満開の桜には目を細めた。どちらを見回しても建物以外は全て桜だ。ピンク色に染まる風景に思わずため息をついてしまう。そんなに付き添っている小十郎も小さく笑う。
「何だ、そんなに桜が好きか?」
「え?だって綺麗だよ。こんなにすごい数の桜、初めてかも。本当に綺麗」
「まぁ、そうだが」
小十郎が見ていたのは自分の妻の方なのだが、きょとんとするに首を振る。「大概、俺も重症かもしれねぇな」と自嘲しながらであったが。
「ったく、見せつけてくれるじゃねぇか。えぇ?小十郎」
「───────────政宗さま」
ち、と舌打ちの音に振り向けば、にやにやと笑う主君が肩をすくめているのが見える。忘れていたわけではないが、当たり前のようにからかってくる政宗に小十郎は頭を下げた。
「そういう政宗さんは愛姫をちゃんとエスコートしてるじゃない」
「女を守るのが男の役目だろ。なぁ小十郎」
「───────────は、左様ですな」
にやりと笑う政宗は足元がおぼつかない愛姫の手を引いていて、にこにこと笑う愛姫に目を細める。仲睦まじい様子には愛姫と目を合わせて笑う。その後ろを一人歩いてきた成実は見せつけられるような二組の夫婦に本気で溜息をついた。
「つかさぁ、梵も景綱も見せつけんなよ」
「Ha!成、悔しかったらお前も妻子を連れて来いよ」
「俺の妻は今は妊娠中だから夜は危険だろ。一応かがり火はあるにせよ、足でも滑らせたら一大事だ」
真顔で告げる成実に政宗は肩をすくめ、小十郎は再度頭を下げるだけ。成実の妻はしばらく大森で伏せっていたが、先日第二子を身ごもったことが判明した。まだ安定期ではないため、今回の花見の宴を欠席するかどうか迷ったが、当の本人が参加したいとの意向を示したため、無理を押して米沢へとやってきている。大森には米沢ほどの桜の名所はない。だからこの満開の桜を見せてやりたかったということもある。本来ならこの席にも連れてきてやりたかったし、妻本人も参加したいと言っていたが、成実は大事を取って休ませているのだ。軽い調子で政宗と小十郎に告げた成実は、手にしていた酒を舞舞台のど真ん中に置いた。
明日は花見の宴が開かれる。政宗の下知により、家臣たちやその家族は彼に謁見するための準備に余念がない。だが明日は家中を挙げての行事ではあるが、政宗も小十郎も桜を楽しむどころではない。だから政宗の発案で政宗と小十郎、成実の三人だけで花見をしようとしていたのだが、それを知ったと愛姫が三人だけの花見などずるい、と直談判したのだった。無論、愛姫は表だっては反対せず、が頬を膨らませて小十郎に桜が見たいとねだっていたのを見かねただけなのだが。結果、こっそりと五人で夜を待ってが舞う舞台で花見を決行しているのだ。喜多は左門を迎えに寺へと向かい、八重には言い含めて部屋で待ってもらっている。羨ましいですわ、と告げる八重には申し訳ないが、今日は政宗であっても誰も告げずに出てきているのだ。だけ八重を伴うわけにもいかなかったのだが。
「じゃ、始めようぜ」
どっかと座る成実の周りにそれぞれが腰を下ろすと盃に酒を注ぐ。そして五人で乾杯をする。ここにきていることは喜多には内緒だ。他の人間もまさか自分たちがここにきているとは思わないだろう。騒ぐ訳にはいかないからゆるりと酒と桜を楽しむようにかがり火に照らされた桜を見上げる。パチパチと爆ぜる音とゆらゆらと揺れる炎の明かりが反射してどこか幽玄の世界を感じさせる。
「うめぇ」
「うん。本当においしい」
「そりゃ良かった。梵はともかくにまで褒められたら台所からうまくくすねてきた甲斐があるな」
「まぁ」
くすねてきた、という成実に愛姫が小さく眉をしかめる。だがその愛姫をなだめるように政宗が軽く彼女の手に自分のそれを重ねる。
「No problem。酒の一本くすねてきたところでびくともしねぇよ。明日俺から台所係に伝えとく」
「はい。殿にお任せいたします」
「それより飲め」
「頂戴いたします。殿、ご返杯を」
「Ah」
まるで二人の世界にお邪魔しているような錯覚には隣に座る小十郎の耳に唇を寄せる。
「何だか、見せつけられてるのはこっちの気がするね」
「おい」
「だって政宗さんと愛姫って本当にお似合いの夫婦だと思わない?」
「それは、まぁそうだが」
ゆるりと盃を干していく小十郎のそれが空にならないように注ぎ足しながらの会話だが、どうやら政宗には聞こえていたらしい。こちらを見てにやりと笑う様は異様なほど様になっている。愛姫はそんな政宗には気付くはずもなく、桜に目を細める。日本人形のような可憐という言葉が具現化したような愛姫の姿は、女のが見ても可愛いと思う。それも酒を飲んでうっすらと頬を赤らめている彼女からは得も言われぬ色気も感じられる。
「愛姫、本当にかわいいなぁ」
「、愛姫さまに失礼なことを言うな」
「だって小十郎さんだってそう思うでしょ?愛姫ってホント、理想の女の子だもん」
「おい」
酒の力も入っているのか、知らず声が大きくなるの袖を小十郎がそっと引いた。桜を愛でている愛姫の邪魔になる、という意思表示でもあったが、宙を見上げていた愛姫がの声でふとに視線を戻す。
「私はさまがうらやましゅうございます」
「へ・・・・・・・?私のどこが?」
「さまは日に日にお綺麗になられますもの。最初に米沢に参られた時の面影は今はございません。小十郎の妻になられてどこか自信のようなものを感じられます。それも小十郎がさまを大切にしている証ではございませんか」
「恐れ入ります」
愛姫の言葉に頭を下げる小十郎とは違い、はいたたまれずにうつむいた。最初に米沢に来た時はもう何もかもがどうでも良かった。生きることも死ぬことも、だが痛いことは嫌だった。だからただ手を差し伸べてくれた成実や政宗の手を取っただけ。あの時、どれほど自分が傲慢であったのか、今ならわかる。命があってそれを一生懸命に生きるために使う。それを小十郎や政宗に教えられた。そんな自分がうらやましいなどとそれは愛姫の優しさであることはわかっていても、視線を上げられなかった。
「は他ならぬ政宗さまと愛姫さまよりの預かりものでございます。粗末になど扱えるわけがございません」
「小十郎さん」
小十郎の言葉に知らず頬が熱くなる。小十郎の妻になってからは毎日が矢のように過ぎてゆく。彼に大切にされているという自覚はある。愛されているということも。それがどれほど嬉しいことか、幸せなことか、今ならわかる。
「あの・・・・・・・私・・・・・ここに来て本当に良かった。政宗さんや愛姫や小十郎さんに会えて、本当に良かった」
「、お前がいた場所にもう未練はねぇのか?」
不意に政宗から告げられた一言には思わず顔を上げた。随分前、が米沢に来てからすぐ、小十郎に同じことを聞かれた。『竜の巫女』をやりたくないのなら断れ、という優しさと共に。その時は、とりあえず衣食住を与えてくれるここから離れるのが怖かったから、適当に答えていた。でも今は───────────
「ない、って言えば嘘になる、かな」
「Ah?」
「数は少ないけど、一応友達もいたし、一緒に育った兄弟や、施設の先生にも私が結婚したこと伝えたい。でも、私がいる場所はここだって思うの。私はずっとここで生きていきたい。小十郎さんの側で、ずっと。いつか向こうに戻ることになるとしても、選べるのなら私はここにいたい」
「Good answer」
の脳裏に表面上の付き合いをしていた友人の顔が浮かぶ。思えば彼女たちに心を開いたことなどなかった。でも、施設育ちの自分でも卑下しなかった。買い物に行ったり、時々は食事に行ったりもした。その彼女たちは自分をどう見ていたのだろう。そして今の自分はどう映るのだろう。そして施設で一緒に育った仲間たち。彼らも元気だろうか。それに施設を出た後、一人暮らしを始めた自分を心配してくれていた施設の先生たち。大丈夫だと意地を張っていたけれど、男が出来てからはこちらからは一切連絡を取らなかった。でも───────────、自分が今生きているのは、先生たちが自分を育ててくれたからだ。それに感謝してもしきれない。
そんなの表情に愛姫は心配そうな顔で政宗を仰ぎ見る。小十郎は黙っての手を握ってやり、成実は少し目を見張る。政宗は隻眼をふっとほころばせての髪をそっと撫でる。
「」
「何?」
「花見が終わったら俺んトコに来い。お前が持っていた荷物、返してやる」
「え───────────?」
「ずっと返さなくて悪かったな」
「ううん。ありがとう、政宗さん」
「小十郎」
「は───────────」
「を大切にしろよ」
「無論にございます」
頭を下げた小十郎が政宗と瞳を合わせて微笑んだ。今までは、の持ってきたものを返さなければきっと彼女はここにいることしかできないだろう、と思っていた。だが、は自分の意志でここにとどまることを選ぶようになった。だからもう、を鎖につなぐようなことをしなくても大丈夫。荷物を返してもはそれらを自分の思い出の品として大切にするとは思うが、それだけだ。彼女の思い出まで奪う権利は政宗にも小十郎にもない。だからもう、大丈夫。
「じゃ、、俺にも酒注いで。景綱には毎日酌してんだろ。たまには俺にもしてくれよ」
「うん」
成実が差し出した盃に酒を注ぐ。小十郎は少し渋面をしていたがちら、と見ると小さく頷いてくれた。それに笑みを返すと、成実の手が伸びてきてひょいと酒を取り上げられる。
「え───────────?」
「いいよ、自分でやるから。ったく景綱もには形無しだな」
「成実さま」
「でしたら私がお注ぎいたしますわ。成実どのは殿の大切な従兄弟であらせられますから」
「ちょっ・・・・愛姫!いい!いいよ!自分でやるから!つか、梵!何を愛姫に教えてんだよ」
何やら政宗が悪戯っぽく愛姫の耳元でささやいていたのはこれだったらしい。悪知恵を吹き込んだのは政宗であるのだが、さすがに愛姫に酌をしろとは言えないらしい。何だかんだと言っても成実にとっては伊達家の当主である政宗は大切な存在でもあるのだから。顔色を変えた成実に当の政宗はクックッと笑うだけで、ひとり愛姫がきょとんとしていたが、政宗は悪戯が成功したときの表情で成実を捕らえる。
「成、これに懲りたら次はお前の正室も連れてくるんだな」
「そうするよ。ったく、もぅ、俺ばっか貧乏くじ引いてるみたいじゃん」
ぷぅっと膨れた成実に、政宗が豪快に笑う。そしてつられるようにが笑い出し、愛姫も口元を隠して微笑んでいる。小十郎は一人表情を隠すようにしていたが、からかわれていた成実は手酌で酒を飲み干したのだった。