喜多のところを辞すと、小十郎はの手を引いて門に向かう。自分の馬を引き出すとと共に騎乗した。行先は告げないままだが、は特に詮索をしなかった。喜多と別れ際に渡されたのは何やらお菓子のようだった。これを渡してくださいな。と言った義姉に小十郎は神妙な顔で受け取っていたから、きっと二人にとって大切な場所に行くのだろうとはわかる。無言のまま並足で走らせてゆく。そしてしばらく走らせると、そこが見えてきた。趣味のいい門構えから見える階段の上には立派な屋根が見える。どうやら寺のようだったが、無言を貫く小十郎にちらと視線を走らせる。気のせいではなければどこか緊張しているように見えたのだ。彼が緊張をしているなど珍しい。馬をつなぐと、小十郎は付いて来いというように軽く頷いて先に門をくぐっていった。
玄関で出迎えてくれた小坊主に通された広間は思っていたよりも広かった。出されたお茶に手を出すこともなくきょろきょろと見回していると、おとなしくしていろ、とばかりにじろりと小十郎に睨まれる。慌てて正座すると、小十郎はふと顔を廊下に向ける。つられてそちらを見ると、すぐに足音が響いてきて、小十郎に習うように手をついた。
「小十郎か、久しいの」
「は───────────。無沙汰を致しまして申し訳ございません」
「まぁよいじゃろ。それよりもお前からの野菜はうまいの。あっという間になくなってしまうほどじゃ」
「お褒めに預かり光栄でございます。またお送りいたします」
「おお。それは助かる。それよりも」
「は、和尚にはお引き合わせが遅くなりまして申し訳ありません。妻のにございます」
「ほぅ、そなたがのぅ。噂は聞いておる。なんでも政宗が『竜の巫女』とやらにして傾倒しているとな。成程、そなたがの・・・・・そしてその娘を妻にするとは、小十郎、お主も随分乱暴なことをしたものじゃ。政宗は荒れたじゃろうに」
「いえ、政宗さまからはを養女にとの肝いりをいただき、嫁いで参りました」
「・・・・・・・・・成程、のぅ・・・・・・・」
二人のやり取りを聞きながら何故かの背中からはじわりと嫌な汗が噴き出してくるのを感じた。目の前に座っているのは老人ともいえる年齢の僧侶なのに、この威圧感は一体なんだろうか。それに、小十郎の態度もにとっては驚きだった。普段はどちらかというと、寺社に対して礼を尽くしはするが形だけで終わることの方が多いのに、この老僧には完全に頭が上がらないらしいというのはやり取りでわかる。「ご挨拶しろ」と小十郎からつつかれては慌てて顔を上げる。
「、と申します。その・・・・・よろしくお願いいたします」
「ほうほう・・・・・・小十郎」
「は───────────」
「この娘、どこで拾ってきた?」
その言葉には驚いて顔を上げた。まさか自分が違う世界から来たことを知っているわけでもないのに、何もかも見通しているような言葉に息が詰まる。だが、小十郎は苦笑して軽く膝を叩く。
「和尚にはかないませんな」
「儂もそれほど耄碌したつもりはないからの。この娘、尋常ではない気をまとっているようじゃ。まるでこの戦国の世に染まっておらぬ妙な気をな。一体どこから拾ってきた?」
「ご推察の通り。はこの時代の住人ではございません。天から落ちてきた者にございます」
「小十郎さん!?」
その言葉に一番驚いたのはだった。今まで政宗や成実たちの極少数しか知らない事実をあっさりと告げる小十郎に驚いたのだ。咎めるような口調になるを制して小十郎は老人にすべてを話し始める。黙って聞いていた老僧が話が終わると同時に小十郎ととを比べるように視線をやる。
「小十郎」
「は」
「そなた、この娘が『落ちてきた者』であるならば、突然消えるという可能性は考えておるのじゃろうな?」
「和尚、それは」
「お前のことじゃ、考えてないとは言わせぬぞ」
「・・・・・・・・無論、その可能性がないとは思いませぬ。ただ」
「何じゃ?」
「どこにいてもはこの小十郎の妻に変わりありません。それだけは確かでございます」
「ほぅ・・・・・お前も言うようになりおって」
「それは私も和尚の弟子でございますから」
ふっと穏やかな笑顔を見せる夫には釘づけになった。彼が滅多に見せない本心からの笑み。妻の自分であっても数えるほどしか見たことがない。目を丸くするに老僧が楽しそうにくつくつと笑う。
「相変わらずそなたは妻には厳しいらしいの。驚いておるぞ」
「和尚」
やれやれ、とばかりに小さくため息を漏らした小十郎をやり込めた和尚が楽しげに笑う。その二人を見ながらは不思議に思う。小十郎がこれほど心を許す相手は滅多にいない。姉である喜多にはこんな表情を見せることもあるし、ごくわずかだが自分にも見せてくれるようになった。それはとても嬉しいと思う反面、こうもあっさりと彼をやり込める人物がまだいるのかと驚いたせいもあるのだが。
「、と申したか」
「は、はい」
「小十郎の妻は大変じゃろう。この朴念仁はろくに女子の気持ちを顧みるということはせぬ。それでもこの男に添い遂げられるか?」
「和尚まで、やめてください」
まるで喜多と異口同音で告げられる内容には不謹慎とはわかっていたが、思わず噴き出した。それほどまでに小十郎の妻は大変に思えるのだろうか。自分にとっては確かに大変ではあるけれど、の常識で考える『専業主婦』とは全く違う。毎日が忙しく過ぎてゆく。それも自分がいたところでは考えられないほど毎日が充実しているし、小十郎にも愛され、必要とされているのはわかる。だからこそ自分は小十郎の妻でいることを誇りに思えるのだけど。
「いえ、確かに大変ですけど、小十郎さんがいろいろ心を砕いてくれるので大丈夫です。私も、小十郎さんと一緒になれてよかったと思ってます」
「そうか。小十郎、これは良い嫁を娶ったものじゃ。後はこの妻女に子が出来れば片倉家も安泰じゃな」
にま、と笑う和尚には思わずうつむいた。確かに小十郎には愛されているとは思うが、今のところ懐妊の兆候はない。恥ずかしそうにうつむいてしまった妻に小十郎は咳払いをしての膝を軽くたたく。
「、こちらは虎哉禅師だ。政宗さまの師であり、俺の師でもある」
「え───────────?小十郎さんのお師匠さん?」
「ああ。政宗さまがご幼少のみぎりにこの寺で学ばれた。俺も守役として和尚の元で修行をさせていただいたんだ」
「小十郎はのぅ、優秀な守役じゃった。政宗のために己を殺し、すべてを政宗のためと言うての。じゃが、優秀すぎていかん。お前の欠点はそこじゃが、未だに治らんらしいの」
「これは手厳しい。しかし俺もあの頃と同じではございません」
「当たり前じゃ。伊達家の執政ともあろう者が守役のままでいかがする。そんな心構えじゃと伊達家の未来などありはせぬわ」
小十郎があっさりと論破されながらも軽く肩を竦めるだけにとどめているのはいつものやり取りなのだろう。それを見ながら、は目の前の老僧への認識を改めた。どうやらこの人物は小十郎や政宗にも勝てるらしい。二人のやり取りを聞いているだけでもわかる。煮ても焼いても喰えない、という老僧だが、その眼光は何もかも見透かしてしまうようで、は感心したように和尚を見直した。
「それで、そなた儂への挨拶だけで寄ったわけではなかろう」
「は───────────輝宗さまへご挨拶に」
「ほぅ、では戦でも始まるのか?」
「はい。間もなく大きな戦となりましょう」
「まったく、お前たち武将は相も変わらず人を殺しおって。良いか小十郎、人と産まれたからには人を慈しみ、愛さねばならん。それを殺めるとはお前たち武将という人種は仏の慈悲というものを理解しようともせぬ」
「お言葉はごもっともなれど、この小十郎は政宗さまのために果てると決めております。政宗さまは現世に人として降臨された竜にございます。政宗さまの天下を見るまでは歩みを止める気はございません」
和尚の説教に眉一つ動かすこともなく言い切った小十郎に虎哉は大きくため息をついた。それは完全に諦めているようでもあり、また、小十郎の言葉に呆れるようでもあったが。
「政宗の才は儂も認めるが、相変わらずお前は政宗に関しては目が見えなくなるのぅ」
「されば和尚、戦の前に」
「ここを引いて避難せよと言いたいのじゃろうが、儂はここを引く気はないぞ。まぁもっとも、そろそろまた行脚の旅へ出ようかと思っていたがの」
「それでしたら護衛を」
「いらぬ」
「しかし」
「物騒な雰囲気を持つ武士の護衛なぞ不要。お前は儂を監視する気か」
「いえ、左様なことは」
淡々と交わされているようで、入り込めない熱がある。師と弟子、というよりはむしろ小十郎が和尚の手のひらで転がされているような錯覚さえある。米沢城では切れ者と言われている小十郎でさえこの有様なのだ。なんとなく政宗や小十郎たちがこの寺にいた頃の様子がわかるようで、はひたすら和尚に感心しながらも、初めて見る小十郎のもう一つの一面に興味が尽きない。そしてそんな小十郎の新たな一面が可愛いと思ってしまうあたり自分も大概かもしれないが。
「、と申したか」
「は、はい」
だが、ふと切れた会話に和尚の目がに向く。知らずぴんと背筋を伸ばしたに和尚は相好を崩す。
「そなたからも小十郎に言うてやれ。拙僧に護衛など不要。お前の主人がふらふらと出歩くのが好きなように、儂も心のままに旅を好むのじゃ、とな」
「あ・・・・・そういえば政宗さんもよく脱走してますよね・・・・・・」
「政宗も相変わらずじゃの。そういうところは成長せぬと見える」
「おい、余計なことを言うんじゃねぇ」
「あ、ごめん。でも確かにそうだなぁって思っただけだもん」
「だからと言って言っていいことと悪いことがあるだろうが。そもそも政宗さまはこの奥州筆頭であり、お前にとっても主だろうが。政宗さまの不利になるようなことを言うとは不忠にあたる」
「・・・・・・えぇ?何で私が怒られなきゃいけないの」
何故か自分に飛び火してきた怒りにがくりと肩を落とす。突如として始まってしまった夫婦喧嘩に虎哉はカカと笑って小十郎を見やる。
「その辺にしておけ。お前も政宗も手に入ったものには容赦がないのは主従よく似ておるがの、儂が見る限り、このという娘はお前たちの知らぬものをたくさん知っておる。それに敬意を払うことを忘れるでない。それにの、お前の頑固な心を溶かしたのはこの娘だけじゃろ。それこ御仏のお導き、の運命とお前の運命が互いに惹かれあったからに相違ない。そのことを肝に銘じておくことじゃ」
じっと小十郎の瞳を見ながら淡々と告げる和尚の言葉に小十郎も視線を合わせてからまるで咀嚼するように聞いていた。そして一つ小さな息を吐き出すと、小十郎は和尚の前に手をついた。
「かしこりました」
「は儂がどういう言わずともわかっておろう。そなたが小十郎と娶せたのはそなたがそういう運命を持って生まれてきたということじゃ。それはそなたが元いた場所で決まっていたことじゃ。小十郎に腹の立つこともあろう。じゃがそなたが望むことはそなたが欲している限り諦める必要なない。わかるかの?」
「・・・・・・・・・・・?」
わかるようなわからないような禅問答には首を傾げる。わかりました、と口で言ってしまえばよいのだろうが、何故かそうしてはいけないと思ったのだ。だが自分が抱えている過去も何もかもここに来るために必要だったのかもしれない、とそう思う。だからこそ小十郎に惹かれ、彼の妻になることを選んだのだから。
「・・・・・・・・よく、わかりませんけど、でも私は小十郎さんといることを選んだんです。そのことだけは間違ってないと思ってます」
「それで良い。そなたは時として小十郎よりもよく物が見えることもあるじゃろう。小十郎や政宗を支えてあげなされ」
「はい。私でできることなら」
今まで戸惑ったように首を傾げていたが即答する。その答えに小十郎は驚いての横顔に振り返る。小十郎の記憶にある彼女はいつも迷っていた。そして自分にできることも放棄していた。だが少しずつの変化が積み重なった彼女の横顔を美しいと思った。正直今まで彼女を可愛いと思っても美しいと感じたことはなかった。自分が守るべき者だと思っていた。それなのに、きっぱりと言い切った彼女の横顔はまるで自分が守られているような錯覚さえ引き起こすほどに美しいと思う。自分の妻にした女がこれほど誇りに満ちているのを初めて見る。そしてその顔に小十郎はまた心を動かされてしまったようで。
「ざまぁねぇな・・・・・・・・」
自分の妻に惚れ直すなど、例え政宗にでも口が裂けても言えやしない。ひとりごちた声が虎哉にも聞こえてしまったらしい。にま、と笑われて結局和尚の術中にはまったことを悟る。まったく師匠ながら人が悪いと思うが、一人首を傾げるの瞳が自分に向けられるのに「何でもねぇ」と告げる。だがその声は少しだけ尖っていたが、と虎哉は口を揃えて「変なヤツじゃのう」「変な小十郎さん」と言われ、小十郎は半分以上本気でを連れてきたことを後悔したのだった。