目を開けると天井が見えた。「あれ・・・・・・?」と瞬きを繰り返すと、ひょいと覗き込んでくる顔には思わず笑みを漏らす。
「政宗さん」
「目ぇ覚めたか?」
「うん。あれ・・・・・私・・・・・・・?」
「悪ぃ」
「え───────────?」
ゆっくりと身を起こすと手を貸してくれる彼がふい、と顔をそむける。何が、と聞こうとしてはた、と気が付いた。最後の記憶は政宗の馬の上で高さ10メートル近くの崖から墜落していているところでぷつりと切れていた。どうやらそのまま気を失ってしまったらしく、それを政宗が介抱してくれたらしい。
「私こそごめん。って、あれ?私、生きてる・・・よ・・・・・ね・・・・・?」
「Ah?あれしきのことで死ぬわけねぇだろ」
「あれしきって・・・・・・普通の人は死んでると思う・・・・・・」
普通馬に乗ったまま10メートルの崖から落ちたら死ぬだろう。助かっていること自体が普通じゃないというのは当たり前だと思うのだが。
「Hum、あれしきのことで死んでたら俺は今までに百回以上は死んでるぜ」
「そ、そうなの・・・・・・・・さすが政宗さん・・・・・・・」
がくりと肩を落とすのそれを抱き寄せて軽く額にキスが落ちる。くすぐったいと思いながらもどこか彼の様子がいつもと違うのに、彼のしたい通りにさせておく。だが小さく顔を巡らせると政宗はの背に腰を下ろしてゆっくりと後ろから抱きしめてくる。
「ええと、ここ、どこ・・・・・?」
「宿だ」
「宿って今日泊まることになっていた宿?」
「Yes」
「そっか───────────あの、連れてきてくれてありがとう」
「Ah」
言葉少なにぎゅっと抱きしめられる。甘えるように政宗がの肩に顎を乗せてくるのに小さく首をかしげる。
「政宗さん?」
「───────────何だ?」
「どうしたの?」
「何でもねぇ。ちっとこのままにさせろ」
「あ、うん・・・・・・わかった」
表情は見えないが、背中に感じるぬくもりが心地いい。久しぶりの二人きりの時間にすり、と政宗の胸に頬を摺り寄せるようにすれば、抱きしめられる腕が腰に回って引き寄せられる。くす、と笑って身を任せると政宗の唇が首筋に降りる。久しぶりの甘い時間を堪能するように二人はしばらく抱き合ったままだった。
小十郎を交えた夕食を終え、部屋に引き上げたときだった。食事の前に風呂も使っているから宿の者に並べられた二組の布団にちら、と政宗を見上げてしまう。男女が同じ部屋となればこうなることは予想はついていたが、政宗と約束をしたのだ。甲斐に着くまでは閨のことは遠慮する、と。それは同行する小十郎への配慮でもあったし、にとっては初めての長旅だ。体力が持つかどうかわからない。奥州であるのならば自分の目が届くが、一歩外へ出てしまうと何があっても不思議ではない。そんな時にリスクを冒すほど政宗は他家というものを信用していないだけだ。ちょうどその時、先ほど別れたはずの小十郎の声が部屋の外から響いてきて思わず顔を見合わせる。
「入んな」
「は、失礼いたします」
律義に頭を下げて部屋に入ってきた小十郎だが、ちら、と部屋の中の布団を見て目を逸らす。見てはならないものを見た、と言った感の態度に政宗は見ないふりで彼を見やる。
「何の用だ?」
「は、それが政宗さまにお会いしたいと───────────」
「失礼する」
口ごもる小十郎を遮るように部屋の外で凛とした声が響き、その声の主が部屋へと入ってきた。その姿には思わず声を上げそうになる。服というのにははばかられるほど、胸も腰も肝心なところだけを覆っているだけで、全身の女性独特のラインがくっきりと見える。たわわな両の乳房は彼女の動きを伴って揺れ、ウエストは細く、対して臀部は女性らしいふくらみを強調するようにふくよかなラインを描いている。女を体現したような彼女の肉体は目の保養と言うだけでは有り余るほどの威力だった。
「Ah?上杉の忍か」
「独眼竜、久しぶりだ」
「こんなところまで何の用だ?まさか今更軍神は越後を通るな、とでも言うつもりか?」
衝撃で声も上げられないとは違い、政宗はちら、と彼女を見ただけで興味なさそうに視線を逸らす。明らかに挑発するような態度に驚いたのはの方だ。普段は鷹揚でもあり、楽しむような口調を崩さない政宗が、かなりの美人を前に辛辣な物言いを隠さないことに驚いたのだが。それに彼は彼女のことを忍、と言った。ということはこの派手な服を着ている女が上杉家に仕える忍者なのだろうか。
「謙信さまはそのような狭量な方ではない。ただ、此度の目的は『竜の巫女』を伴っての旅だと聞いたが」
「Ah。それがどうした?」
「───────────そちらが『竜の巫女』か?」
「ええと・・・・・初めまして。です。あなたは・・・・?」
「上杉謙信さまに仕えるかすがという。───────────存外普通の女だな」
「おいかすが。政宗さまの前で何を言いやがる。お前が謙信公の使いとして政宗さまにお会いしたいというから連れてきたんだが、変なことを言うとテメェでも容赦しねぇぜ」
「普通の女」と言われてもは別に腹を立てなかった。それが世間の人の当たり前の感想だと思っていたからだ。むしろ「普通の女」だという言葉を久しぶりに聞いた。この世界に来る前はさんざん聞いた言葉だった。自分を『竜の巫女』だと言ってくれるのは嬉しいが、『巫女』だからといって何ができるわけでもない。たまたま異世界から落ちてきた普通の女で、今は政宗の事を大切に思っている側室の一人なだけだ。だが逆に小十郎の雰囲気がピリと緊張を孕んだものに変わったのには驚いた。だがそんな小十郎をちらりと見やってかすがと言われた女は軽く鼻を鳴らした。
「私は別に見たままを述べたまでだが」
「Hum、どうせアンタの主人からのことを見てこいとでも言われたんだろ?で、アンタとしては面白くねぇとか、んなくだらねぇことだろうが。だったらに当たるんじゃねぇ」
挑発する口調の政宗に彼女が思わず口ごもったのは図星をついたらしい。はぁとわざと聞こえるように息を吐いた小十郎がかすがに向き直る。
「で、お前の用は政宗さまとを見に来ただけか?」
「いや。謙信さまよりの伝言を預かってきた。明後日、独眼竜と『竜の巫女』どのとお会いしたい、と」
「Hum───────────」
「───────────成程」
「え・・・・・・・・・?」
わざわざかすがが姿を見せるのは余程の理由があるのだろうとは思っていたが、その言葉に政宗はにやりと笑ってみせた。
「だから余計に面白くねぇって顔だな、忍」
政宗の言葉にますますかすがが渋面になる。それは彼の言葉がズバリ真実をついているのだろうが、にとってはほとんど意味が分からない。無論、かすがの表情からは自分は好かれてはいないだろうということぐらいの予想はつくが、くつくつと笑う政宗ややれやれと首を振る小十郎に問いかけの視線を向ける。
「して政宗さま、いかがいたしますか?」
「おい忍、軍神自らが本当に出張って来んだろうな?」
「無論だ。謙信さまはこのようなことで嘘をつかれるお方ではない」
「そうだなぁ、ま、コイツを見せびらかすのも悪くねぇな」
にやりと笑う政宗には逆に無言になった。かすがが最初に言った通り、自分は普通の女に過ぎないのに、何故自分なのか、と言いたくなる。だが政宗や小十郎の手前、無言を通していると政宗の視線だけで了承を取った小十郎の声で我に返る。
「では明後日で了承した。政宗さまと『竜の巫女』と共にお伺いしよう。そう謙信公に伝えてくれ」
「わかった」
「かすが、わかっているとは思うが」
「右目、そのくらいのことはわかっている。謙信さまもお忍びで参られる。事を大きくするつもりはない。では明後日。場所は後日伝える」
ちら、と最後まで反友好的な視線を残してかすがが部屋を出る。政宗をかばうようにしていた小十郎が彼女の背を追い、取り残された政宗はち、と舌打ちを洩らすと呆然としたままのを抱き寄せた。
「ちょっ・・・・・・政宗さん!?」
「Ah?ったく、軍神め、余計なことをしやがる」
背中に政宗の熱を感じて頬が赤くなる。だが政宗はそれ以上は何もするつもりはないらしい。抱き枕よろしく抱かれたまま、はちら、と政宗を見上げる。
「え、ええと・・・・・・・さっきのかすがさんって人、知ってるの?」
「まぁな。戦場で何度かやりあったことがある」
「戦場!?ってことは・・・・・・・」
「あの忍は戦忍だ。戦場で主を守るために戦い、勝利をもたらすためにいる。無論、伊達にもいるぜ」
「そ、そうなんだ」
細身に見えたがあれほどスタイルのいい彼女が戦場に立つ場面を想像してみるが、妙に似合っているように思えてならない。だが政宗の口調から彼はあまり彼女に対して好意は持っていないように感じられるのだが。
「政宗さんは、かすがさんのこと好きじゃないの?」
「Ah?俺が何だと?」
「い、いや、ちょっとほら、政宗さんらしくないというか・・・・・結構辛辣だったなぁって」
「戦場であの忍にゃ何度も邪魔されてんだ。いい感情なんか持てるわけがねぇだろ。それにあの忍が見てんのは軍神だけだからな。面倒な女だぜ」
「そういう問題なんだ・・・・・・」
逆にあのスタイルにあの美貌を見ても動じない政宗がいっそ清々しいとさえ思ってしまう。少し安心したような残念なような気がするが、かすがを見送った小十郎が戻ってきたのだろう。廊下の足音でようやくを離して政宗が身を起こす。
「政宗さま」
「入れ」
が完全に着物を整えるのを視線の端に入れて政宗がぶっきらぼうに告げる。「失礼」と告げる声と共に部屋に入ってくる小十郎をじろ、と見やる。
「おい小十郎、俺は聞いてねぇぞ」
「そうおっしゃられましてもこの小十郎も先ほどまで存じませんでした故。突然かすががやってきて政宗さまへのお目通りを願っておりましたので」
「お前は軍神に会えと言うんだろ」
「断る必要もございません。むしろを連れている今が好機かと存じます。謙信公は私欲では軍を動かさぬ方ですからきちんと筋を通せば政宗さまが奥州を離れている間の北への睨みにはなりましょう」
「───────────軍神が竜の留守を守る、か」
「は」
小十郎の言い様に、その言い分が気に入ったとばかりににやりと笑うことで政宗が答える。そんな政宗に小十郎も小さく笑う。ひとり取り残されたがわかり合っている二人を交互に見やりながら、やっぱりこの二人の間には入れない、と小さく息を吐いたのだった。