重い足をひきずるように部屋を出る。小十郎から示された一日は一分でも無駄にはできない。でも自分の仕事は自分の仕事。デスクワークを終わらせて小早川くんを探すためだった。探しながら必死で考える。確かに小十郎にとって「邪魔」の烙印を押された社員たちは会社からすればリスクを抱える社員たちかもしれない。でもちゃんと給料分の仕事をしてくれる社員を罠にかけてまで解雇しようとしているのは納得できない。罠にかける以前に何かやり方があるんじゃないかと思ってしまう。

「ええと・・・・・・さん?」

後ろからかかった声に足を止めた。声がした方に向き直ると小早川くんが不審そうに私を見ていて、私はつい首を傾げる。部屋を出てそれほど経っていないかと思っていたからだけど、小早川くんの後ろに見えるプレートで彼のいる階に降りてきたのだとわかる。完全に考えこんでしまっていたらしいけど、私は慌てて手を振った。

「あ、こ、小早川くん、良かった、探してたの」
「え、でもさん、さっき僕と目が合ったけど、何の反応もなかったから」
「ごめんなさいちょっと考え事をしていたから」

口早に行って小早川くんと一緒に人目につかない場所へと向かうと、私は手に持っていたファイルを彼に差し出した。後ろめたい心持ちと共に。

「これ、その、次の取引の資料よ。このことはまだ社員たちも知らないからくれぐれも内密にね」
「え・・・・!?そんな大事なもの・・・・・!?」
「次の入札予定など書いてあるわ。これに沿って新しいプロジェクトを進めていくから目を通しておいて。意見があれば聞かせてほしいわ」
「ぼ、僕が・・・・・!?」
「ええ。あなた執行委員でしょ?会社がどういう風に向かっているのか知っておいてもらいたいし、私と片倉の出向期間が過ぎればあなたたち自身でやっていかなければならない仕事だもの」

そう言いながら、私は心のどこかで小早川くんがそれを受け取ってくれないことを期待していた。受け取ってしまえばきっと、私は彼を敵として見なければならなくなる。出来ることならこのまま彼を信じていたい。だけど小早川くんは私の手からそのファイルをゆっくりと受け取って中を確認するようにクリアファイルから書類を取り出した。

「僕が・・・・・・こんなプロジェクトに関われるなんて・・・・・・」

まじまじと書類を見て感動している彼に私は何も言えなかった。「頑張って」も「期待しているわ」とも。だってそのプロジェクトは小十郎が彼らに仕掛けた罠だから。私は架空だと思っていたけれど、プロジェクトそのものは本当に手配をしているものらしい。でも役員たちに与えられる情報は人それぞれだ。入札する金額や競合相手の情報がそれぞれ微妙に違っている。競合相手も実際にある会社だし、本当に入札の競合企業でもある。手の込んだブラフを用意したものだと思う。でも事実が入っているからこそ、それがブラフだとばれないのだろう。小十郎らしいやり方だと思う。

「ありがとうございます!僕、僕頑張ります!」
「え、ええ・・・・・・」
「じゃ僕早速見てみます!さん、わざわざありがとうございました!」

・・・・・・・行っちゃった。あんなに興奮して頬を真っ赤にして。罪悪感が心から消えない。これはあなたの行動を見定めるためだから、と何度喉元まで出かかったかわからない。小早川くんはいい子だと思う。彼の出してくるレポートは確かにまだたどたどしいけど、それはレポートを作るのに慣れていないからだと思う。執行役員にしてはまだ若いかもしれない。でもこのまま経験を積んでいけばきっとこの会社の礎になってくれるだろう。そんな彼が会社を裏切っているとは思えないし、思いたくない。私の希望であることは百も承知している。でも、このまま彼を信じたいと思う気持ちはなくしたくないと思う。小十郎が間違えたと社長の前でも胸を張れるように私は祈るような気持ちで彼の背中を見送ったのだった。



部屋に戻ると、小十郎は黙々と仕事を続けていた。無言で椅子に座り、机の上に放り出したままのファイルを手に取る。小十郎は中を確認してゆく私をちら、と見ただけで何も言わないままこちらの反応を伺っているようだった。そしてそれに一通り目を通しているうちに、少しずつ考えがまとまってきた。彼らを切るのではなくて生かしていく方法。小早川くんのように新しいプロジェクトに関われることを喜ぶ人間がいるかもしれない。そしてその彼らの能力を最大限に生かしたやり方で私は彼らと別れるのではなく共存していきたい。思い出した。物事は表裏一体だということに。それを教えてくれたのは他でもない小十郎だった。そう考えてみたら、今の私があるのは彼のおかげなのかもしれない。す、と息を吸い込むと身体の中が少しすっきりした。まるで今日一日息をするのを忘れていたみたいに。自分を見失っていたのは私かもしれないわ、と小さく苦笑しながらファイルをまとめると、小十郎がじっと私を見ていることに気が付いた。

「何?」
「いや、何だか吹っ切れたような顔してるが」
「ええ、そうね。少し気分転換できたわ」
「ほぅ」

彼の探るような瞳ににこりと笑ってみせる。詮索してくるかと思ったらどうやら今はやめたらしい。ちょうどお昼時になる時刻。小十郎は自分のパソコンに視線を戻して口を開く。

「そろそろ昼の時間だろ。先に飯にしたらどうだ?」
「ありがとう。でも今日は調べたいことがあるからいいわ。私を気にせず外に行ってきたら?」
「珍しいな。どんなに忙しくても昼の休憩はキチンと取るんじゃなかったのか」
「あなたこそ、無駄話してる暇があるなら休んできたらいいのに」
「だったらそうさせてもらおうか」
「ええ、行ってらっしゃい」

小十郎はちょうど仕事がひと段落したのかもしれない。パソコンの電源を落として立ち上がると、そのまま部屋から出て行った。思いついた考えに社外秘のファイルを開いて社員情報や部署の情報をピックアップする。そうして別のファイルにそれを落としてから、小十郎の机から役員の身辺調査のファイルを抜き出して情報と照らし合わせる。それから私は彼らのうち、味方になってくれそうな人物をピックアップして面会のアポを取るメールを打ち始めた。

「おい、まだやってやがんのか」

突然背後からかけられた声に冗談抜きで身体が浮き上がるかと思った。普通にかけてくれればいいのに、すぐ耳元で声がしたから猶更だ。驚いて振り向くと小十郎がからかうような声音とはうらはらの真剣な表情で私のパソコンの画面をじっと見つめていた。

、何を考えている?」
「あなたが言ったんじゃない。明日までに彼らの対策を考えて来いって。少し思いついたことがあるから資料を集めているだけよ。何?」

じろ、と睨んでやれば、彼はにやと笑って身体を起こす。私が何をやっていたのか筒抜けになったらしいけど、悪びれる必要もない。

「いや、いいんじゃねぇのか。相変わらずあっさり諦めねぇな」
「そうでもないわよ。会社を経営していたら諦めることだらけよ。あなたと付き合っていた頃とは違うわ」
「生憎俺は10年以上経っても成長も進歩もしねぇヤツに興味はないもんでな。その点お前は本当にいつも俺の期待を裏切らねぇからな」
「・・・・・・じゃ今度ご期待に沿えないように努力するわ」
「できるわけねぇだろ。お前はそういう女だ」
「───────────男か女かなんて関係ないと思うけど」
「大ありだ。いくら能力があっても俺は男を侍らせるような趣味はねぇ」
「おあいにくさま。私は男に侍る趣味はないわ。他を当たって頂戴」

相変わらずのセリフにはぁとため息を吐き出して作業に戻る。彼に知られたからと言って中止する必要もない。それ以上私に絡んでいても不毛な時間の消費でしかないことをようやく気が付いたのか、小十郎も自分の仕事に戻っていき、しばらくはカタカタというキーボードの音だけが部屋を満たす。どのくらい作業を続けていたのかわからない。私は最後のメールを出し終えて安堵の溜息をついた。気を抜いたせいかぐぅ、とお腹の音が嫌に部屋に響いて、くつくつという小十郎の笑い声が聞こえてくる。お腹の音まで聞かれてしまったらしい。恥ずかしさにわざと咳をしてパソコンのモニターの電源だけを落として立ち上がる。

「食事してくるわ」
「ああ。
「何?」
「帰りに何か菓子でも買ってこい」
「え───────────?」
「腹が鳴らねぇように腹減ったら何かつまめるもんを置いておけ」

にやにやと笑う小十郎に私は思わず何か投げつけてやろうかと拳を震わせた。「余計なお世話よ」と言い返したいのをぐっとこらえて私は小十郎に向かって手を差し出した。

「そう言うなら資金出して頂戴」
「かまわねぇぜ。好きなモン買ってこい」

懐の財布から無造作に千円札を抜いた小十郎に私はもう一枚、と告げる。「何故だ」と言う彼に私はふんぞり返って言ってやった。

「お使いに行ってあげるんだから、ランチ代ぐらいカンパしてくれてもいいでしょ。あなたの好きなお菓子沢山買って帰ってあげるわ」



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