どうしようか、とエレベーターで迷うこと30分。気が付けば19時を回っていた。理由もないのにトイレに駆け込んで化粧が落ちていないか確認する。ここまで来てしまっているのに行こうかどうしようか、と迷う心に溜息が漏れる。でも・・・・・・・も行っても行かなくても後悔するとわかっていた。私は覚悟を決めてエレベーターに乗り込んだ。

軽い浮遊感にエレベーターが止まる。最上階にはBarと和と洋の各レストランの三店舗が営業していた。そういえばレストランには行ったことがないな、と思いながらBarへ向かう。する、と入り込んだ私にマスターが低い声で「いらっしゃい」と告げてくる。時間が時間だけに客は少なかった。あまり広いとはいえないがらがらの店内を見回すと、窓際に座っている小十郎が軽くグラスを掲げたのが見えた。

「カウンターにされますか?」
「・・・・いえ、連れがいるの」

女ひとりだからマスターが気を使ってくれたらしい。少し離れたカウンターを指してくれたが、私は小さく首を振って小十郎の元へと近寄って言った。どくん、どくん、と心臓の音が耳にうるさい。

「よぉ。来たな」
「・・・・・・どういうつもり?」
「アァ?久しぶりにお前と飲みてぇと思っただけだ。座れよ」
「いいの?もうすぐ接収する会社の社長と二人きりなんて。噂になるわよ」
「別にかまわねぇ。言いたいヤツには言わせておけばいい」

立ったまま告げる私にくい、と顎で自分の横の椅子を指す。その傲慢なまでの男っぽい仕草があの時の私にはカッコよく見えた。本当、子供だったと思う。ここまで来てしまった以上、そのまま帰るわけにも行かず、椅子に座る。注文を取りにきたボーイに小十郎はモスコミュール、と私のカクテルを勝手に注文してにや、と笑って見せる。

「お前好きだっただろ?」
「・・・・・・・・・・何年前の話をしているつもりなの?」
「そうだなァ、もう10年になるか?」
「12年よ」
「そうか。そんなに経つか。道理で見違えたぜ」

くつ、と笑う小十郎の横顔は相変わらず精悍だった。男らしい顔立ちにたくましい体つき。当時彼はとてももてた。高校時代アメリカに留学していた私は19歳で日本の大学に入学した。普通高校は日本で、大学はアメリカに行くものだけど、私の場合は少し事情が違った。何のことはない。向こうに叔父夫婦がいたから。高校は叔父の家で世話になり、日本で会社を興したくて大学はこちらに帰ってきたのだ。入学式の日、時間を間違えて学校に到着した私がきょろきょろしていたところ、小十郎が声をかけてきたのだ。「どうした?」と。それが私たちのきっかけだった。それからすぐに私たちは付き合い始め、関係は3年続いた。別れたきっかけは別にない。ただすでにその時には私は今の会社を初めていて、2年上級生だった小十郎も仕事に忙しくすれ違いが続いた。そして1週間に一度も連絡を取らない日々が続き、自然消滅のような形になってはいたが、最後は小十郎が「別れるか」と言って私は頷いた。それがもう、12年も前の話だ。

「それは褒め言葉として受け取っていいのかしら?」
「当たり前だろ。あのときのお前よりいい女になった」
「それは・・・・ありがと」

付き合っていた当時は褒めてなんかくれなかったくせに12年経てばこんなことも平気で言えるようになるんだ、と私は年を重ねたことを実感する。

「小十郎こそ、そんなことがいえるようになっていたなんてね。びっくりしたわ」
「うるせぇ」

少し憮然とした顔をして目をそらす。その仕草も昔のままで私はくすりと笑ってやってきたモスコミュールのグラスを手に取った。

「乾杯するか」
「何に?」
「今の時間に」
「冗談じゃないわ。人を無理やり呼びつけておいて。来ないとは思わなかったの?」
「・・・・・・・半々だったな。だがまぁ、せっかく来たんだ。楽しもうぜ」

そう言って自分のグラスを掲げた小十郎に諦めてグラスを合わせる。チン、という音が響いて私は手の中のグラスに視線を落とす。

「モスコミュールなんて、何年ぶりかしら」
「何だ、甘いのが好きだったんじゃねぇのか?」
「・・・・・・・・昔の話よ」

唇をつけたグラスからは記憶のとおりの甘ったるいカクテルが舌を焦がす。甘い酒なんて本当にどのくらいぶらいだろう。ここしばらくは飲んだこともなかった。会社の付き合いだとビールか日本酒がどうしても多くなる。最初は苦手だったけれど、今は甘い酒はほとんど飲まなくなってしまった。

「嫌なら他のを頼むか?」
「・・・・・・・いいわ。これで」
「そうか。お前食事は?」
「していないわよ」
「何か頼むか?」
「そうね。小十郎は?」
「俺も空腹だ」
「普通空腹だったら待ち合わせにBarは指定しないと思うけど」
「うるせぇな。お前を誘うのにここしか思いつかなかっただけだ」

あきれたように言った私に小十郎はメニューに視線を走らせて「ダメだな」とつぶやいてから残っている酒をぐい、と飲み干してこちらを見た。つられてメニューを見れば当たり前だがいわゆる酒のつまみ程度の料理しか出さないようで、私は苦笑した。

「お前さえよければうちに来るか?作ってやる」
「・・・・・・・・小十郎の家、このあたりなの?」
「ああ。下手なレストランに行くよりいいだろ?」
「それは、そうだけど」

男そのもののガタイと風貌を持った小十郎だけど、意外なことに料理がうまかった。彼曰く、彼が大切にしているお坊ちゃんが料理に興味を示すのに付き合っていたらうまくなっていた、らしいけれど、正直そこらのレストランよりも彼の料理の方が数段おいしい。それを知ったときにはかなりショックだったのを思い出す。だけど付き合ってもいない(というよりも終わった関係の)男女が男の家に上がりこむ、というのはあまりほめられた行為じゃないことは確か。迷う私の腕を小十郎がぐい、と引いた。

「迷ってる時間が惜しい。行くぜ」
「え、ちょっと小十郎?」

まだ残っているグラスをちびちびと空けていた私は強引な彼のやり方に抵抗しようとしたけれど力で適う相手ではないことはわかっていた。引かれるままに立ち上がり、彼が精算を済ませている間に逃げようかと思っていたが、彼は私の腕を離さなかった。エレベーターで地下に降りてタクシーを拾う。わずか数分で明らかに高級とわかるマンションの前に横付けされ、あきれたように溜息をもらす私を連れて玄関へと向かう。というよりもマンションの玄関にポーターが常時待機しているってどれだけの高級マンションなんだろう。いくつかのセキュリティを潜り抜け(しかもそれが網膜とか指紋とか、明らかに個体情報を示すセキュリティだった)、エレベーターに乗せられてここでも最上階に到着すると、私はあきれるを通り越して感心してしまっていた。

「小十郎、ここ、いくらなの・・・・・?」
「知らねぇ」
「は?」
「別に俺はどこでもかまわねぇが社長がここに住め、とキーだけを渡された」
「・・・・・・・・・・・・正気?」
「俺に聞くな」

半ばあきれたような口調の彼の言葉はきっと真実なのだろう。付き合っている当時から小十郎は口を酸っぱくして言っていた。私は二の次なのだと。自分にとっては恩人の息子さんが一番大切で、私と彼を天秤にかけなければいけないときはその息子さんを取る、と。事実デートの約束は何度もすっぽかされたし、邪魔もされた。でも小十郎は自分のことはほかに何も話してくれなかった。ただ恩人がいる、ということ以外は。その彼がまさか伊達の専務になっていたなんて思いもしなかったけど。

「ねぇ、伊達の社長ってもしかしてあなたが大切にしていた恩人の息子さんなの?」
「ああ」
「あぁ、なるほど。だから・・・・・・」

そうでもしないとマンションを与えられる、なんてこと普通はありえない。さすが株式会社伊達の社長がやることだ。常識じゃない。そういいながら鍵を開けて私を中に入れると、小十郎は羽織っていたジャケットを脱いで袖をまくりあげる。たくましい腕があらわになって、私はその腕にくす、と笑ってみせた。

「相変わらず鍛えてるの?」
「・・・・・・鍛えるのは趣味じゃねぇ」
「ふぅん」

趣味じゃなければなんなのか、聞くのが怖くてやめておいた。小十郎のことだ。きっとその社長のため、とかいいながら鍛えているに違いない。

「おい、パスタでいいか?」
「なんでもいいわ」

冷蔵庫を開けて在庫を確認する小十郎が聞いてくるが、適当に答えて室内を見回した。さすが高層マンション。新宿から六本木あたりの夜景がひどく綺麗だった。大きくとってある窓に映る夜景はここだけでデートスポットになりそうなくらい。それに、男の一人暮らしにしてはきちんと片付いた部屋。几帳面なのは相変わらずらしい。ぐる、と見回してから勝手にソファに腰を下ろす。ぽふ、と適度な圧力で沈み込むソファは身体を包み込んでくれるような感触が気持ちいい。そうしているうちに野菜の焼けるいい匂いがし始めた。わずか10分ほどで完成したパスタを二人で食べる。気が利いたことに小十郎はワインを持ってきてくれた。赤ワインを片手にパスタを食べる。相変わらず小十郎の作るパスタはおいしかった。




 ぽつりぽつりと話をしているけれど、決して途切れることはない。小十郎の低音は耳に心地いいと改めて思う。特に中身のある話はなく、近況やら別れてからの話を続けていた私がふと顔を上げた。

「ねぇ小十郎?」
「なんだ?」
「ひとつ、聞いてもいい?」
「ああ」

しばらくワインを飲んで、そんなことを言い出した私はきっと酔ってしまっていたのだろう。でなければきっと聞かなかったことだ。

「私の会社を接収しようとした本当の理由、聞かせてくれない?」
「アァ?」
「もしあなたが社長が元の彼女だと知っていてそのせいで私の会社を狙ったのだとしたら、私は一生あなたを許さない」

多分その可能性は低いだろうとは思っていたけれど、聞かずにはおれなかった。もし万が一、彼が私の知っている彼でなくなっているのだとしたら、そんなことも平気でするような男になっていたのだとしたら、私は何をするかわからない。そんな覚悟で彼を見上げると、小十郎は軽く眉を上げただけだった。

「・・・・・・・・
「何?」
「もし俺がそれを否定しても、お前は信じねぇだろう?」
「・・・・・・・・・」
「答えは『否』だ。信じられなきゃそれでもいい。俺は昨日まで接収される会社の社長がお前だとは知らなかった。政宗さまが・・・・社長がお前の会社に興味をもたれて、接収を決められた。俺はそれについては関与しちゃいねぇ」
「私の会社をつぶすようなことをしたのも?」
「・・・・・・・・指示は俺が出した」
「───────────え?」
「政宗さまがお前の会社の社員全員を望まれていた。俺はそのご意志をかなえるためにありとあらゆる手段を講じた。恨むなら恨んでくれていい。俺はお前にとってそれだけのことをしたんだ」
「・・・・・・・・そう」

あのいやらしいくらい執拗ですべての退路を塞ぐようなやり方は彼だったのか。そう思うと納得もできた。無言でグラスを揺らすと、赤い液体が揺れる。それはまるで私の揺れる心を現したようで、私はそれ以上何も言わずに顔を伏せた。

「もう、こんな時間か」

その小十郎の言葉に顔を上げる。気が付けば私の手の中のグラスに入っているワインが最後だったらしく、小十郎が揺らすボトルが空になっていた。飲みすぎた、と思ったけれど、それ以上に時計を見て私はびっくりして立ち上がる。午前2時。すでに終電は終わってしまっていたからだ。

「帰らなきゃ」

立ち上がる私を見送るように小十郎も立ち上がる。グラスを中身を一気に干して鞄をつかもうとした私の手が小十郎によってさえぎられる。何を、というよりも早く、ぐいと引き寄せられて唇が重なっていた。キスそのものに慌てるほど初心じゃない。だけどこの状況で、小十郎にそんなことをされていることに身体が硬直する。固く閉じられたままの唇を開け、とばかりに小十郎の舌先が私の唇をなぞる。だけど私はいや、と首を振って身体を押し返そうとするけど、小十郎の身体はびくともしない。それどころか、腰をぐい、と引き寄せられてそのまま背中からソファに倒される。

「ちょっと小十・・・・・ろ・・・・!?」

唇が離れて今度は首筋に歯を立てられる。かぷ、と音を立てられるような感触に思わず鳥肌が立った。覆いかぶさってくる小十郎の無骨な手が器用に動いて服の上から私の胸を揉みはじめ、私は慌てて逃げ出そうともがく。

「やめて!人を呼ぶわよ」
。お前俺から逃げだせると思ってんのか?」

くつ、とからかうような笑みが落ちて、身体をずらして足を持ち上げられてくるぶしにキスをする。途端、電流が走ったような快感に身体が震えた。私が一番弱い場所。普通快感なんて感じないそこを開発したのは小十郎だ。私の身体は最初に開かれた小十郎によって快感を覚えされられたのだから。

「い・・や・・・・・・」
、逃げるな」

ひどい男、だ。無理やりに組み敷いておきながら苦しそうな声で私を封じ込める。この声に私は弱い。それを知っていて武器に使うなんて。それに動き出した小十郎の手は私が感じるところを的確についてきて、もう逃げ出せそうにもなかった。胸を揉まれ、ついと下に降りてきた指先が下着の上から秘所をなぞり、濡れはじめてしまったそこを執拗になぶり続ける。快感を感じ始めてしまえば抑えられない甘い声が私の唇から漏れはじめ、そして私はそのまま小十郎に抱かれてしまった。



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