書状に目を通して、小十郎はふぅ、と小さく息を吐き出した。予想していた通りといえばそれまでだが、いっそのこと断ってくれればいいのに、という願望が見事に裏切られてしまったため、溜息の一つも吐きたくなるというものだ。その様子をうかがっていた綱元は小さく笑って小十郎に手を差し出した。
「それで、武田は了承してきたのかい?」
「───────────ああ。断ってくれれば良かったが」
「まぁ、そんなわけにはいかないだろうね。伊達家から正式な受け入れの申し出をしたのだろう?それに、武田とて『竜の巫女』がどんなものだろうかと手ぐすねを引いているんじゃないか」
書状を受け取った綱元がそれに目を通しながら告げるのに、小十郎はますます渋面になった。本音を言えば他国が仕掛けてくるかもしれないこの時期に主君が領地を離れるのは言語道断だと叱りつけたい気分ではあるが、政宗はむしろそれを望んでいるのだ、とわかってしまうから性質が悪い。自分が領地を離れることによって釣り上げられるのはどの勢力か、それを逆に楽しんでいるとわかるからこちらの苦労が絶えないのだが。
「して、綱元どの、成実さまは?」
「ああ。三日の内には米沢に到着されるとのことだ。妻子は領地に置いたままにされるらしい」
「そうか」
「小十郎、お前もそろそろ準備しなさい。後は私と成実さまに任せるといい。こちらには愛姫さまも残られる。何があっても大丈夫だ」
「───────────だと、いいが」
どこか不安が払しょくしない。嫌な予感が小十郎の内にずっとくすぶっていて、それをうまく言葉にできないもどかしさに口を閉じるしかない。勘、と言ってしまえば簡単だが、軍師である以上、こういったときの勘を大切にしてきているが、小十郎はその予感を頭から追い出すように小さく首を振った。
「綱元どの、米沢を頼む」
「ああ。任せなさい。お前の方こそ殿とを頼む」
「無論」
重い声で告げる小十郎に、綱元は頷いて運ばせておいた酒を継ぎ、盃を交わしたのだった。
出発の日は春まっただ中の汗ばむほどの陽気だった。政宗は愛馬にひときわ豪華な鞍を置き、馬そのものも飾り立てている。伊達家の棟梁であることを宣伝するためだ。その馬には前に『竜の巫女』たるを乗せて自身は武装していた。華麗な姿は遠くからでもよく見える。逆を言えば標的になりやすいともいえるが、小十郎のその心配を政宗は鼻で笑って一蹴していた。自分を狙うことはすなわち奥州を敵に回すことになる。やれるものならやってみろ、という主君の言葉に小十郎は渋面を崩さないままだった。
「Hey、小十郎。何が不満だ?」
「いえ、不満では」
「だったら何だ?別にお前も米沢に残ってもいいんだぜ。武田には俺とだけで」
「そういうわけには参りますまい。護衛はいかがなさるおつもりですか。政宗さまお一人ならともかく、は戦うことを知らぬ女なのですぞ」
「───────────テメェ、俺だけじゃは守れねぇっていいてぇのか?」
「そのような。ただお立場をお考えください。武田とて政宗さまとだけの訪問では体裁がつきますまい」
「Hum───────────体裁なんぞどうでもいい」
そう告げる政宗にやれやれ、と溜息をついた小十郎だったが、にわかに城が沸き立った。見れば愛姫と留守を守る成実、綱元、喜多の面々が見送りに出てきたようで、政宗は彼らににや、と笑みを向ける。
「愛、成、留守を頼むぜ」
「はい、殿、さま、どうかお気をつけて」
「うん、愛姫も身体には気をつけてね」
「はい!お戻りをお待ちしております」
「景綱、殿とを頼む。もし何かあればお前の責になることを忘れるな」
「承知しております。成実さま、米沢をお頼み申します」
言葉を交わす面々をぐるりと見回して落ち着いたところで政宗がにや、と笑って出発を告げる。歓声が上がり、それに送られるように政宗と小十郎の馬は並足で米沢を出発した。しばらく走らせたところで政宗は少し後ろを走る小十郎に視線をやった。
「小十郎、どういうルートで行く?」
「上杉領から迂回して武田領へと入る予定です。上杉領の通行許可は既に謙信公よりいただいております」
「Okey」
ひらひらと手を振る政宗に彼の前に乗るが小さく首をかしげる。
「上杉謙信って・・・・政宗さんと同盟してるんだよね?」
「ああ。それがどうした?」
「会ったこと、あるの?」
「───────────Ha」
「な、何?私何か変なこと聞いた?」
途端、ぐいと腰に回った手に力がこもり、は目を見張る。何の気なしに告げた言葉だが、じろと睨まれる視線の鋭さに首をすくめる。
「まぁ、相手は軍神だ。一筋縄じゃいかねぇ相手だな」
「軍神?」
「謙信公は不敗の将として知られている。数ある合戦で一度も負けたことがない」
「へぇ・・・・・・どんな人なんだろう」
答えてくれない政宗の代わりに小十郎が口を開く。興味津々といったの言葉に政宗は無言のまま、彼女の腰に回した腕に力をこめる。先ほどまでとは違う、腰骨をぐいと締め付けられて息が詰まる。わざとやっているに違いない彼には抗議の声を上げる。
「う・・・・・ちょっと政宗さん!あんまり締められると苦しいよ・・・・・・」
「Ah?お前が浮気するからだろ?」
「う、浮気!?してないって!」
「俺より軍神に興味があってもか?」
「は・・・・!?」
言いがかりにも程がある、と目を丸くするに政宗はにやりと笑う。
「側室とはいえ、浮気はいけねぇなぁ。宿に着いたらお仕置きだな」
「ちょ、ちょっと待って!してない!してないって!ただ政宗さんたちが信用してる人なんでしょ?だからちょっとだけ興味があっただけだから!」
それに上杉謙信と言えば歴史に興味がなかった自分にも聞き覚えがある有名な武将だ。だから興味をそそられただけなのだが、明らかにからかって遊んでいる政宗の笑みは正直心臓に悪い。
「俺意外の男に興味を持つのは十分浮気だろ?」
「だ、だから違うって!私は政宗さんだけで手一杯だから!ちょっと小十郎さん!黙ってないで助けて・・・・・!」
「おい、何でもかんでも小十郎に助けを求めんじゃねぇ。小十郎、取り合う必要はねぇ。黙ってろ」
「───────────は」
「じゃ、じゃなくて!その上杉謙信って人に挨拶して行くの?」
「Ah?」
「し、しないの・・・・・?」
「小十郎、手配してんのか?」
「いえ、此度は領土通過の連絡しかしておりません。謙信公からも目通りなどと言う話は聞いておりません」
「だとよ」
「そ、そっか。で、あの、政宗さん・・・・・苦しいから手、緩めてくれると嬉しいんだけど・・・・・」
そろそろ限界、と苦しそうな声を上げるに政宗はにやりと笑ってさらに腕に力をこめる。
「う・・・・・・」
「で、、テメェまだ俺に浮気したこと謝ってねぇよなぁ?」
「し、してない・・・・・・って・・・・!」
「Ah?聞こえねぇなぁ。言うならごめんなさい、だろ?」
「ご、ごめんなさい・・・・・・・」
「Okey」
あまりの苦しさに涙が浮かんでくる。苦しい息の中で何とかそれだけを告げると、腕の力がふっとゆるむ。ようやく解放されたは息を弾ませながら、どんな腕力だ、と咎める視線になるのは仕方ないだろう。だが、その視線に気づいた政宗がにやにやと笑いながら顔を覗き込んでくる。
「なんだ?不満があんのか?」
「な、ないデス・・・・・・・」
どうせ何を言っても遊ばれるのは目に見えている。ふるふると首を振るにくく、と意地悪な笑い声が聞こえてきて、は政宗には気付かれないように小さく息を吐き、その二人を見やる小十郎は仲がいいのはいいことだが、先が思いやられる、と思わず天を仰いだのだった。