「大丈夫か?」

渡されたお茶に口をつける私の横にカーテンを閉めてから腰を下ろして腰を抱いてくる小十郎に眉を上げる。

「やめて」
「看病してやってんだ。これぐらいいいだろ」
「良いわけないでしょ・・・・・・」
「だったら、こうすればいいのか?」

手にしているお茶を奪われて、あっと声を上げる間もなかった。トン、と肩を押されてベッドに背から倒れこむ。顔の両側に小十郎の手で退路を塞がれて、のしかかってくる彼を睨みつける。

「やめてって言ってるじゃない」
、お前寝てねぇのか?」
「え・・・・・・?」
「隈、できてるぞ」
「っ・・・・・!大きなお世話。仮眠を取るからそこ、どいて」
「なんなら眠るまで抱いててやるぜ」
「結構よ」

にべもなく断って小十郎の胸を押し返すと、意外なほどあっさりと引き下がった。足元にある薄い毛布を引き上げて瞳を閉じると、小十郎の手が私の額を撫でていった。すぐそばにいる彼に油断したところを見せるわけにはいかない、と思いながらも暖かい毛布の熱は睡眠不足の私から思考能力を奪っていった。とろりとろりと訪れる睡魔に私は身を委ねてしまったのだった。

目が覚めたとき、そこには誰もいなかった。時計を見れば2時間が過ぎてしまっていて、私はのろりと起き上がる。それだけ疲れていたのか、と自問しながらも乱れた服を整えているうちに、カーテンの向こうから細い声がした。

「あの・・・・?そこにいる?」
「───────────美緒?ええ。どうぞ」

聞き覚えのある親友の声に私は安心して美緒を招き入れる。入ってきた美緒は私を見てほっとした表情になって私の枕元にあったお茶を手渡してきた。反射的に受け取ってしまってそのお茶が小十郎から手渡されたものだとわかると、私は眉を寄せる。そんな表情になる私を美緒は見咎めると、ベッドに腰を下ろした。

「なぁに?片倉専務から?」
「あ・・・・うん───────────」
「へぇ、まだ諦めないんだ。すごいね」
「笑い事じゃないわよ」

くすくすと楽しそうに笑う彼女だけには私は小十郎のことを話していた。とはいっても簡単にだけど。元彼でどうやら私とヨリを戻したがっている、とだけ言ってあった。この会社に入ったとき、美緒は小十郎を見てびっくりしていたのだ。まさか私は彼のような外見の男と付き合っていたなんて信じられないからだろう。事実、小十郎と別れてから付き合った男は、どちらかというと細身で、小柄な男ばかりだったから。

「にしてもびっくりしたわ。片倉専務がいきなりやってきてを見てきてくれって言うから」
「ごめん。ちょっと気分が悪くなっただけよ」
「それって片倉専務がらみ?」
「違うわ。社長がらみ」
「───────────あら。またいい男が一人」

ふぅ、と溜息をつきながら嫌なことを思い出した私に、美緒は口に手を当てておどけて見せる。こう見えて旦那一筋の美緒だから社長も小十郎も美緒にとってはいい男を見るという目の保養だけらしい。だけど当事者の私にとっては冗談でもなくて。

「馬鹿言わないで。私、あの人苦手だわ」
「まぁねぇ。あの年で伊達のグループの総帥だもんね。普通の人間じゃ無理だわ」
「あぁ、それで思い出したわ。社長が来週食事をしようって。私と美緒と、できれば美緒の家族も連れて。おいしい店に連れていってやるって言ってたわ」
「それって旦那と子供も!?」
「みたいね」
「あ、行く行く!あの社長の行くお店だもん。断然期待できるわ!来週ならいつでもOKだから」
「わかった。そう伝えとく」

美緒のはしゃぎっぷりに苦笑して答えると、私は着ていたはずのジャケットが脱がされているのに気が付いた。たしか小十郎を押しのけて布団にもぐったときには着ていたはずなのに。ハンガーを見ると、そこにはきちんとジャケットがかけてあって、私は思わず目をしばたたかせる。

「あの・・・・美緒」
「何?」
「美緒って今日ここに来たの初めて?」
「うん。そうだけど」
「───────────そう」

どうやら小十郎が脱がせてくれたらしい、という事実に頬が引きつった。確かに布団に入ってから眠るまでにそれほど時間はかからなかったはずだけど、そんな私に彼はついていてくれたようで、複雑な気持ちでうつむいた。

「でもさ、そろそろ本気で考えてあげてもいいんじゃない?」
「え───────────?」
「本気だよ。片倉専務。正直、私はおすすめするなぁ。だってちょっと強面だけどスタイルいいし、顔もいいし、伊達の専務って年収いくらっていいたくなるぐらいもらってるだろうし、何よりさ、女は愛するよりも愛される方が幸せになるよ」
「美緒が言うと、説得力あるわ・・・・・・」
「そりゃね。先輩ですから」

片目をつぶってみせる美緒は本当にかわいくて、学生のときから何度憧れたかわからない。美緒の旦那はあのカフェで働いていた一人だった。美緒のことが好きで好きで、ずっと彼女を追いかけて仕方なく付き合っていた美緒と最後には結婚したいという彼の情熱に、美緒は入り婿になるなら、と半分あきれながら彼が飲めない条件を突きつけたら、彼はあっさりと承知して二人は結婚した。結婚式のことはよく覚えている。美緒は軽く肩をすくめてこういったのだ。「あ〜あ、苗字変わらないままだよ〜」と。「結婚式当日に気にするのそこ!?」とみんなで笑って、やっぱり美緒にぞっこんの旦那をからかっていたものだ。それから美緒は子供を産んで、その子供も来年はもう小学生。早いものだなぁ、としみじみ思う。

「ねぇ
「何?」
はあの人のこと、好きだったんでしょ?」
「・・・・・・・・12年も前のことよ」
「でも、好きだったんでしょ?」
「・・・・・・・・まぁ・・・・・うん・・・・・・・」
「今は?好き?嫌い?」
「・・・・・・・・それ、どちらかしかないの?」
「そう。好きか嫌いか。二択」
「・・・・・・・・好き、かな・・・・・・・」
「じゃ、大丈夫、また好きになれるよ」
「え───────────」

思わぬ美緒の言葉にびっくりする。そう言われても、正直今の私の気持ちの中に小十郎を思う気持ちは欠片もない。でも美緒が「大丈夫」と言うと、そんな気持ちになってしまうから不思議だ。

は子供、どうするの?産むつもりならそろそろ考えなきゃだめだよ。その点専務なら私はお勧め」
「でも彼、お見合いするって社長が」
「え・・・・・・?それ、断ったって聞いたよ」
「───────────え・・・・・・」
「『俺には好きな女がいるから、その女以外と所帯を持つつもりはありません』って、社長の前で公言したらしいよ」
「美緒、それ誰から」
「成実さん。面白いよね〜、彼も」

けらけらと笑いころげる美緒の言葉に私は思わず息をのんだ。それって、まさか私のこと・・・・とうぬぼれそうになってしまう。でもあの小十郎の態度からして、もしかしたらそうなのかもしれない。

「って、あれ?私社長から今日も聞かれたけど・・・・・・」
「あ〜、それきっと社長にからかわれたんだね。あの人、片倉専務の弱点を見つけると徹底的に苛めないと気が済まないらしいから」
「・・・・・・・弱点って、もしかして私のこと?」
「かもね。しばらく社長に苛められるんじゃない?」
「・・・・・・・勘弁してよ・・・・・・・」

私は本気でげんなりした。この会社に来てしみじみと思った。あの社長は普通じゃない。それを言うならあの社長を実質育てていた小十郎も普通の人間じゃない。大きな会社のトップに立つ人間は普通の人間では務まらないと身に染みた。私の会社なんて本当に常識を絵に描いたような小さなものだったんだと思う。

「でも、よかった。元気出た?」
「あ・・・・・うん。ありがとう、美緒」
「お礼なら私じゃないでしょ?あの忙しい人がのために走りまわってくれてたんだよ」
「・・・・・・・・そう、ね」

私の前ではしゃいでみせたのは私を元気づけるためだったらしい。美緒の心遣いに本当に感謝した。最近小十郎のこともあって少し気が滅入ってしまっていたのを見抜かれていたようだった。でもそれと小十郎のこととは違うとは思う。だけど・・・・・小十郎の忙しさは私もよく知っている。社長の側で1か月一緒に仕事をしたから知っているのだ。彼がどれほど忙しいかということは。伊達は彼が支えていると言っても過言ではない。最終的な判断は社長が下すが、それに必要な資料集めや、選択肢を出していくのが小十郎の役目だ。正直秘書の仕事だろうとは思うが、彼は専務の仕事の傍ら、それは自分の仕事だと誰にも譲ろうとはしない。忙しいのは当たり前なのだ。

、落ち着いたら専務のところに顔出しなよ」
「う・・・・・・・」
「返事は『はい』でしょ?」
「・・・・・・・うぅ・・・・はい・・・・・」
「よろしい。ついでにお茶のお礼もね。一度二人きりでお茶するぐらいのことをしてあげてもいいんじゃない?」
「美緒・・・・・・・」

軽い調子で告げた美緒に思わず頭を抱えてしまう。でも冗談めかして言う彼女が私のことを本気で心配してくれているのはわかる。それに何故か彼女は小十郎を気に入っていて、私よりも彼を応援しているようで。でもそれをおせっかいと斬り捨てることは私にはできなかった。美緒が出て行ってしばらくベッドの上で考えてから私はかけてあったジャケットを手に取って立ち上がった。


小十郎が仕事をしているのは社長室のすぐ隣の専務用の部屋だ。私は軽くノックをして秘書の声を聞いて扉を開けた。

「失礼します。片倉専務は───────────」
、お前もう大丈夫か?」

小十郎を呼び出そうとした矢先、部屋の奥から低音の声が響く。少し意外そうな響きに私は頷いてから秘書に邪魔をしたことを詫びて小十郎を廊下に呼び出した。

「・・・・・・ありがと」
、お前どうした?」
「美緒がね、小十郎にお礼を言いに行けっていうから」
「は・・・・・・っ・・・・・クク・・・・・」

驚いた顔のまま私を見る小十郎にまるで小学生の言い訳のようだ、と思いながら告げると、小十郎はあろうことか笑い出した。さすがに失礼じゃないかと抗議しようとする私の頬に彼は手を置いた。

「かわいいことを言ってくれるな。アァ、礼はこれでいいぜ」

あっという間もなかった。廊下に背を押し付けられて逃げ出せないように固定され、くい、と上向かせた私の唇を彼は自分のそれで塞いだのだ。触れるだけのキス。会社の廊下で交わすキスに我に返った私が慌てて小十郎の胸を押し返す。

「Hey、お二人さん。ここは会社だぜ。kissは部屋でしてくんねぇか」

そして最悪なことに、隣の部屋に戻る社長にしっかり見られてしまったらしい。からかいとあきれたような声に私は身体を硬直させることしかできなかった。



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