「ごめん!!!」
手を合わせてくる美緒に、私は慌てて部屋を振り返る。わざわざ社長室に来て「話があるの」というから何か重要な話かと思っていたら、次の日曜日遊びに行こうと約束していたのが行けなくなってしまったという。それだけなら別に今言わなくてもいいと思うのだけど、美緒にとってはとても久しぶりに家族から離れて遊びに行くという一大イベントだったらしく、私は背中に感じる二人の視線に冷や汗を流しながら美緒の手を引いた。
「み、美緒、とりあえずここ、出よう」
「ええ?どうして?」
「いいから!」
きょとんとしている美緒の手をとって社長室から出る。廊下を突っ切り、エレベーターホールで二人きりになると私は大きく息をついた。
「?どうしたの?」
「あのね、美緒。一応あそこ社長室で」
「うん、わかってるよ?」
「だからプライベートな話をする場所じゃないでしょ?」
「えぇ?だっての予定を潰しちゃったから、代わりに社長か専務に頼もうと思ってたのに」
美緒の口ぶりに私は思わず絶句する。
「み、美緒・・・・・・何をあの二人に頼むつもりだったの・・・・・・・?」
「だから社長か専務ならいいところいっぱい知ってそうだったから、退屈しなくてよさそうじゃない?」
その代わりに失うものが多すぎる、と声を上げようとして私は頭をがしがしとかきむしりそうになった。美緒の中で一体彼らはどれだけの高評価を得ているのか本当に謎すぎる。
「あのね、美緒」
「うん」
「大丈夫だから」
「何が?」
「美緒が行けなくなって悪いって思ってくれてる気持ちはありがたいよ。でもね、私は私で買い物とか行くから。わざわざ社長や専務の手を煩わせなくても───────────」
「藤田」
「───────────っ!?」
「あ、専務」
必死で言い募る私の背後で今一番聞きたくない低音がした。本当に飛び上がりそうになる私をよそに、美緒は無邪気に笑って彼に手を振る。
「さっきの話だが」
「はい。ずっと前から約束してたんですけど、行けなくなってしまって。専務は日曜日、空いてますか?」
「ああ」
「美緒!!」
私は絶望的な気分で彼女の腕をぐい、とつかむ。それ以上言うな、とばかりに首を振る私に美緒はようやく気付いたらしく、わざとらしく腕時計を見て、「あ、そろそろ行かなきゃ。、本当にごめんね」と芝居がかった声で言って一人エレベーターを降りていった。
「───────────」
「───────────」
怖いくらいの無言に私はごくりと唾を飲み込んで、彼女を見習うことにした。わざとらしく腕時計を見て、足早に社長室に戻ろうとすると小十郎は私の行く先を塞ぐように立ちふさがった。
「───────────で?」
「何?」
「藤田に頼まれてしまったんだが。お前、日曜日付き合え」
「───────────どうして私なの?小十郎なら約束の一つや二つあるはずでしょ?先にそちらを優先したら?」
苦しい言い訳だ、と思いながらする、と小十郎の横をすり抜ける。阻まれるかと思ったけれど、彼もちら、と時計を見てスケジュールが押しているのがわかったらしい。後ろからついてくる足音に私は無言を貫き通す。
「お前のためならいつでも空けるぜ。それに俺はせっかくの休日、お前と共に過ごしたいからな」
「───────────空けてもらわなくて結構よ。ちょっと考えさせて」
「何でだ?藤田との予定はなくなったんだろ?」
「・・・・・・・日曜日、美緒との約束がなかったら買い物に行こうって言ってくれてた友人がいるの。美緒がダメならそっちを優先するのが当然でしょ?」
「男か?」
「あなたに説明する義理はないわね。それよりも、時間いいの?もう出発する時間でしょ?放っておくと社長、逃げ出すわよ」
「───────────チッ、明日予定聞かせろ」
「わかったわよ」
今日、社長と小十郎は定期重役会議に出席するために出かける予定になっている。今日は社長の意向でレストランで食事をしながらという会議なんだかよくわからない予定だけど、社長は縛られるのが嫌い、と言わんばかりに小十郎の目を盗んで単独行動をとりたがる。それを指摘してやると、彼は足早に社長室に戻って、予想通り逃走しようとしていた社長を捕まえたらしい。ぎゃあぎゃあと文句を言う社長の声とたしなめる小十郎の声が社長室の外まで聞こえてくる。でもこれは社長が小十郎に対して甘えてるだけなのがわかっているから、私は基本的に関わらないようにしている。関わったところで自分が痛い目を見るだけだ、というのはやっとわかってきた。
それにしても───────────すらすらと嘘が出てくる自分に思わず苦笑する。予定なんて嘘。小十郎から逃げたいだけの一心だったけど、今日の内に手を打たないと本当に彼とデートする羽目になる。それは正直勘弁してもらいたい。ちょうどその時だった。ポケットに入れていた携帯が震えてメールの着信を知らせてくる。相手は慶次だった。珍しい、と思いながら見れば、『やっほー!元気かい?今日はちゃんたちの会社のすぐ近くでバイトしてるよ。もし良かったら寄ってね』という写真付のそれ。見れば私も良く知っている店だった。天の助け、とはこういうことをいうのかもしれない。誰もいないことを確認して私は慌てて返信を入れる。『元気よ。それよりも今日は定時で上がれそうだから食事でもどう?』と。慶次からのOKの返事を待って、私は誰もいなくなった社長室で悠々と仕事を再開した。
慶次と待ち合わせた店は近くのカレー専門店だった。日本人のオーナーとインド人のシェフがやっているお店で、オーナーは前の会社のお客さんだ。ホームページを作るのに何度もこの店に来ていた。でも私が伊達に移ってきてからは美緒と二人でよく食べに来ているのだ。
「へぇ、こんなとこにこんな店があるんだ」
「ええ。カレーは本格的だし、ナンもおいしいのよ」
「で、おすすめは?」
「なんでもおいしいけど、ドライカレーは?」
「ちゃんに任せるよ。俺よりおいしいもの知ってるだろ?」
結局グリーンカレーとドライカレーの二種類とナンを頼んでしまうと、近況を報告し合う。とは言っても慶次は相変わらずのバイト三昧だし、私は私で変わったことなどない。料理が運ばれてくると二人で舌鼓を打ち、それも平らげてしまうとプツリと会話が途切れて無言が訪れた。慶次は残っているナンをつまみながらにや、と笑う。
「で、ちゃんらしいっちゃらしいけど、どうしたの?そんな考え込んで」
「慶次・・・・・・・」
「ちゃんが俺に声をかけるってことは何か困ったことでもある?相談なら乗るよ」
あけすけな笑顔にふっと心がほぐれてゆく。慶次の笑顔は人を幸せにする力があると思う。もちろん言葉だけじゃなくて慶次は約束したことは守ってくれるから。
「本当に?」
「ああ。特にちゃんのお誘いなら大歓迎」
「じゃ、じゃあ、お願いがあるの!」
「何?俺にできること?」
「ええ。お願い!明後日の日曜日、私を助けると思って買い物付き合って!」
「は───────────?」
きょとんとする慶次に事情を話すと、彼は鼻の脇をぽりぽりとかきながら私を見る。その顔は意外な言葉を聞いた、とばかりだけど、私はその時、本当に必死だった。
「ええとさ、それって俺がちゃんの彼氏替わりになるってこと?」
「彼氏じゃなくていいわ。友人でお願い!」
「って、さらりとひどいこと言うよなぁ。しょうがないなぁ。ちゃんがそんなになるってよっぽどだし、いいぜ」
「本当!?」
「ああ。で、その───────────断りたい男っていつかの?」
「あ、ええ」
「へぇ」
「慶次?」
「いや、粘るなぁって思ってさ」
「え?」
「ちゃんも、その男も。そんなに言うなら付き合ってから振ればいいのにさ」
「簡単に言わないでよ」
「簡単だろ?男はヨリを戻したい。女は嫌がってる。でも男は諦めない。だったらもう一度付き合って、やっぱりアンタとやっていけないって振っちゃえばいいのに」
「それができれば苦労はないわよ。問題は男が誰が見ても立派な肩書と稼ぎと見た目を持ってるってこと。嫌がる私の方が悪いって言われるのがオチだもの」
「へぇ、その男、そんなにいい男?」
「客観的に見ればね」
「ふぅん───────────。ちゃんがそんな風に言うなんて意外だな。一度見てみたくなったな」
呟くように言う彼に私は慌てて手を振った。
「や、やめてよ。慶次にまであの男のどこが嫌なの?って言われたくないわ」
「言わないと思うけど。ま、日曜日は了解。デートと洒落込もうぜ」
ぱちりとウインクを寄越す慶次に思わず吹き出した私に、彼は「なんだよー」と不満そうに口をとがらせる。でもそんな子供っぽいところが慶次らしいし、私にとってはかわいい弟のようなものだということは彼には内緒にしておくとしよう。
翌日。社長室に入ると、いつもはいないはずの小十郎が待っていて、私は大きなため息をついた。見咎めた社長に「Ah?」と言われたけれど、正直気が重い。
「Hey、、昨日の小十郎とのデート、返事を聞かせろよ」
「───────────社長、何故社長が気になさるんですか?」
「小十郎は俺の兄のようなモンだろ?兄の彼女になるかもしれねぇオンナの心配しちゃいけねぇのか?」
相変わらずいらないところではとことん弁が立つ。理由はどうあれ、私たちのことを楽しんでいるとしか思えない口調に私は小十郎に視線を投げて部屋を出た。無言の抵抗に社長が何か言っていたのは聞こえてきたけど、私を追って部屋を出た小十郎が扉を閉めるのを見て私はあらかじめ用意した答えを口にする。
「日曜日、昨日言っていた友人と過ごすことになったから」
「何だと?」
「言ったじゃない。美緒との約束の後に誘ってきてくれた友人がいるって。彼と過ごすことにしたから」
「彼、だと?」
しまった、と私は唇を噛んだ。眉を上げる小十郎に私は慌てて言葉を繋ぐ。
「とにかく!友人との約束があるから!」
「おい待てよ。男って、前に公園で会っていた男か?」
「───────────そうよ。大切な友人なの。もういいでしょ?仕事に戻るわ」
「」
「専務、プライベートです。日曜日は友人と買い物に行きますから。それとも───────────この会社は社員のプライベートが許されないとでもいうんですか?」
「おい、あの男と付き合ってるのか?」
「ですからプライベートです。とにかくお返事はしましたから」
にこ、と表情だけで笑みを見せて社長室へと戻る。どう受け取ろうと勝手だけど、とにかく小十郎と一日過ごすことにならなくて安心した。だけど滅多に見せない小十郎の焦りの表情に私は内心少し驚いていた。半分冗談で私にちょっかいをだしてきているのかと思えば、あんな表情もするのか、と思う。でも心は痛まなかった。そして私はその日の仕事を開始したのだった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
終業の鐘が鳴り、三々五々に帰ってゆく社員に混じっても「お疲れ様でした」と言って帰って行った。社長室に残された形になった政宗はパソコンを閉じながら小十郎に視線をやる。
「小十郎」
「は───────────」
「お前、日曜日どうするつもりだ?」
「は?」
「だよ、。他の男とデートすんのを黙って見逃すのか?」
「───────────政宗さま」
「Ah?右目ともあろう者が何言ってやがる。だったら後をつけようぜ」
にや、と笑う政宗に小十郎は一瞬絶句した。無論考えないでもなかったが、の言うとおり、ここから先は彼女のプライベートに属する問題だ。それに、が本気で怒らせるつもりはなかった。彼女は本気で怒る時、静々と怒るのだ。無言のままただ斬り捨てる、冷たい無機質なものが呼吸をしているような感覚。付き合っているとき、彼女を怒らせたとき仲直りするまでにかなりの時間がかかったのだ。政宗はそう言うが、今回のそれはまさに彼女の逆鱗に触れてしまうのではないか、と口ごもる。
「どうした小十郎。お前、その男にを取られてもいいのか?」
「良い訳がございますまい」
「Hum、だったら決定だ。明日の家からつけろ。いいな?」
「は───────────」
小十郎自身が気になってしまっているのだからにやにやと笑う政宗を止める手段はなかった。小さく息を吐いて怒るだろうな、と思いながら軽く前髪を上げた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
当日。私は普段着ないワンピースと少し高いヒール、ハンドバックは会社に持っていく大きなものではなく、化粧ポーチと財布が入るだけの小さなそれに持ち替えた。そういえば、男性とどこかに出かける、なんてすごく久しぶりだ。前の彼氏と別れてからだからもう数年経ってしまっているから、美緒と遊びに行くときぐらいしか持ち出さないハンドバックに少し気分が高揚する。約束した駅前の百貨店の前に着いたのが時間の5分前。だけど慶次は先に来てくれていて、私が歩いていくのを見つけて手を振ってくれる。
「や!お、珍しいねぇちゃんのワンピース。かわい〜!」
「それはありがと。それにしても慶次は変わらないのね」
「そうかな?ちょっとデート用の服にしてみたんだど。それより、どこ行く?」
「どうしようかしら?」
「もし何も決まってないならさ、映画付き合ってよ」
「映画?」
「そ、これ」
慶次が指差したのは、ハイウッド大作の恋愛ものだった。そういえば慶次、こういうものが好きだったわ・・・・・・。
「一人で見に行くとさぁ、結構視線が痛くってさ。カップルなら目立たないじゃん」
「そう、かしら?」
そういったのは他でもない。慶次の色彩感覚っていうのが少し他人と違うから、彼の服は非常に目立つ。人ごみの中、すぐに彼を見つけられたのはそれもある。でもにこにこと笑う慶次につられるように私も笑顔になる。
「まぁいいわよ。慶次のおごり?」
「ってマジ?ちゃんの稼ぎ、俺の年収の何倍だよ・・・・・・」
「冗談よ。今日付き合ってもらってるから出すわ」
「わわ、いいよ、出すって。映画のお金を女の子に出させるほど、俺はケチじゃないつもりだよ。それに俺の好みの映画だからね」
そして私たちはチケットを買って映画を楽しんだ。さすがにハリウッドの大作映画だけあってかなり凝った映像だったけど、ストーリーは恋愛もの、というには悲恋の要素が大きくて、私は途中から醒めた目で見てしまった。元々甘い映画はあまり好きじゃないからなおさらだけど、慶次は感動していたらしいから、まぁいいとする。映画館を出てデパートの中のレストランで食事をして、ぶらぶらとウィンドウショッピングをしながらそぞろ歩く。他愛のないことばかり話しているけど、慶次は私を退屈させないために、といろいろ気遣ってくれているのがわかったから嬉しかった。慶次との会話はいつだって恋愛話。決まって人の恋愛話を聞きたがるけど、私は逆に慶次の話をいろいろと聞いた。でも慶次は意外と好きな女の子には奥手で、彼女が好きなココアをプレゼントしようとしたのに、ライバルに先にプレゼントされて振られてしまったとか、あまりにもかわいいエピソードに私がからかう番になった。そして歩きつかれたところでお洒落なテラスカフェを見つけた私は慶次の袖を引いた。
「少しお茶でもしない?」
「ああ。いいぜ。喉乾いたなぁ」
「じゃコーヒーでも飲みましょうか。それともココアの方がいい?」
「って、ちゃぁん・・・・・なんかさっきから俺、苛められてる気がするんだけど」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃないよ。なんだかなぁ」
口ではそう言いながらも笑いながら一緒にカフェに入り、注文を済ませてテラスに座る。ちょうど暑くもなく寒くもない気温だから外はかなり気持ちがいい。吹き抜けていく風も緩やかで私たちは注文したものが到着するまでまた他愛ない話に花をかせていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
二人の背後につかず離れず歩く政宗はしぶる小十郎を無理やりついてこい、というように顎で指示する。渋面のままの小十郎が政宗に追いつくと、どうやらカフェで休憩をすることに決めたらしい二人の表情が良く見える。そもそも政宗の命令での家からずっと後をついてきて、映画館に入ったところで政宗は軽く肩をすくめて時間を潰してくる、と言ってどこかに行ってしまった。政宗を追うべきかを見失わないようにするか迷った挙句、近くのカフェで約二時間、コーヒーをすするはめになった。厄日だ、と思わずにはいられない。自分の誘いを断った彼女がとても楽しそうに他の男と一緒にいて、自分には滅多に見せない笑顔を向けているのにじり、と黒い感情が湧き上がってくるのに口を閉じた。
「おい小十郎、ってああいう笑顔見せんだな」
彼らからは死角になったテーブルに席を取り、その表情を伺っていた政宗がぽつりとつぶやいた。どうやら男の方が何か失言をしてしまったらしく、いたずらっぽく笑うが何か言っていた。その表情は今まで会社で見たことのないそれに、小十郎は我慢できずに立ちあがった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
「あれ?あの男・・・・・・」
「え───────────?」
私の背に向かって呟いた慶次に思わず振り向いた。そこには休日らしくTシャツにジーパン姿の小十郎がいて、私は目を見開いた。
「小十郎?どうしたの?」
「アァ?どうしたじゃねぇだろ」
「というよりも何でここにいるの?」
「、来い」
「え・・・・・何なの?」
怒っている風の彼に私は首をかしげる。正直、何故彼がここにいて怒っているのかがわからない。ちょうど店員が注文したコーヒーを運んできたのだけども、見るからにやくざ風な小十郎と慶次に挟まれている私とを見比べて小さな悲鳴を上げて固まってしまった。どうやら修羅場だと思われたらしいけど、私にとっては青天の霹靂とでもいいたくなる光景だった。
「あ、すみません、ここに置いてもらえますか?」
「は、はい・・・・・!」
ガチャン、と食器が音を立てて隣のテーブルに置いた店員が走って厨房へと戻っていく。通報されなきゃいいけど、なんて考えながら私は小十郎にあきれたような視線を向ける。
「小十郎、邪魔しないでくれる?今私は友人との時間を楽しんでいるんだけど」
手を伸ばしてくる小十郎のそれをパチンと払って置いていかれたコーヒーに手を伸ばす。その途端だった。ぐい、と腕をつかまれてバランスを崩して椅子から転げ落ちそうになるのを支えられる。相変わらず信じられない力だけど、いきなりつかまれた腕が痛い。私は小十郎の手を振り払おうと睨みつける。
「離して」
「アァ?いいから来い」
「やめてよ。私はあなたの女じゃないわ」
「おいおい、野暮はやめなよ。見たらわかるだろ?今、俺と彼女はデートしてるんだけど?」
今まで黙っていた慶次が助け舟を出してくれた。私の腕をつかんだままの小十郎の腕をつかみ、じろ、と睨みつける。その間に逃げ出そうとするけども、小十郎の腕はびくともしない。焦る私に慶次は椅子を蹴立てて立ち上がる。
「嫌がってんじゃないか。やめなよ。じゃないといい加減俺も手加減しないよ?」
一瞬───────────、慶次の真剣な瞳と小十郎のそれがぶつかって、私は何故かここだけ吹雪でも吹いているんじゃないか、と思うほどの寒さが背を貫いた。ふる、と身体を震わせて慶次を見上げると、私の手をつかんだままの小十郎に引っ張られる。
「うるせぇ。こいつには俺しかいないんだよ」
そのまま小十郎の胸に抱きとめられる格好で足が止まる。そしていつの間にか腰に回った腕ががしりと私をつかみ、抱き寄せられる。そのまま頭に顎を乗せられて私は身じろぎをして逃げ出そうとするけども、ぴくりともしない。何か言い返してやろうと思ったけども、慶次はそんな小十郎と私とを見比べて軽く肩をすくめた。
「ちゃん、今日はここまでにしようか」
「慶・・・・・」
「あのさ、言っとくけど、俺、今度から当て馬は勘弁してもらうわ。こんなあぶねぇのとやり合うつもりはないからさ。ごめんな。じゃ、また」
軽く手を上げて背を向けた慶次を引き留める間もなく、彼の姿が交差点に消える。そして彼が見えなくなると小十郎は隣の椅子にどっかと腰を下ろして慶次が飲むはずだったコーヒーに口をつける。
「小十郎、もしかして、今日ずっとつけてたの?」
「たまたまだ。さっきそこで見かけただけだ」
「嘘ね。言い出したのは社長?」
「違うっつってんだろうが。それより、、付き合え」
「いやよ。はぁ、もう最低」
慶次も帰ってしまったし、どうしようもない疲労感に私は椅子に座って同じようにコーヒーをすする。いつもはおいしいと感じるコーヒーが、今日は嫌に苦く感じた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
ヒュゥ、と軽く口笛を吹いて政宗は面白い見世物を見るようにくつくつと笑う。本当に楽しくて仕方ない。彼女が小十郎の元彼女で、小十郎が彼女とヨリを戻したがっている、と聞いてからこっち、毎日が刺激的で見ていて飽きねぇな、と運ばれてきたコーヒーを楽しむ。ここからは腹心の横顔と、その向こうにわずかに彼女の表情がうかがえる。小十郎に抱きしめられ、恥ずかしがるよりも先に眉を吊り上げた彼女の勝気さにくっくっという笑いが止まらない。
「のヤツ、ホントに粘りやがるなァ」
自分が見てきた中でも小十郎は女に常にもてていた記憶しかない。沈着冷静、自分から見ても大人の男だと思う。いつも社員の女が付け届けに来ていたのだが、が来てからというものパタリと止んだ。それは小十郎自身が紛れもなく彼女に対して本気だと思い知らされているからだろう。だがその小十郎のアタックを振り続けている女は彼女だけだ。
「にしても、アイツ、無理矢理Kissするくせに結構奥手なとこあるんだよな。訳解んねぇ・・・・・・」
恐らく夕日ではない小十郎の横顔から覗く耳が赤くなっているのは自分しかわからないだろう。付き合っていたから全て知っているだろうに、時折垣間見せる少年のような部分は自分にも見せないだけに見せる姿なのだ。それだけ彼女に対しては必死なのだと思い知らされるようで、政宗自身がをいじり倒したくなるのはそのせいなのは彼女には内緒だ。
「ま、そろそろ帰るか。面白ぇモンも見れたしな」
それに、これ以上邪魔をすると小十郎とに怒られてしまうだろうから。そしてカップを空にすると、政宗は自分とたちの会計を済ませて帰途についたのだった。