宴が終わり、政宗は小十郎と成実、そして綱元の三人だけを伴って別室へと赴いた。宴の途中、小十郎の元へと来客がある旨の注進があった。ちょうどこの時期を見計らってきたのかどうかはわからないが、宴が終わるまで待つ、と言って通された部屋で待っているはずだ。四人だけ、というのは小十郎の判断だ。あまりたくさんの人数が同席する必要はない、と踏んだからだが、政宗たちが部屋に着くと、部屋を見張っていた兵士たちが頭を下げる。小十郎はそれに頷いて彼らを返すと、障子を開いた。

「俺に会いに来たのはアンタか」

部屋にいたのは一人の女性だった。武器は携帯していない。というよりも屋敷に入るときに兵士に預けてあるからだ。かなりの長い時間待たされていたにも関わらず、彼女は政宗を見てにこりと笑ってみせた。

「お久しぶりにございます。伊達殿、片倉殿」
「Ah」

答えながら上座へと腰を下ろす政宗と、軽く頭を下げた小十郎、そして初めて顔を合わせる二人に視線をやって、全員が部屋に入るのを待って小十郎は部屋の入口へと腰を下ろして障子を閉める。彼女が来ている、ということはここから先の話は他の者に聞かれたくはなかった。

「お二方には初めてお目にかかります。前田利家が妻、まつにございます」
「伊達成実だ」
「鬼庭綱元です。成程、お噂でお聞きしていた通り、お美しい方ですね」

政宗の隣には成実が座り、小十郎と逆の入口側に綱元が座る。四方を囲まれた形になったが、まつは慌てた様子もなく、挨拶をする二人ににこりと笑顔を向けた。無論政宗と小十郎は顔を知っている。前回会った時は夫の利家と共に全国の料理の材料を集めるため殴りこんできたときだが、その時とはまったく雰囲気が違う。明らかに何かがあったとわかる彼女の変貌に小十郎は無言のまま彼女の一挙手一投足を見逃さないように、とばかりに注視する。

「して、本日ご来訪の赴きは?」
「本日は私は主、利家の名代として参りました」
「Hum───────────」

小十郎の言葉に動じることもなくそう告げて、まつはひた、と政宗の隻眼を見つめる。そして浮かべていた笑みをすっと引いて頭を下げた。

「我が前田家は豊臣秀吉殿と同盟を結んでおります。その豊臣の軍師、竹中半兵衛殿よりの言付にございます。何卒お聞き届けの程を」
「豊臣、だと───────────?」

ぴくりと眉を上げる政宗に頷いてから、まつはちら、と他の三人に視線を投げる。成実はほぼ政宗と同じように表情を動かしていたが、綱元は我関せず、とばかりに眉一つ動かさない。背後の小十郎は渋面のまま。彼らの表情から何か情報を得ようとしていたようだが、さすがに表情で読ませるようなことはしない。

「それで、あのボス猿が何と言ってやがる?」
「伊達どのには速やかに奥州を明け渡し、軍門に降るべし。さもなければ豊臣の軍勢を持って奥州は火の海になるに違いございません」

ひた、と政宗を見つめるまつの言葉に、部屋に沈黙が落ちる。ぎり、と成実が歯ぎしりを洩らすのが嫌に響く。屈辱とばかりに睨みつける成実を政宗はじろ、と視線だけで制した。だがまつを見る隻眼には怒りの炎が宿っており、それを察した成実は手元に置いてある刀に手をかける。

「もしくは───────────、片倉殿と『竜の巫女』殿を豊臣に差し出せば、所領を安堵の上、伊達殿を同盟の一端に加えるとの由」
「───────────」
「片倉殿には、竹中半兵衛殿に次ぐ軍師格として5万石の城主、『竜の巫女』殿は秀吉殿の側室格として迎え入れる準備がございます。お二方にとっては悪いお話ではございますまい。まして奥州は所領を安堵されるのですから」
「黙れ」
「良いお話と存じます。伊達殿には不要な戦でこの奥州を火の海にされるご所存でございますか」
「黙れという言葉が聞こえなかったか、女」
「成実さま!」

片膝を立てて刀に手をかけた成実を小十郎が慌てて止める。曲りなりにも前田および豊臣の使者として来ている彼女を斬り捨てることなど許されない。だが爛々と危険な光を宿る瞳を向ける成実には我慢が限界に達したようだった。

「景綱、ではお前は豊臣に尻尾を振る気か?」
「まさか、そのようなことはございませぬ。ただ、まつどのは豊臣の使者、お控えください」

今にも刀を抜きかねない成実をなだめながら小十郎は先ほどから不自然なほど黙ったままの主君を見やる。だが、見た瞬間に喉が異常なほどの渇きを覚えるのを確かに感じた。政宗の背後には、確かに呼吸が止まってしまうほどの覇気と怒りが渦巻いていたからだ。声を上げて怒っているときはまだいい。だが、危険な程の殺気が噴出している彼に声がかけられない。こういう時、諌めるのは自分の役目だと心得ているが、それでも確かにそこには咆哮を上げる一瞬前の竜がいた。

「Hum───────────よくもまぁそんな舐めた事が言えるもんだな」
「政宗さま」
「小十郎」
「は───────────」
「お前、豊臣に降りたいか?」
「政宗さままでそのようなことをおっしゃるとは情けのうございます。小十郎はすでに政宗さまの御為に死ぬと決めております」
「Good。まつとかいったな。話はそれだけか?」
「はい」
「だったら帰んな。但し、次に奥州に踏み込んで来た時にゃ命の心配をするんだな。悪ぃが俺はそれほど寛大な人間じゃねぇ」
「伊達殿!」

居心地の悪さはまつも同じだった。政宗の身体から吹き出す闘気に喉が渇く。逆に凄絶な笑みを浮かべる政宗を直視などできるはずもなかった。彼女は武器を持って戦うとはいえ、女性なのだ。交渉が決裂することは覚悟の上だった。人質に取られるかもしれないとの覚悟もあった。そのために利家とは別れを済ませてきた。利家は最後まで自分が赴くことを反対していた。だけど、夫の静止を振り切ったのは自分のはずなのに、指を動かしかたすらも忘れてしまったように身体が動かない。誰もが彼を独眼竜と呼び、広大な奥州を治める領主と同時に剣をもってのし上がってきた大名の一人であることを否応なく認めざるを得ない。動かない身体は彼を直視することを拒否するように動かない。かろうじて政宗の名を呼ぶだけが精いっぱいだった。

「成」
「──────────は」
「綱元」
「はい」
「この女に手を出すな。主命だ」
「かしこまりました」
「小十郎」
「は」
「送ってやんな」

軽く顎をしゃくるような仕草と同時に爛々と光る独眼には狂気とも取れる覇気が宿っていて、言外に『軍師として使者の始末は好きにしろ』と告げる政宗に頷いて立ち上がる。至極冷静に殺すことが最上ならそうしろ、と告げる政宗の言葉で逆に小十郎の心はしんと静まった。激情を押し殺した政宗は感情ではなく奥州を守るという大局で彼女を殺すことが最善であるならば自分の裁量で始末しろ、と暗に言っているのだ。だからこそ彼女を誰かに任せるのではなく、右目たる小十郎に送らせるという方法を取るのだということはこの部屋にいる成実や綱元にも伝わったらしい。小さく頭を下げた小十郎がまつが立ち上がるのを待って彼女と共に部屋を出る。無言のまま歩いてゆく二人だったが、玄関にたどり着いたとき、まつは小十郎を振り返ってこう告げた。

「私をそのまま帰らせるのですか?」

と。その問いに小十郎は無表情のまま彼女の瞳を覗き込んだ。凄まじい覚悟だった。彼女はここで殺されるかもしれない、人質にされるかもしれない。もしくはそれ以上の情報を持つ自分が拷問にかけられるかもしれないということも想定しているのだ、と理解する。その度胸の良さは小十郎は思わず感心してしまった。それだけの覚悟を背負ってただ一人で奥州に乗り込んできた彼女に敬意を表するように小十郎は小さく笑う。

「殺して欲しいのならかかって来ればいい。なぎなたを良く使うと聞いているが」
「まぁ、ではそのまま私を領内から出すとおっしゃるのですか?」

小十郎の言葉に目を見開いたまつに小十郎は小さく頷いた。ここにたどり着く間考えていたのだ。彼女を殺すか否か。政宗は恐らくどちらでも認めてくれるだろう。彼女を殺すことはたやすい。ただ今彼女を殺しても伊達に益は何もない。彼女を殺せば前田家は彼女の復讐を持って奥州になだれ込んでくるだろう。豊臣と同盟を結んでいるのなら豊臣もそれに便乗してくるだろう。それならば彼女を無事に帰して恩を売った方が後々のことを考えると上策だ、と結論づけたのだ。

「帰らせていただけるのでしたら嬉しゅうございます。ただ」
「何だ?」
「片倉殿のお野菜、少しいただけると嬉しいのですけれど」

にこりと笑う彼女に小十郎は一瞬言葉に詰まる。さすが一家を預かるだけあってこういうところは抜け目がない。

「悪ぃがうちにも一人増えたんでな。分けられるほどは残ってねぇ」

軽く肩をすくめるように告げる小十郎に、まつは「あら残念ですわ」と言いながら彼に背を向けて腰を降ろす。背中から斬りかかってこられるかもしれない、という不安があるのであればできない行動だ。それだけ小十郎のことを信用しているのか、もしくは胆が据わっているのか、そう考えて小十郎は後者だな、と結論づける。たった一人、殺されるかもしれないというリスクを背負って、だが豊臣の力の前に前田の家を残すにはこれしか選択肢がなかったのだろう。その度胸の良さは小気味いいほどで思わず笑みがもれる。

「そうですわ。お祝いが遅れてしまいました。ご祝言、おめでとうございます」
「ああ。利家どのからも祝いの品をいただいた。礼がまだだったな。すまねぇ」
「いえ。他ならぬ竜の右目の奥方にお目にかかりたかったですわ」
「まぁ、これが終わったらゆっくり来るがいい。その時には俺だけではなく、政宗さまのご正室にもご挨拶するといいだろう」

小十郎の言葉にまつはぴたりと手を止めて彼を見上げる。言外に含んだ言葉は何よりも雄弁だった。戦が終わったら、豊臣の脅威から解放されたら伊達は前田との親交を結んでも良い、という意思表示だ。

「・・・・・・・・・・利家にも伝えまする」
「ああ。そうしてくれ。そうでないと、我らにとっても寝覚めが悪い。気を付けて戻るといい」

履物を履き終わるとまつはなぎなたを受け取って丁寧に一礼する。そして待たせてある従者を伴って屋敷を出たが、小十郎はごくわかりやすく伝えてきた。交渉が決裂した今、加賀へ戻る道中気を付けて戻れ、というのだ。それは伊達家の者ではなく、豊臣から狙われているのではないか、という暗示。小十郎はあの謁見からここまでの間にそう結論づけたのだ、と思うと身震いが走る。最初から交渉が決裂することは豊臣軍の軍師、竹中半兵衛の予想の範疇であり、まつの命は独眼竜の前に散るのだろうという計算。それによって伊達憎しの気運を高め、前田は豊臣に完全に服従し、伊達攻めの先鋒となるだろう。そのくらいのことはまつとて予想していたし、それを覚悟もしていた。そしてまつ自身が出向くか利家が出向くか、さもなければ加賀を包囲している兵士が何をするかわからないから、と笑みをたたえながら告げた半兵衛の言葉が脳裏をよぎる。

だから、交渉が決裂して無事にまつが加賀へ戻ることは竹中半兵衛にとっては下の策ということになる。小十郎はそれを伝えてくれたのだ。

「まさか竹中さまがそこまで約束を破られるとは思いませんけれど」

自分を送り出すときは「交渉は決裂する確率の方が高いから、どうか気を付けて行ってきてくれたまえ」と言っていた半兵衛の表情が思い返されるて、小さく自分を納得させるように呟いた言葉は弱々しく響く。

「犬千代さま、まつは今から戻りまする」

愛しい人に告げて傲然と顔を上げる。

「さあ、戻りましょう!加賀へ」

利家がつけてくれた従者と護衛の兵士が大きく頷くのを見てまつは馬の腹を蹴った。自分の想像が外れますように、と祈りながら。



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