「あ、足痛い・・・・・・・」
早くも根を上げるに小十郎の眉がぴくりと上がる。まるで鬼のような形相になる彼に、は慌てて足をもとに戻して背を伸ばす。
「次」
「は、はい・・・・・・・」
指示されるままに筆をとり紙に書きつけてゆく。手習いの時間、今日は趣向を変えて文を書け、と言われて小十郎の告げるままの文書をしたためる。それがつい三十分ほど前のこと。ずっと正座を続けているから足が痛い。ちら、と見上げると、小十郎は何だとばかりに視線を上げる。
「・・・・・・・・・・小十郎さん、ひとつ、聞いていい?」
「何だ?」
「今更だけど・・・・・本当に私と祝言を挙げるつもりなの?」
「アァ?当たり前だろうが」
「・・・・・・・・・・本当に?」
「くどい」
「怒らなくてもいいじゃない」
はぁ、と溜息をついて筆を動かしながら納得いかない、とまた溜息。結婚、というものはもう少し楽しいものだと思っていた。でも小十郎と共にいて、はっきりと甘い雰囲気になったことなど記憶にない。最初のあのプロポーズのときだけだ。後はまるで生徒と先生のような距離を保ったままの彼に不安が募る。時折小十郎から悪戯のように手を出されるが、じゃれ合うようなものでしかない。そして小十郎の前妻の蔦がこんな気持ちだったのか、と理解できつつある自分が怖い。不満を洩らそうとしてもはっきりと不機嫌、と顔に出されてはそれもできなくて。少しずつ迷路にはまり込んでしまうような居心地の悪さに追いつめられていくようで。
そんな自分の意志に反して、準備は着々と整えられてゆく。結局祝言は20日後と決まった。一月以内、という政宗の下知ぎりぎりの日程だが、白無垢が用意され、政宗の養女となるべく行儀見習いの時間も増えた。小十郎の実家にも挨拶を済ませ、残るは左門のみだが、先日から続く豪雪であの山中にある寺へと足を運べないため、時期を待っている。今こうして手習いをしているのも立派な姫としての作法の一つだからだ。問題は小十郎が渋面でずっとつきっきり、ということだけで。
「おい」
「はい?」
「そこ違うだろ」
「え?どこ?」
「ったく、お前は・・・・・・」
小十郎の指摘に漢字そのものは間違っていないはずだけど、と首をかしげたに小十郎がふぅ、と息を洩らして、そしての背後のまわって肩越しに腕を回しての持っている筆に手を添える。
「こ、小十郎さん・・・・・!?」
自然、小十郎の身体が密着してくるのに驚きの声を上げる。部屋の中は火鉢の熱で暖かいが、思わずじっとりと汗をかきそうなほど緊張してくるのがわかる。
「おい、どこ見てやがる」
「ひっ───────────!?」
「何だ?」
そしてくっついたまま小十郎の声が直接耳朶に触れてびくん、と面白いほど身体が跳ねた。くつ、と笑いながら小十郎はの腰に手を回して逃げられないようにすると、どくん、どくんと一気に跳ね上がる心臓の音が痛い。
「俺の利き手は左だからな、お前ほどうまくは使えねぇがな」
そのまま耳たぶをたどってくる唇に意識が集中してしまう。
「あ、あの・・・・・小十郎さん・・・・・っ」
「何だ?」
「その、あの・・・・・」
「」
「は、はい!?」
「こうやってること、みなには内緒だ」
「え・・・・・・・?」
「奥州じゃ祝言を挙げるまで相手に触れちゃならねぇんだ。だが───────────」
我慢できねぇ、と告げられて、ふる、と身体が震える。触れてほしい、触れたい、と思っていたのは自分だけじゃないとわかっただけで嬉しかった。甘えるように背にもたれかかると、小十郎は目を見開いた。
「小十郎さん、あったかい」
「」
「こうやってると小十郎さんに守られてるみたい」
「みたいじゃねぇだろ。お前を守る。約束しただろ?」
「うん───────────あの、ね」
「何だ?」
「ちょっとだけ、このままでいさせて」
「ああ」
重ねられている手に握っている筆を置くと、抱きしめられる。だけど頭上から「休んだら次は行儀作法だ」と告げられる低音にくす、と笑う。あまりにも小十郎らしい言葉に雰囲気ぶち壊し、と笑うと、くるりと身体を反転させられて頬に手が当てられ熱っぽい瞳で見つめられる。その熱が伝わってくるような視線に瞳を閉じると、二人の唇が重なった。
翌日の昼過ぎ、奥州は久しぶりの晴天に恵まれた。空とにらめっこをしていた小十郎は政宗にと共に外出の許可をもらって、馬を駆る。行先は左門のいる寺だ。小十郎はとの祝言を決めた後、書状では伝えていたが、直接会った方がいいだろうと天候が回復するのを待っていたのだ。を前に乗せて防寒用の毛皮を着込み、黙々と馬を飛ばし寺に到着すると、音を聞きつけた和尚が門まで出迎えてくれていた。小十郎がここに来るのは一年に一度だったから、小十郎にとっては珍しく間の空かない訪問になったのだ。
白い息を弾ませてが馬を下りるのを手伝ってやって、小十郎は和尚に頭を下げて左門のいる部屋へと向かった。左門はじっと座って小十郎を待っていた。四方の障子やふすまは閉めたまま火も入れていない火鉢が寒々としているが、彼は蒼白のまま小十郎が入ってくると軽く手を付いた。
「左門、顔を上げろ」
「───────────はい」
「書状は読んだか?」
「───────────はい」
「先日お会いしたな。俺は『竜の巫女』どのと所帯を持つこととなった」
「殿のお下知だと聞きました」
「ああ。それだけじゃない。俺は俺の意志でを迎えることにした。それに伴ってお前を迎えに来た」
「───────────」
「片倉家の跡取りとして俺の元へ戻れ」
「・・・・・・・父上」
「何だ?」
「私の意志はお伝えしたはずです。私は父上の元ではなく、成実さまの元に参りたいのです」
熱のこもらない表面上の親子のやり取りに聞いているは感づかれないように小さく息を吐いた。左門のことは小十郎と話し合った。突然一児の母になることに戸惑いもあった。でもあの時の左門の表情を見ていたら放っておけなかった。自分の人生と同じ道を辿ろうとしている彼にぬくもりを届けたいと思う。だから左門を引き取りたい、と小十郎に言った。小十郎は最初、左門は成実に預け、との間に産まれる子を跡取りとすると言ってくれた。だけど、それは左門は小十郎の子であるということすべてを否定するやり方だ。一番楽で、彼の心を殺すやり方には反対した。苦しくても自分に流れる血は変えられるはずもない。もし成実の元に彼をやり、自分との間にできた子を優遇すればきっと左門の心は壊れてしまう。それだけは嫌だった。
「あの・・・・・・・左門くん」
しんと沈黙が落ちる部屋にが口を開く。じろ、と小十郎の視線が落ちてくるが任せてほしいと小さく首を振る。
「今、答えを出さなくていいから。一応ね、来月には祝言を挙げることになってるの。雪が解けて春になるまでゆっくりと考えてみるのは、ダメかな?」
「───────────」
「、だが」
時間を無駄にしないために書状を送っていたのだが、と告げる小十郎には小さく首を振った。
「小十郎さん、これは左門くんの一生の問題なの。いきなり答えを出せって言う方が酷だよ。それに、小十郎さんは左門くんが本当に成実さんを選ぶんだったら成実さんにちゃんとお願いしなきゃ。それが小十郎さんの役目でしょう?ねぇ左門くん、私、あなたに一緒にいてほしいって思ってる」
「『巫女』さま───────────」
「あの・・・・・・私ね、家族って知らないんだ」
「え・・・・・・・?」
「両親の顔も知らないの。ずっと施設で育った。ずっと家族が欲しいって思ってた。お父さんとお母さんがいて、いろいろ文句を言いながら一緒にいるみんなが羨ましかった。だから血の繋がった小十郎さんと左門くんがこのままでいいなんて思えない。せっかく一緒に暮らせるようになるんだもん。私の家族になってほしい。家族ってどんなものか知らない私が言うのもおかしいかもしれないけど・・・・あ、でも私のわがままだから本当に左門くんが嫌なら無理強いはしたくない。本当に成実さんの所に行きたいなら私は左門くんを応援したい。だから、左門くんにはゆっくりと答えを出してほしいんだ」
訥々と語るに左門は一度顔を上げて小十郎をちら、と横目で見てからまた視線を下に落とす。そんな左門の態度に眉を上げたのは小十郎の方だった。一喝しようとする彼をは慌てて押しとどめる。ここで声を荒げてしまえば互いに意地の張り合いになるのはわかっていたから。
「左門くん、それでいい?」
重ねて聞くに左門は何も言わないまま小さく頷いた。小十郎は不満そうな顔をしていたが、はそんな彼に何も言わないで、と合図をすると、左門の手を握りしめる。突然のことに驚く彼ににこりと笑っては立ち上がる。
「また来るね。今度は一人で来るから。今度は左門くんの話いろいろ聞きたいな。私の知らない小十郎さんや左門くんや蔦さんのことも聞かせて」
そう告げる彼女に左門はまた小さく頷いて手を引っ込める。つられて立ち上がる小十郎は渋面のまま左門を見やって何も言わないままだった。そして二人は寺を後にした。
「おい、お前何を考えている?」
帰り道。馬に揺られながら考え事をしているに小十郎が聞いた。最初は左門には片倉家に戻るか、成実の元へ行くか選ばせるつもりだった。無論、成実には話をつけてあり、そうしていることはも知っているはずだった。まったく違うやりとりをした先ほどの寺でのやり取りを指しているのはわかっていたから、は小十郎にもたれかかったまま首をかしげる。
「何って、左門くんのことだよ」
「左門のことは話は終わっているはずだが」
「終わってないよ。小十郎さんは左門くんが嫌いなの?」
「アァ?」
「だって左門くんには冷たいから。左門くんがああなったのは小十郎さんの責任でもあるんだよ。小さな頃からお父さんのぬくもりを知らずにずっとあのお寺に押し込められて、会いに来るのはお母さんの命日に仏頂面でお母さんのことを悪く言ってたんじゃない?左門くんにとってはお母さんはほとんど顔も知らないけど、お母さんのぬくもりは覚えているのかもね。だからしょっちゅう来てくれる成実さんに懐くのは当たり前だと思うけど」
「お前に何がわかる」
「わからないよ、小十郎さんの気持ちはね。でも、左門くんの気持ちはわかるよ。私もそうだったから」
ぽつりとつぶやいたがふる、と震える。寒さではないそれに小十郎はの身体を支えている腕に力をこめて抱きしめる。
「」
「何?」
「そういえば俺はお前のことはほとんど知らねぇな」
「そうだっけ?」
「ああ。聞かせてくれ。お前のことを。両親はいないって言ってたが、どうやって育ち、お前がどうやって生きて来たのかを」
「小十郎さん───────────」
「どんな話だっていい。妻にする女がどういう女かを知っておきたい」
「───────────うん、ありがと。私ももっと知りたい、小十郎さんのこと、左門くんのこと。それから喜多さんや綱元さんや、政宗さんのことも。小十郎さんがみんなをどう思ってるのか、知りたい」
「ああ、そうだな」
抱きしめられる腕が心地いい。そう告げたの首筋に軽く小十郎の唇が触れて、思わず息をのむ彼女にくつ、と笑みが落ちる。そしては自分のことをぽつりぽつりと話し始め、小十郎は城に戻るまで無言のまま彼女の話を聞き続けた。