〜過去〜

あれから私は何故か頻繁に片倉先輩と顔を合わせるようになった。取っている授業は2学年も違えばまったく違うはずなのに、何故か教室の近くで一緒になる。あのカフェに行けばたまに客として来てくれるようになった。会えば知らない間柄ではないから挨拶もする。言葉を交わせば交わすほど、私は彼に惹かれていった。大体女というものは大人の包容力というものに弱い。私も例外ではなく、包み込んでくれるような彼の優しさに私は完全に夢中だった。だから今日は彼と話ができた、カフェに来てくれた、などと毎日舞い上がり、明日ももしかしたら、などと期待するようになっていった。

思えば、最初から私は彼のことが好きだったのだ。だけど、当たり前のことだけど彼はとても女の子にもてた。話をしていると他の女の子たちからさりげなく割り込まれることの方が多かった。彼は嫌な顔をせずに応対していて、そんなところも大人っぽくて、憧れていた。

そんなことが、2週間ほど続いた日だった。その日はカフェは休業日。当然学生たちは皆休みだったけど、私は彼にカフェに呼び出されていた。

、明日カフェは休みだが、時間あるか?」

客として来ていた彼が他のスタッフが奥に引っ込んだ瞬間、食器を下げろ、と私を呼んで、小さくこう言ったのだ。予定もなく、また彼からの誘いに私は大喜びして頷いた。

「はい!空いてます!」
「よし、じゃ明日来てくれ。ほかのメンバーにゃ内緒な」
「は、はい・・・・!」

『ほかのメンバーにゃ内緒』という一言に私の心臓は跳ね上がった。二人きりで会いたい、というメッセージ。経理を手伝っている私は他のスタッフとは別に呼び出されることもあったから、仕事に関することなんだろうけど、私はめちゃくちゃ嬉しかった。

あれから業務用のレンジは翌々日には届けられ、彼曰く、最小限の売り上げ減でしのげたらしい。コーヒーメーカーもさらに性能のいいものが運び込まれ、客には好評で逆に常連が増える結果になった。災い転じて福となす、という古いことわざにもあるように、営業再開してからカフェは一気に忙しくなって、待っていたというファンが友人を連れてきて売り上げはあっという間にいつもよりも増えて忙しい毎日だったから、今日は久しぶりの休業日だった。

「おはようございま〜す」

誰もいないカフェ。前日に預かっている鍵で扉を開けて中に入る。彼はまだ来ていないようだった。私は荷物をスタッフルームにおいて私は昨日の売り上げ計算の続きを始めた。今日来ることがわかっていたから、昨日は営業終了後、適当に切り上げてスタッフで飲みに行ったのだ。そして一人で仕事をしていると、表でドアが開く音がして片倉先輩が顔を出す。今日はシャツにジーンズ、という珍しいほどラフな格好で、逆に彼の筋肉質な身体のラインがはっきりわかる。カッコいいなぁ、と見とれてしまいそうになるけれど、そんな場合じゃない。私は彼にあいさつをしてから仕事を続けた。

「おう、早いな」
「はい。昨日の売り上げ計算、まだだったので」
「終わりそうか?」
「ええ。あと10分ください」
「わかった。ちっと台所借りるぜ」
「はい」

目を合わせないまま会話を交わし、私は仕事に没頭した。その間、皿を置く音やらが聞こえてきていたから何かしているのだろうとは思っていたけれど、仕事を終わらせて台所に顔を出した私は目を丸くした。

「先輩、これ・・・・・・・」
「ああ。お前、今日誕生日だったろ?」
「え?何故・・・・・・」
「履歴書。無造作に机の中に入れとくモンじゃねぇだろうが。ま、そのおかげでお前の誕生日がわかったんだがな」

にや、と笑う彼の前には小さなホールケーキ。イチゴが乗ったちょうど2人分ぐらいのケーキにろうそくが立ててあり、その横にはおいしそうな紅茶が淹れてあった。

「どうした?」
「いえ・・・・ちょっと、びっくりして」
「まぁ、そうだろうな。座れよ。せっかくだ食おうぜ」

私がよほどぽかんとした顔をしていたのだろう。片倉先輩は少し面白そうに笑ってから、席を指差してそれらを運んでくると急に真剣な顔で私を見直した。


「は、はい?」
「お前、今彼氏は?」
「いません、けど」
「だったら、俺と付き合ってみねぇか?」

彼の言葉に、一瞬頭が真っ白になった。私の片想いだとばかり思っていたから、そんなことを言われるなんて考えてもみなかった。でも、彼の口からその言葉を聞いた瞬間、私の心臓が痛いくらいに音を立てる。

「───────────は・・・・・?」
「嫌ならはっきり言ってくれ。その方が諦めもつく」

じっと真剣な表情が私を見つめる。だけど、私が無言のまま、何も言えない様子に彼はそう言って立ち上がろうとするのを慌てて首を振った。

「嫌なわけないです!私も、片倉先輩のこと、好きです!」
・・・・・・」
「だから、えっと・・・・・付き合って、ください。よろしくお願いします」
「───────────ああ」

後で考えたら、私は何て大胆な告白をしてしまったんだろうと顔から火が出るくらい恥ずかしかった。でも、雰囲気にのまれてもなんでもよかった。片倉先輩が・・・・・・ううん。小十郎が私の彼氏になったなんて、まるで夢のような出来事だったから。


そうして私たちは付き合うことになった。でも変わったことと言ったらポケベルでのメールのやり取りをするようになったとか、行き帰りを一緒に帰るとか、たまの休みにデートするとか、基本的に学校やカフェでの仕事ぶりはまったく変わらないままだった。起業する、という目標があった私にとってはその関係がたまらなく心地よかったし、小十郎にとっても都合が良かったらしい。付き合う、と決まった直後、彼はこんなことを言ったから。

「俺の家はちっと特殊でな。世話になってる方のご子息の家庭教師をしてる。お前には悪いがお前より俺はそのご子息を最優先する。それは心得ておいてくれ」

と。最初は何のことだかよくわからなかった。でも、付き合いだしてから、彼が何を言っているのか、身に染みる羽目になった。彼はよくそのご子息に呼び出されていた。用はくだらないことが多かった。ジュースを買ってきて欲しい、だの、文房具がなくなっただの、人を何だと思ってるのか、というほどくだらないことでも彼は怒ることはなかった。でも私はそれでもよかった。それぐらい彼のことが好きになってしまっていたから。



 それから1か月ほどして、私にとっては人生を変えるほどの出来事があった。毎月のカフェの売り上げ会議をしていたときだった。今ももちろん常連さんがたくさん来てくれるから忙しいことには違いがない。でも常連さんというのはいつまでも来てくれるとは限らない。新しい客を開拓しようという趣旨だった。チラシを配るとか、文化祭で宣伝するとか、ありふれた意見しか出てこないまま、解散になった。いつもはシェフが小十郎のところに売り上げの報告などを持っていっていたけれど、私が小十郎と付き合いだしてから、私の役目になった。私は報告書を持って小十郎の住むマンションへと向かっていた。小十郎のマンションには何度か行っているけれど、一体どうやったらこんな高級マンションに住めるのか、と思うほどいい場所にある。カフェから歩いて5分。駅から直結した高層マンションの8階の角部屋が小十郎の部屋だった。インターホンを鳴らすと、すぐに小十郎が顔を出した。「遅かったな」と私をねぎらってくれて招き入れてくれた。

 小十郎の部屋は生活感がないと思う。私の雑然とした部屋とは大違いで、綺麗に片付けられた空間に座れよ、と顎で示されたリビングの椅子に腰かける。窓の外には綺麗な夜景が広がっていて、私は夜景をぼうっと見ていたら小十郎が座ったままの私にカフェオレを差し出してくれた。私好みのコーヒー2に牛乳が1、それに砂糖を少し。ほわりとした湯気と独特のいい香りが顔に当たって、私は小十郎を見上げて言った。

「ありがとう」
「いや、すまねぇな。で、どうだった?」
「うん。売り上げは悪くないんだけどね、結局集客についてはまとまらなかった」
「そうか」

そういいながら私の前に彼はグラスにビールを入れて腰を下ろす。それを飲みながら小十郎はそっと私の手を取った。

「なぁ
「何?」
「お前、パソコンできるか?」
「一通り、WEBを見るくらいなら」
「集客についてだがな、ホームページを立ち上げてみちゃどうだ?」
「え・・・・・?それって」
「店のホームページだ。お前がデザインを描いて、店の何てったか・・・・藤田は確かそっち方面を選択してたはずだろう。聞いてみてくれや」
「うん。聞いてみる」

指を絡ませてくる彼に私は黙ってやりたいようにさせていた。カップを持つ逆の手はさっきから止まったまま、夜景に気を取られていたはずなのに、私の手をなぞる小十郎の指先に意識が集中してしまう。



いつの間にか立ち上がった小十郎が後ろから抱きしめてくる。逆らわずに彼に身を預けると、小十郎は身体をずらして私と向かいあった。

「逃げねぇのか?」
「どうして?だって私、小十郎のこと好きだもん」

ゆっくりと頬を撫でられる大きな手にかっと身体が熱くなる。そのまま唇に手を当てられて両頬に彼の手が添えられるのがわかる。そのまま瞳を閉じると、私の唇にゆっくりと彼のそれが押し当てられた。

、好きだ」
「私も、小十郎のこと、好き───────────」

触れるだけだった唇に、頭を押さえられて舌先がちろ、と触れた。キスをするのはは初めてじゃないけど、小十郎がこうやって求めてくるのは初めてだった。ドキドキと心臓の音が早くなっていくのがわかる。唇に触れる小十郎の舌にびくん、と身体を震わせると、ぎゅっと抱きしめられた。そっと私が小十郎の肩に手を当てて、ゆっくりと背中に回す。それが合図のように唇を割って中に入ってくる小十郎の舌先に身を任せ、私たちは長い時間キスを交わしたのだった。



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