走る車の中で私はしばらく何も話せなかった。呆然としたまま、流れてゆく景色を見るとはなしに眺めることしかできなかった。小十郎はいつもと違うルートで車を走らせて隣町のスーパーへと車を止めた。
「食材を調達して戻る。お前はどうする?」
「・・・・・・・小十郎、どういうことなの?説明してよ」
「それは家に戻ってからだ。あまり長居はできねぇ。1週間分の食材と必要な物を調達する」
「それって・・・・・・1週間は買い物が出来なくなるってこと───────────?」
「そうだ」
あっさりと頷かれて、一瞬言葉を失った。何故こんなことになっているのか、私たちがこそこそしなければならないのか、混乱する頭で考えようとしても何も思いつかない。迷っている私をちらと見て、小十郎は車を降りた。
「すぐ戻る。ここで待ってろ」
「───────────待って!行くわ」
1週間買い物ができないというのは私にとっても大きな問題だった。ネットで購入するということも考えたけれど、せっかく今スーパーに来ているのだ。慌てて車を降りる私に小十郎はくい、と顎を引いただけだった。
大量の買い物袋を抱えてマンションに戻る。簡単に1週間分、と言ってもかなりの量になった。マンションの駐車場は外の人間は認証パスがないと入れない作りになっている。来客は来客用の駐車場に止めるようになっているから、ここの駐車場はマンションの住人しか入れない。だからなのか、会社にたくさん集まっていた人間はここにはいないようだった。私たちは荷物を持って自分の部屋に戻り、話をする、と小十郎からのメールで私は彼の部屋へと訪れた。玄関のドアを開けた途端、おいしそうな香りが鼻をくすぐった。ぐぅ、と空腹を訴える音が鳴り、それに気付いたわけではないだろうが、小十郎が部屋の奥から声をかけてくる。
「座れよ。腹減ってるだろ?」
「そうね。何かご馳走してくれるの?」
「まぁあるものだがな。あぁ、テレビはつけるな」
「───────────わかったわ」
テレビはつけるな、と珍しいことを言う彼に逆らわずに頷いて席につく。ワインと買ってきた白身魚と野菜のムニエル、パン、サラダというメニュー。二人してそれを平らげる間、会話らしい会話はなかった。そして片付けまでを終えてしまうと、彼は無造作にテレビをつけて仙台のローカル局のニュースに合わせた。何故、と聞こうとする私のワイングラスを持つ手が止まる。そこに映っているのは眼は隠してあるもののまぎれもない私と私の腕を引く小十郎の姿だった。
「どういう・・・・こと・・・・・・・」
「今日の会社の奴らはマスコミだ」
「マスコミ・・・・・・・?どうして・・・・・・」
半ば予想はしていたつもりだった。会社を出るときに突き出されたマイクは普通の人間ならもっていないもの。それはわかっていた。だけど頭では理解していても感情がそうであってほしくないと思っていたのだ。
「俺とお前が男女の関係で、今の会社を二人のために乗っ取ろうとしているらしいぜ」
「───────────ふざけないでよ」
「ふざけてなんかねぇ。見てみろ」
どこか面白そうに告げる彼に首を振るけれど、見てみろ、とばかりに彼がテレビに顎をしゃくる。そこには煽情的な文字が躍っていた。日本を代表する伊達コンツェルンの専務の独断と男と女の泥沼、といういかにもゴシップ誌が騒ぎそうなタイトルと、小十郎が行った社長と役員の交代劇、恐らく彼にクビにされた役員だろう、顔を隠してインタビューに答えていたが、それも小十郎が独断を持って強権を発動している、自分たちに罪はない、という自己弁護だけのそれに私は腹立たしいというよりもむしろ呆気にとられてしまっていた。
「マスコミを動かしたのはクビにした奴らの誰かだろうな。それも仙台のローカルのみだ。全国局にはニュースすら載ってねぇ。やることがいちいち小せぇな」
笑っている場合じゃないのに、面白そうに笑う彼の神経を思わず疑ってしまう。ひく、と表情を引きつらせる私に彼はさらに信じられないことを言った。
「、しばらくお前は俺と共にいろ」
「小十郎!?」
「何だ?別に構わねぇだろ。俺とお前が男と女の関係だってのは事実だろうが」
「───────────昔の話じゃない。今は違うわ」
「お前の身体は知り尽くしてるつもりだがな。お前が否定するなら今そうしてやろうか」
「冗談は───────────」
「冗談のつもりはねぇ。たまにゃ男を感じるってのはいいもんだぜ」
にやにやと笑って私の腰を抱き寄せようとする小十郎の手をピシリと叩く。
「ふざけないでよ。私はそんなに軽い女のつもりはないわ」
「だったらふりでいい。しばらく俺の女のつもりでいろ」
「───────────わかったわよ。ふりでいいのね」
「ああ。せいぜいマスコミの奴らにそう思わせるようにな」
そういうことか、と私は口を閉じた。マスコミが報じていることもやましいことがなければ別に動じることもない。それに、私たちが男女の関係だったとしても、それは会社には関係のないこと。会社がきちんと運営ができていればいいのだ。恋人同士が経営している会社はそれほど多くはないかもしれないけれど、家族経営の会社なんて日本全国いくらでもあるのだから。
「、今朝言っていた弁護士の件、急がせろ」
「───────────わかったわ。それを表に出すつもりね」
「当たり前だろ。俺たちのことをせいぜい面白がらせてやれ。奴らの言うことに正当性がないことをまとめて思い知らせてやる」
慣れている私でさえ、ぞくりとする口調と声音で小十郎がひとりごちる。宣戦布告とも取れるそれに、私は何も言えないままだった。相手に対して同情すら浮かんでしまうほどの小十郎の決意に何も言えるはずもなかった。
「それよりも───────────あなた、今日マスコミが来ることを知っていたの?」
「知ってた、というよりも会社に通知があった。今日下でインタビューさせてほしいとな。どうせろくなことじゃねぇだろうから断ったが、奴らはそれで引き下がるほど可愛げはねぇからな」
「それ、私に教えてくれてもよかったんじゃない」
「言おうとしていたが、お前は仕事に夢中だったじゃねぇか」
「───────────声ぐらいかけてくれても」
「言ったらどうした?お前は何かできたのか?」
「───────────それ・・・・は・・・・・・・・・」
確かに小十郎の言うとおりだった。事前に知っていたとしても何ができたかはわからない。だけど、あの場で戸惑うことはなかったはずだ。
「でもあの場をうまく切り抜けることはできたかもしれないわ」
「別にうまく切り抜ける必要はなかったぜ。お前と俺とがそういう関係に見えてれば良かった。その点、今日のお前は満点だ」
にやにやと笑う彼に私はわざと大きく溜息をついた。結局、彼は知っていて私には隠していたからだ。私の感情さえも彼の計画の一つに過ぎない。それはわかってはいたことだけど相変わらず開いたままの彼との距離を感じてく、と唇をかみしめる。
「相変わらずね」
「アァ?」
「あなたはいつもそうだった。私との関係もすべてあなたの計画に組み込んでしまえるんだわ」
「おい」
「あなたの一番大切なものはいつだって社長で、自分の感情さえあなたの計画のうちなのね」
「、どうした?」
「戻るわ。ごちそうさま」
戸惑ったような彼の表情を見たのはどのくらいぶりだろう。私もこんなことを言うつもりはなかった。だけど、すべて彼の掌の上で転がされているような嫌な感覚に抵抗したかったんだと思う。でも溢れだす感情を抑えられなかった。感情のままに彼に言葉を叩きつけて部屋を出て自分の部屋へと戻ったのだった。
結局、昨日はほとんど眠ることができなかった。部屋に戻ってから自己嫌悪に落ち込んでしまい、冷蔵庫にあるビールを片っ端から飲んでしまったからだ。彼に当たるのは筋違いだ。それはわかっている。彼は彼の仕事をしているだけ。むしろ会社を追放された役員たちがどういう手段に出るのか予想できなかった私にも非はある。それなのにあんな言い方をしてしまうなんて。そんなことを考えながらベッドの中でゴロゴロと横になっている間に目覚ましが鳴った。重い身体を起こしてすっきりしない頭を抱えてシャワーを浴びて買い置きのパンとコーヒーを食べているときに携帯が音を立てた。
見れば着信は小十郎だった。出たくない、と思ってもきっと出なければ彼は部屋に押しかけてくるのだろう。鳴り続ける携帯を持って通話をONにする。
「もしもし───────────」
『ああ、起きていたか。あと15分後に出るぞ』
「───────────小十郎、私今日は」
『迎えに行く。準備しておけ』
言いたいことだけを言って電話が切れる。昨日の今日で正直どんな顔で彼と会っていいのかわからない。まるで子供のような駄々をこねて彼に八つ当たりだなんて馬鹿すぎる。これじゃまるで私が小十郎のことを気にかけているみたいじゃない。はぁと溜息をついて私は食器を片づけて出かける準備を始めるしかなかった。
時間ちょうどにチャイムが鳴った。私が顔を見せると彼は行くぞ、と当然のことを告げるように顎で指示してエレベーターに向かう。彼の背を追って歩き出して、エレベーターから駐車場に降りる間、私たちは無言だった。車に乗っていつも通り小十郎が発車させる。歩いても5分足らずの距離だけど会社にはまたマスコミが待ち構えているのかと思うと憂鬱になる。小さく息を吐いた私に彼からの視線を感じるけど、彼は何も言わないままだった。
少し迂回して会社の駐車場へと到着すると、予想通りそこにはマスコミが私たちを待っていた。あっという間に車に群がってくる彼らに出るに出れないと困惑する私の腕を小十郎が軽く叩く。
「行くぜ」
「で、でも───────────」
「エスコートはしてやる。ついて来い」
「小十郎、あの」
「話は後だ」
それだけを告げて車のエンジンを切ってドアを開ける。途端突き出されるマイクはまったく無視をして彼は助手席のドアを開けて私に手を差し出した。紳士的なその態度にマスコミたちが騒がしい声を上げるが、絶対わざとやっているに違いない。無視する、という選択肢はあったけれど、それをすると逃げることになるような気がして、私は彼の手に自分のそれを重ねて車を降りる。そして彼にエスコートされるまましつこい彼らを無視してエレベーターに乗り込むと、彼はようやく私から手を離した。
「昨日は悪かったな」
「そんな───────────!私こそ」
彼からの謝罪に思わず息をのむ。彼が悪いことなんてない。彼にとっての最善はさっさとこの会社を立て直して社長に報告すること。それがわかっていて、そして社長の思惑以上に彼を見返したいと思う私の行動だって彼の計画の中に入れるのは当然のことだ。それを子供みたいに駄々をこねたのは私。謝ってもらうことなんかないはずだった。彼の言葉に私は彼に向き直る。
「いや、お前の言うとおりだ。俺にとって一番大切なものは政宗さまだ。それを変えるつもりはねぇ。だが」
「え───────────」
私がそう告げるのは彼は予想していたのかもしれない。ぐい、と腰をつかまれて引き寄せられる。そして彼の唇が私のそれに重なった。重ねられているのはそれほど長い時間じゃなかった。どん、と彼の胸を押し返すとそのまま身体が離れていく。突然のことにパニックになりそうになりながら私は彼を睨みつけた。
「な、何を───────────っ!!」
「お前が妬いてくれて嬉しかったぜ」
「なっ───────────!?」
にやと笑う彼がひら、と手を振って到着したエレベーターから降りて部屋へと向かう。その背中に私は昨日一日悩んだ時間を返して欲しいと切実に思う。結局彼の術中にはまったままの自分を呪いたくなった。