度が変わらないのにはまず驚いた。最初は異世界から来たと言って主君の気を引くつもりか、と警戒もしていたが、日が経つにつれ、彼女の言葉を信じるようになっていた。そうでもしないと彼女の言動に説明のつかないことが多すぎるせいでもあるが。

、いるかい?」
「はい、綱元さん?」
「ああ。入っていいかな?」
「あ、はい、どうぞ」

ふらりとやってきたというのに警戒感もなく障子を開く。部屋には本人と身の回りの世話をする八重の二人きりだった。

「八重」

部屋に男性を入れるときの常識として全方位の障子を開いてお茶を持ってこようとする彼女を呼び止めて懐に入れていた包みを差し出した。

「わ、もしかして」
「ああ。城下で有名な団子屋から取り寄せたんだ。食べるかい?」
「食べます!うぅ、綱元さん、毎日ありがとうございます」
「いや、私も甘いものには目がないからね。同士が出来て嬉しいよ。あぁ、八重、余った分は奥で食べるといい」
「ありがとうございます」

お菓子の包みに目を輝かせるに笑いながら告げて腰を下ろす。最初にを見かけたのは偶然だった。舞などやったことがないという彼女にとって政宗の指導はかなりの負担になっていたのだろう。ふらふらと廊下を歩く彼女を偶然見かけて声をかけたのだ。それまではあまり彼女とは話をしたことはなかったから意外そうな顔をするのかと思っていたら、彼女は自分を見てふっと笑ったのだ。何故かはわからない。その時、ちょうど懐にあった饅頭を彼女に差し出したのだ。

「食べるかい?疲れているときにはいいよ」
「ありがとうございます!いただいてもいいですか?」

と。その日はそのまま別れたが、翌日も、その翌日も稽古が終わった後の彼女がふらふらとしているのを見つけては菓子を与えるようになっていた。そしてそのたびに嬉しそうな顔を見せる彼女に次第に警戒を解いていった。そのうち、綱元自身の部屋へ遊びに来るようになり、彼女の部屋へも招待されるようになり、現在に至る。

も毎日大変だね。殿と小十郎の稽古は厳しいだろう?」
「本当に容赦ないデス・・・・・・・・。あの、小十郎さんからのプレッシャーってどうにかならないですか?」
「プレッシャー?」
「あ、ええと・・・・・・すんごい怖い顔で睨まれるんですけど・・・・・・・」

聞き慣れない言葉に聞き返すと、はおそらく小十郎の真似だろう。眉間にしわを寄せてみせる。だが女性でもある彼女が凄んだところで怖くもないが、言いたいことはわかる。思わず吹き出してしまった綱元には小さく頬を膨らませた。

「笑いごとじゃないですよ」
「悪いね・・・・・・でも小十郎は別に悪気がある訳じゃないしね」
「だとしても!あの怖い顔でずっと睨まれるのって」
「ああ、心配いらないよ。小十郎は顔が怖いだけで別に怒ってはいないよ」
「そう、なんですか・・・・・・?」

疑問形なのは、きっと政宗と小十郎の教育のせいだろう。一体どんな風に教えているのやら、と思えば、はじっとこちらを見つめていて、綱元は首をかしげる。

?」
「それから・・・・・・政宗さんのセクハラもどうにかならないですか?」
「殿がどうかしたのかい?」
「教えてくれるのはありがたいんですけど、その・・・・べたべたと触られるんです」
「ああ、成程」

また吹き出しそうになるのを必死で押しとどめる。政宗にとっては今一番のお気に入りの遊び道具なのだ、というのは楽しそうな主君の表情を見ていればわかる。そして彼にとっては女性に触れて怒られるというのは珍しい体験に違いない。大抵の女性は政宗に触れられることが名誉であり、また触れて欲しいと媚を売ってくるのは当たり前、そのまま肢体そのものを差し出してくるのさえ日常茶飯事なのだ。無論、政宗自身も女性遊びは派手な方だから、そんな女性たちのうち、後腐れのない者を選んで適当に侍らせたりもしている。但し、一夜を過ごすだけでそれ以上のめり込むことはないから、自分たちも安穏としていられるのだが。女性にとってはたった一夜でさえ政宗と過ごすことは名誉であるのだから政宗には絶えず女性が寄ってくる。だから政宗は触れたら目尻を吊り上げるの態度が新鮮で仕方ないのだろう。余計にを怒らせて楽しんでいるという事実を知っているのは彼の側近数人のみ。見れば八重も奇妙な表情のままちらりと視線を投げてくるのに苦笑が漏れる。

「まぁ、それは仕方がないね。が殿の指導がなくても自分で舞えるぐらいにならないと」
「うぅ・・・・・・やっぱりそうですか・・・・・・・」
「だがそうなればそうなったで殿は悲しまれるだろうが」

小さく口中でつぶやいた言葉が聞こえたのだろう。お茶を置いた八重が思わず小さく笑うのに瞳を合わせて肩をすくめる。そして目の前に置かれた団子を頬張るに「美味しいかい?」と聞くと、彼女は満面の笑みでうなずいた。

「やっぱり綱元さんがお勧めするだけあって美味しいです!」
「それは良かった。まだあるから沢山食べて」
「はい!もう綱元さんのお菓子が毎日楽しみで・・・・・・!」
「じゃ明日はあんみつにしようか。出入りの者の実家があんみつを出しているらしいから」
「本当ですか!?」
「ああ」
「わ〜!楽しみ!」

無邪気に笑う彼女につられるように綱元も団子に手を伸ばす。甘いものは好きだが、これほどおいしそうに食べてくれると出した側としても気持ちがいい。だから彼女と過ごす時間は気持ちがいいのかもしれない。それに彼女と話をしていると時間を忘れてしまいそうになる。

は、向こうでは舞はやったことがなかったのだろう?」
「まったくないです」
「君がいたところでは舞そのものはあったのかい?」

興味本位でそう尋ねると、は団子に伸ばした手を止めて少し考え込んだ。遠い視線になる彼女が少し大人びて見える。

「ん〜と、一応ありましたけど」
「へぇ」
「舞って言っても、こう・・・・・・たくさんの種類があって」
「種類と言うと、舞にかい?」
「詳しくはわからないんですけど、はい」

『舞』と聞くと難しく考えがちだが、要は身体を使っての踊りだと考えればそれほど難しいことではない。ただ、自身が政宗にやらされているものはどれに属するものなのかは判断できない。テレビの時代劇で見ていた芸者たちが踊るものとは違うようだし、よくお正月にテレビで見る雅楽とも違うようで。種類だけならクラシックバレエやヒップホップも舞の一つになるのだろうか。

「面白いね」
「はい?」
「いや、のいたところだよ。一度見てみたいな。きっと私の知らないことばかりなんだろうね」
「それなら私だってこちらのこと、知らないことだらけですもん!」
「まぁ一つ一つに慣れていくしかないだろうね。君は一人じゃない。八重だっているし、困った時は殿も、小十郎も私もいる」
「綱元さぁん───────────」

甘えた声を上げるにくす、と笑うと、綱元は外をちらと見て立ち上がる。こんな風に甘えられても自分は彼女にこれ以上はしてやれることはないし、その役目はきっと自分ではない。そう思ったからだが、は残念そうな表情を見せた。

「さて、そろそろ戻らないと殿が逃走してしまうだろうから」
「あ、はい。ごちそうさまでした!」
「いや、これくらいならお安い御用だよ。も大変だろうけど頑張って」

ひらりと手を振って出ていった綱元の背を見送っては小さく苦笑した。「頑張って」と言われても、自分には出来ないことの方が多いのに。だがこうやって毎日励ましてくれる彼がいるからこそ、政宗のセクハラにも小十郎の小言にも耐えられるというものだ。

「あ、ねぇ八重さん」
「はい?」
「綱元さんってお菓子以外に好きなモノって何?」
「───────────そうでございますね」

ふと思いついて口に出すと、八重はしばらく考えてからに告げる。その言葉に頷いてからは八重に二つ願いごとをする。それに頷いた八重は共犯者の笑みを浮かべると、の前を辞して行った。



 数日後───────────。いつも通り舞の稽古を終えたが部屋に戻ると、すでに綱元が待っていた。いつもはが戻ってくる頃合いを見計らって顔を出す彼だが、政務の進み具合によっては顔を出さない日もある。だから八重に政務が終わったら顔を出してくれるようにと伝言してもらったのだ。

のんびりとお茶を飲んでいる綱元がが戻ってきたのを見てふっと表情を緩める。それを視線に入れながらも笑って腰を下ろした。

「綱元さん、待たせてごめんなさい」
「いや、構わないよ。それよりも珍しいね、から私を呼び出してくれるなんて」
「あ・・・・うん・・・・・・」

言葉を濁しながら八重に視線をやると、彼女は風呂敷に包んだものをの前に置いた。そしてそれを持って綱元の前へと置き換える。

?」
「え、ええと、いつもお世話になってるから・・・・・・お礼に。八重さんに買ってきてもらったの。気に入ってもらえるかどうか、わからないけど」

開けて、と身振りで示すに綱元は小さく笑って包みをほどく。そこには女物のかんざしと、刀につける根付の飾りがあって、綱元は目を細めた。

「これはまた───────────。私がもらっていいのかい?」
「あ、勿論!綱元さん、ご家族を大切にしてるって聞いたから・・・・・・・」

それもちょうど今年元服を迎える男の子と少し年下の女の子の二人がいると聞いた。だからその二人のために八重と二人で考えたのだ。

「息子と娘に、かい?」
「そうなんです。綱元さんにって思ったんですけど」
「いや、何よりのものだよ。『竜の巫女』どのにいただいたものだと鬼庭家の家宝にさせてもらうよ」

恐る恐る告げるに、綱元は至極真剣な表情で受け取って頭を下げる。仰々しい仕草に驚いたのはの方だ。そんなつもりはなかったのに、大事になっていることには目を見張る。

「え・・・・・!?そんな大げさな!だってこれは綱元さんへの」

「は、はい───────────」
「今の君は『竜の巫女』とは名ばかりの伊達の客人に過ぎない」
「あ、そう、デスね・・・・・・・」
「だけど、君にはきっと『竜の巫女』たる才がある」
「そんなものは───────────」

たかがお礼の品を渡しただけなのに、何やら大仰なことになってしまっていることに視線を泳がせる。そして意外なことを告げる綱元に慌てて自分はただの普通の女だと告げようとするのを遮られる。

「ないとは思えない。何故なら『竜』たる殿がをそう見ているからね」
「───────────綱元さん」
「それを信じるのは家臣の仕事だと小十郎と姉上が口を酸っぱくして言うものだからね。私も一応信じないわけにはいかないだろう?」

真剣な表情を緩めた綱元が冗談のように言うが、は逆に後悔した。いつも気にしてもらっているお礼に何かプレゼントをと思っただけなのだが、こんなことになるなら、素直にお菓子を買ってくるんだったとうつむく彼女に、綱元の優しい声が響く。

、君の気持ちは嬉しいよ。ありがとう。だけど、軽々しく物を他人に与えるのはやめなさい。君は殿の預かり者だという自覚をもう少し持った方がいい。これも殿はご存じかい?」
「いいえ、政宗さんには何も」
「だろうね。、君は殿の庇護下にある。だから物一つといえど、殿の許可なく動かすことは許されない。わかるね?」
「───────────はい。すみません」
「八重、のしていることが理に外れているのであれば、諌めるのもお前の役目のはずだ。気持ちは嬉しいが、こういう時、お前が諌めなさい」
「はい。申し訳ございません」

冷や汗交じりにうつむいてしまったと、平伏する八重とを見やって綱元は小さく笑う。

「謝ることはない。君は優しい子だね」
「そんなことはないです!だって私」

「はい───────────?」
「私がそう言うんだから、否定するのもやめなさい。自分のことをきちんと受け入れるのも大切だよ」
「あ、はい───────────」
「それよりも、君が何かを贈るのは私が初めて?」
「こっちに来てからは初めてです」
「そうか。ならこれは殿にも小十郎にも内緒にしておいてくれ。八重と三人だけの秘密だ。いいね?」

最後は悪戯っぽく笑う綱元に思わず笑みがこぼれる。その笑顔に頷いた綱元は「殿と小十郎が知ればきっと私に嫉妬するだろうから」と付け足したのに、は奇妙な顔で固まった。違う、と言い切れないだけに怖い。そんなにまた笑って綱元はからの贈り物を大切そうに懐にしまうと、そろそろ戻らないとと立ち上がる。その途端だった。

「Hey、綱元。テメェ何でここでサボってやがる」

開け放した障子の向こうから政宗が姿を見せたのは。にや、と笑って遠慮なく部屋へと入ってくる彼に綱元はにこりと笑って言った。

「休憩ですよ。今の殿と同じです。八重、殿にお茶を。、後は頼む」
「え・・・・・?え───────────!?」

それだけを告げて執務室へと歩き出す綱元に、は慌てて上座を政宗に譲る。鼻を鳴らしただけでどっかと腰を下ろした政宗がどこか落ち着かないを見上げて口を開く。

、綱元と何を話してた?」
「別に、ただの世間話。それよりも政宗さんは?」
「Ah?Breaktime。綱元の言った通りだ」
「それって小十郎さんから逃げてきたってことだよね・・・・・・」
「るせぇ。少し匿え」

そのまま居座るつもりらしく八重に命じて障子を閉めさせるのに、はあきれたように息を吐いた。

「小十郎さんが怒っても知らないからね」
「そん時はお前に引き留められたって言っとく」
「引き留めてないでしょ!小十郎さんに私まで怒られるじゃない」

実際、小十郎の小言はがみがみとやられるとかなりのダメージを食らう。政宗は慣れているようで涼しい顔をしているのだが、まだ耐性のないにとっては正直怖いものでしかない。ぷぅっと頬を膨らませたに政宗はその頬をつまみ上げる。

「どの口がそんなことを言うんだ?Ah?」
「い、いひゃい!!」
「謝るなら許してやるぜ。ごめんなさいは?」
「ご、ごめんなひゃい・・・・・・・!」

突然襲われる頬の痛みにそう答えると、政宗は「Okey」と言ってようやく手を離す。「うぅ」と涙目になってつままれた頬をさするに政宗はにやにやと笑うだけだ。

「政宗さんの意地悪・・・・・・」
「Ah?何か言ったか?」
「言ってません!!」
「それより綱元と何を話してた?」

じろ、と隻眼で見られるのに、思わずどきりとするが、別に悪いことをしていたわけではない。ちらと見れば八重も困ったように笑っているだけで、は八重と顔を見合わせて小さく笑う。

「別に大したことじゃないよ」
「Ah?」
「ね、八重さん」

政宗に話さなくてよいのか、と視線だけで告げる八重に小さく頷くと、二人きりで通じている話に政宗は不機嫌そうに眉を寄せる。

「何だ、俺には話せねぇことか?」
「んー・・・・・・えーと・・・・政宗さんには内緒、かな」
「Ah?」

八重と共犯者の笑みを交わしてくす、と笑うと政宗が言え、とばかりに手を伸ばそうとしてくるが、廊下で小十郎が政宗を探している声がする。その声にぴたりと動きを止めた政宗には思わず吹き出した。口では強がっているけれど、結局政宗は小十郎には弱いのだ。は笑いながら障子を開いて小十郎に声をかける。

「小十郎さーん、政宗さんここにいるよ」
、テメェっ!?」

慌てて腰を上げる政宗が逃げ出すよりも早く小十郎がたどり着いてきて政宗の首根っこをつかんで執務室へと強制送還されるのを見送りながら、は指を唇に当てた。

「八重さんも内緒にしててね」
「はい」

いつまで二人に内緒にできるかはわからないが、綱元との秘め事が出来たことが嬉しくて仕方ない。楽しそうなを見やりながら、八重は安心したように微笑んだのだった。



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