〜現在〜


私が伊達に来て1か月が経った。初日はどうなることかと焦ったけど、あれから小十郎は勤務中に私に手を出してくることはなくなった。どうやら社長が約束を守ってくれたらしい。当初は1か月で自分の部署に戻る、という話だったけど、私は未だ社長の側で秘書のような仕事と自分の部署の仕事とをこなしている。とはいえ、WEB開発の仕事はほぼ美緒が統括してくれているから、私は実務上の指示をいくつか出すだけで何とか回っている。当然社長の秘書の方が割合としては高くなってしまう。だから毎朝1時間、WEB開発部に顔を出し、それから社長の元で秘書をこなし、定時まで残り1時間を開発部で過ごすことにしている。美緒は子供がいるから毎日定時退社しているから、それから先の指示は私が出す必要があるからだ。とはいえ、社長でいた時よりも格段に帰社時間が早くなった。前は午後7時に終われば『早い』などと思っていたけど、ここでは7時まで残っていることなどほとんどない。どうやら伊達の社風として定時以降は仕事をするな、というものがあるらしく、ここでは社長すらほぼ定時退社なのだ。無論、それは専務の小十郎にしても。

 そんな昼下がりだった。私は社長に付き合って取引先に顔を出し、遅いランチ休憩を取ろうと会社を出て手作りの弁当を持って近くの公園へとふらりとやってきていた。そうなのだ。帰社が早くなったことによって自炊する時間が取れるようになったから、週の半分はお弁当を作るようになった。今までは接待だのなんだの、で弁当など持ってくる余裕も作る余裕もなかったが、今は違う。ほぼ前日には社長の行動は決まってしまうから、作れる日はお弁当を持ってくるようにしている。午後2時近く。ランチタイムにしては遅い時間だから、公園には近くのOLも弁当を広げるサラリーマンの姿も見当たらなかった。ちらほらと営業をさぼっているスーツを着た男たちがいるだけだったけど、私は噴水に近いベンチに腰を下ろしてコンビニで買ってきたお茶を置いたときだった。

「あっれ?ちゃんじゃん!」

とけたたましい声がしたのは。

「あら、慶次じゃない。久しぶりね」

その声に振り向いた私はそこに懐かしい顔を見つけて思わず微笑んだ。こちらを見て素っ頓狂な声を上げたのは前田慶次。フリーのWEBデザイナーだ。私の会社で手を足りないときはよく手伝ってもらった。腕は確かで何度か引き抜こうとしたけれど、彼は一度も「うん」とは言わなかった。「俺はフリーなのが性にあってるからさ」と笑っていつもはぐらかされたものだ。でも今彼の恰好を見て、私は目を丸くした。いつものTシャツにジーンズには変わりないけど、その上からしているエプロンに目が釘付けになる。

「久しぶりね、じゃねぇよ!聞いたらちゃんの会社、どっかの会社に接収されたんだって?俺心配したんだよ」
「ありがとう。いろいろあってね、今はその会社で働いているわ。それより慶次、その恰好・・・・・」
「ああ、これ?友達の手伝い。どうしても手が足りないっていうもんだからさぁ」
「慶次らしいわね」

にか、と笑う彼につられて笑う。深く物事を考えない彼はいつだって前向きで私たちは彼にたくさん助けられた。彼のいいところは友人を大切にするところ、情が深いところだ。ただ、情が深すぎて時にはうっとうしくなるけれど。私のことも「俺、女の子は下の名前で呼ぶ主義だから」と訳の分からないことを言っていた。ついでに「俺のことは慶次って呼んでくれると嬉しいなぁ」と言って、それから彼のことは名前で呼んでいる。そういえば、こういうところは社長に似ているように思う。

「あれ?今お昼?」
「ええ。ちょっと仕事が押したものだから」
「ってことは、この辺の会社?」
「ええ。あそこで働いてるわ」

軽い調子で聞いてくる慶次に私も合わせて身振りで伊達の本社を指すと、彼はとても疑わしそうな顔になって私の目を覗き込んだ。

「あれってさ・・・・・・伊達の本社だよね・・・・?」
「ええ。そうよ」
「マジ!?ってことは、ちゃんの会社を接収したのって」
「───────────ええ」

彼が信じられないのは無理もない。正直、私だって自分の身に起こったことじゃなければ信じないだろう。株式会社伊達といえばそれだけの規模なのだから。

「すっげぇなぁ。良かったじゃん。ちゃん出世!」
「そんなものじゃないわよ」
「ってことは何か?美緒ちゃんも?」
「ええ」
「うへぇ・・・・すげぇなぁ」
「すごくないわ。慶次もよかったら紹介するわよ」
「いや、俺はいいや。風に吹かれてんのが性にあうからさ」
「相変わらずね」
「まぁね」

軽口をたたく彼に苦笑してお弁当の包みをほどいて食事を始める。慶次は「あ、そうだ」と言ってパタパタとどこかに走っていってしまったから、私はのんびりと昼食を済ませている間に、彼は何かを持って私の元に戻ってきた。

「はい、就職祝い」
「え?」
「いや、こんなんじゃなくてさ、ちゃんとしたものあげたいけど、生憎これしかなくてさ。売り物で悪いんだけど」

すっと差し出されたのはチュロスだった。よく移動ワゴンなどで販売している長いドーナツみたいな甘いお菓子。彼の姿越しに見えるワゴンはどうやら移動販売の車だったようだ。エプロンをしているのはこれの販売をやっているということらしい。そしてそれを二本差し出してくる彼に私は笑って受け取った。

「ありがとう。一つは美緒に、かしら?」
「当たり!よろしく言っといて」
「ええ。慶次はいつまでそこにいるの?」
「今日だけ。明日はプログラムの仕事が入ってるから」
「そう、良かったら今度食事でもどう?」
「ああ。連絡してくれよ。ちゃんのお誘いならいつでも行くよ」
「わかったわ。それより、お客様が並んでいるみたいだけど、いいの?」

相変わらずの彼にそう告げると、彼は手を振って慌てて戻っていった。そして手の中に残ったチュロスに私はくす、と笑みを漏らす。だけど食べ終わった弁当箱を片付けようとしてはた、と手を止めた。これを持った状態では片付けられないということに気付いたからだ。どうしようか、と思っている私の手から、ひょいとそれが取り上げられた。

「小十郎───────────?」

見れば渋面のままの小十郎がそれを取り上げていて、そのミスマッチに思わずくす、と笑いが漏れる。くすくすと笑う私に彼はぶすりとしたまま顎をしゃくってみせる。

「おい早く片付けろ」
「ずいぶんな言いぐさね。でも、あなたにお菓子って似合ってるわ」
「うるせぇ。あの男、何者だ?」
「知り合いよ」
「にしては随分親しげだったな」
「小十郎には関係ないでしょ。あぁ、持ってくれてありがとう」

「何?」
「あの男と、付き合ってんのか?」
「───────────知り合いだって言ったじゃない。余計な詮索は迷惑だわ」

バサリと斬り捨てて片付けた弁当と空になったお茶のペットボトルを小脇に抱え、小十郎の手からチュロスを取り戻すと立ち上がる。そんな私を小十郎は渋面のまま呼び止める。


「何?」
「今度、メシでもいかねぇか?」
「・・・・・・デートならお断りよ」
「仕事なら行くのか?」
「必要があればね。あ・・・そろそろ行かなきゃ。あなたもそろそろ支度をした方がいいんじゃない?今日は重役会議のはずでしょう?」
「ああ」
「じゃ、手伝ってくれてありがとう」

にこりと笑って私は小十郎に背を向けた。大きなため息をついた彼は見ないふり。振り返るときっとまた口説かれるのは目に見えている。そう、小十郎はここ1か月、まったく諦めるということを知らなかった。事あるごとに私を誘おうとしているけど、私はことごとく袖にしていた。というよりも何故私にあれほど固執するのかまったくわからない。ほかの社員にそれとなく聞いてみれば、彼を好きだという社員は二桁以上は確実にいるというのに。そうしてWEB開発部の美緒にチュロスを届けてから社長室に戻り私は仕事を再開させた。


 それから2日後、私は長宗我部さんに呼び出された。社長が発注したものの試用品ができたから見に来てほしい、というのがその趣旨だった。何を注文しているのかはわからないけれど、そう社長に報告すると、彼は軽く肩をすくめて私に同行しろ、と命じる。はい、と頷いて何とかその日のうちに予定を割り込ませると、私は社長と共に社用車に乗り込んだ。

社長と二人きりで社用車に乗るのは、1か月前のあの日以来だった。いつもは他の社員が同行していたり、小十郎がついてきたりしていたから、どこか落ち着かない。でも何もしないとさらに落ち着かないから、無言のままの社長に私は手元にある書類をチェックするのに専念していると、彼はふっと顔を上げた。

「Hey、
「はい?」
「あれから小十郎とはどうなった?」
「どう、とおっしゃいますと?」
「Ah?何だよ、デートぐらい行ってねぇのか」
「失礼ですが、デートをする間柄ではありませんので」

にや、と笑う彼ににべもなく告げて書類に視線を落とす。だけど社長は諦めなかった。胸からペンを出そうとする私の手を取ってぐい、と引き寄せられる。

、話をするときぐらいこっちの目を見ろ」
「それは、申し訳ありません。しかしこの書類のチェックが」
「アンタの仕事ぶりはここ1か月きっちりと見てきた。アンタはすげぇな」
「お褒めいただきありがとうございます。社長、手を離していただけませんか?」
「いやだ、と言ったら?」

今まで意識したことはなかったが、どうやら礼を逸していたらしい。慌てて謝ると彼は真剣な瞳で私の瞳を覗き込む。遊ばれていることはわかるが、いつものことなのではぁ、と溜息をついてつかまれたままの手を取り戻そうと社長の手をつかむ。

「ご冗談はおやめください」

軽く触れれば離してもらえると思っていたが、そうはいかなかった。さらに力をこめられ完全に逃げられなくなる。それに、つかまれている手から痛みを感じるほどの力に眉を寄せる。

、小十郎のヤツ、見合いするぜ」
「それは・・・・おめでとうございます」
「Ah?」
「片倉専務にとっては良いお話ではありませんか」
「アンタ、平気なのか?」
「───────────何故私が動揺しなければいけないのかが分かりません」

嘘だった。見合いをする、と聞いた瞬間、心の中でざわり、と何かが音を立てた。つい先日もデートに行こう、と誘われたばかりだ。私は小十郎のことは完全に吹っ切ったはずなのに、彼は相変わらず私をあきらめていないようで。それが1か月も続けば何となく気になってきてしまうということは私はすでに彼の術中にはまってしまっているのかもしれない。社長の言葉に妙な鼓動の速さを勘づかれないように息を整える。

「そうか、ならいい。、来週の夜、一日あけておけ」
「はい?」
「食事に行こうぜ。うまい店に連れてってやる。美緒も連れてこい。何だったら美緒の家族も一緒にな。美緒の子供も見てみたいしな。まさか俺の誘いは断ったりしねぇだろ?」
「・・・・・・・藤田に聞いてみます」

何とかそれだけを答えて書類に視線を戻す。だけど目は字を追っているだけで内容など頭に入ってこなかった。動揺を隠そうとする私を社長はちら、と見ただけで何も言わずに沈黙していた。



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