午後5時を回った時刻。部屋のインターフォンが音を立てた。久しぶりの小十郎とのデート。少しお洒落をした私は上機嫌でドアを開ける。

「よお」
「・・・・・・どうしたの?その恰好」
「そういう言い方はねぇだろうが」

その向こうにいたのは紛れもなく小十郎だったけど、彼は珍しくスーツを着込んでいた。目を丸くする私に「ほらよ」と言いながら花束がつきだされる。

「───────────小十郎?」
「ほら、誕生日だろうが」
「・・・・・・・・あなたの場合、渡し方に問題あると思うけど」
「いいから受け取れや」
「・・・・・うん。ありがと。いい香りね」

私の年齢の数の赤い薔薇と、小さなかすみ草だけのシンプルな花束を受け取ると、ふわりと薔薇の香りが部屋に広がった。ちょっと待ってて、と言って棚から花瓶を出してそれを飾っていると、小十郎は勝手に部屋に上がりこんで冷蔵庫を開けてお茶を飲んでいた。いつものことだから苦笑するだけだけど、小十郎は飲み終わったカップを綺麗に洗ってもとに戻すと、私の部屋をぐるりと見回した。

「またえらい散らかってるな」
「仕方ないでしょ。昨日まで大変だったんだから」
「順調らしいな、お前の会社」
「うん。でも大変だよ。学生だってわかった途端にキャンセルされることもあるから」
「そりゃ仕方ねぇだろ。まぁそんなことでキャンセルする客を相手にする必要はねぇだろ。どうせろくなヤツじゃねぇ」
「相変わらず口が悪いわね」

小十郎の言うとおりだった。会社兼の私の部屋はデザインやイラスト、そしてHTMLの本などが散乱していて、とても女子大生の部屋と言えるようなものではなかったから。でも正直、片付けるだけの気力が残っていなかったのだ。怒られるのは承知だったから小十郎の小言は適当に流して花瓶を一番目立つところに飾りながら笑うと、小十郎はくつ、と笑って後ろから私を抱きしめてくる。

「どうしたの?」
「いや、久しぶりだなって思ってな」
「・・・・・そう、ね」
「今日は寝かせねぇからな」

耳元で低音で囁いてかぷ、と軽く耳たぶに歯を立てられる。思わず声を上げそうになる口元を押さえて、腰から脇腹に伸びてくる小十郎の手を軽くつねってやった。

「で、出かけるんじゃないの?」
「アァ」
「小十郎?」

「チ」と舌打ちの音が聞こえてくるのに、私は彼を見上げながら身体を離す。このまま抱き合っていたらきっと出かけられなくなってしまうだろう、という予感があったからだけど、彼はそんな私の手をとって大通りまで出るとタクシーを止める。いつも彼は面倒だから、という理由で車で来るのに珍しいこともあるものだ、と首をかしげる私に彼は小さく笑うだけで何も答えてくれなかった。


 向かった先は初台にある先日出来たばかりの高層ビルだった。確か国立のオーケストラ用の劇場ができた、とニュースでやっていた。併設されるオフィスビルの屋上には大人向けのバーやレストランがあるらしい。戸惑う私をエレベーターに押し込んで最上階へ向かう。時計を見れば午後6時をわずかに回った時間。出来たばかり、ということもあって、エレベーターもすごい人だった。私たちは最上階で降りてから、バーへと向かって、目を丸くする私をよそに小十郎はボーイに何かを告げると、窓際のカップル席へと案内される。カウンター席ではあるけども、二人ずつ仕切られた空間。椅子は夜景が見えるように並んでいて、私たちはその中の一つへと腰を下ろす。当然初めて来るバーの雰囲気に私は戸惑ったようにあちこち視線を彷徨わせるけど、小十郎は慣れたようにメニューを私の元へと押しやった。

「お酒・・・・・?」
「当たり前だろうが。今日から晴れて酒が飲めるだろ?」
「そう、だけど」
「大人になった祝いだ。好きなモノを飲め」
「って・・・・・・・飲んだことないからわからないよ」

色とりどりのカクテルが並んだページに眉を寄せる。美緒たちと一緒に飲みに行くこともあったけど、未成年の私はジュースで我慢していた。美緒はどちらかというとビールが好きだし、あまりカクテルと言われてもピンとこない。

「初めてならカシスオレンジかモスコミュール、あとはそうだなァ、カルーアミルクあたりが飲みやすいんじゃないか」
「じゃモスコミュールにしてみる」
「俺はジントニックを」

耳慣れないから逆においしいのかも、と思ってそれにした。夜景を謳っているカップル席だけど、まだ夕暮れの窓の外は日常の光景が広がっていて、私はぼぅっとそれを眺めていた。そうしているうちに注文したカクテルが私たちの前におかれて、小十郎が軽くグラスを持ち上げる。私は慌ててそれに倣うと、彼は笑ってグラスを合わせてきた。

「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」

滅多にない小十郎からのお祝いに嬉しくなってそっとグラスに口をつける。「あ、おいしい」と思わず声が漏れた。ライムジュースの甘さとすっきりとした後味に目を輝かせる。ごくごくとジュース感覚で飲み干していく私に小十郎がおい、と手を伸ばす。

「大丈夫か?」
「え?おいしいよ」
「カクテルは見た目よりもずっとアルコール度数は高い。あまり一気に飲むな」
「そういうものなの?」
「ああ」
「ふぅん」

そういっているうちに、くらり、と頭がふらついた。え、とびっくりするより先に小十郎の腕に支えられる。

「ほらみろ。ったく」
「だって・・・・・・・」

甘えるようにすり寄ると、小十郎は一瞬目を丸くしてから、ぐいと私を引き寄せて唇が重なった。小十郎の飲んでいるカクテルの味が口に広がって、苦しくなるまで貪られる。そして唇を離したときは私は肩で息をしなければならないほどになっていたけど、小十郎はモスコミュールを口に含むと、有無を言わせず口づける。

「ん・・・・・ふ・・・・・ぁ・・・・」

飲め、とばかりに喉へ押しやられる液体をこくん、と飲み干してゆく。そうしてすべてを嚥下した私が小十郎を睨みつけると、彼はくつ、と笑って言った。

「お前、甘いな」
「小十郎!」
「続きは後でな」
「───────────バカっ!」

カップル席だからいちゃついているカップルがいてもおかしくはないけれど衆人環視の中で平気でキスを仕掛けてくる彼を睨むけども、小十郎が動じるはずもない。逆に甘い声で囁かれて私は腰が砕けそうになるのをこらえるのが必死で、小十郎の手が私の腰にまわっているのに意識が集中してしまう。

「小十郎、あの・・・・・・」
「何だ?」
「小十郎のカクテル、一口くれる?」
「口移しでか?」
「・・・・・・・・・本気で怒るわよ」

じろ、と半ば本気で睨みつけると彼は軽く肩をすくめて自分のカクテルを私の前へと押しやった。さっきのこともあるから慎重に手を伸ばして口に含む。こちらはジュースというよりは酒の味が口に広がって思わず顔をしかめる。

「にが・・・・・・」
「そうか?ここのジントニックは結構イケる方だと思うが」

くつ、と笑って私の手ごとつかんでグラスに口をつける。そのまま飲み干した彼に私は彼に気付かれないように小さく息を吐き出した。小十郎は私の二つ上のはずだけど正直それ以上に見える。ベッドの上でもそうだし、お酒でもそう。一体どれだけの体験をしてきたのか、と時々漠然と怖くなることがある。私は知らないことだらけでいつも彼に導いてもらってばかりだっていうのもあるけれど。

 結局───────────。ゆっくりとだけど私はモスコミュールをおかわりをしてからバーを出て、小十郎にあきれられてしまった。それから私たちはホテルに入って、カップルらしい夜を過ごしたのだった。



 それから少しして───────────、私は会社と学校との両立でますます忙しくなった。会社の方が軌道に乗ってきたからだ。仕事に追われてデートなんかできない日々が続いた。小十郎は小十郎で坊ちゃんの中学受験がうまくいかないようで何やら忙しいらしい。でもその理由がその坊ちゃんの気に入った学校がない、というのだから私はあきれてしまった。成績は?と聞くと、万年学年トップだから学校は選びたい放題らしい。彼ははっきりとは言ってはくれなかったけど、かなりのお金持ちの家のようだ、というのは私にだってわかる。そうして連絡がなかなか取れないまま季節は廻り、その年の3月、小十郎が大学を卒業した。就職活動なんかしていないようだったけど、無事にどこかの会社に入った、というのは彼の電話で聞いていた。私は生返事で「よかったね」と言いながら、目の前の仕事に夢中だった。結局久しぶりの電話も近況だけでものの10分もしないうちに切ってしまい、そのうち、小十郎から連絡が来ることも少なくなっていった。デートなんて数か月していないような日々がさらに続いて───────────、唐突にその日が来た。



 その日は小十郎との久しぶりのデートだった。と言っても彼にちゃんと会うのは3か月ぶり。電話で話をすることはあっても、それも週に1度近況報告だけの味気ない電話。私は昨日注文を受けていたホームページを無事納品し、その出来にクライアントが喜んでくれ、さらに友人を紹介してくれた。仕事がうまくいっている私はその日、とても上機嫌だった。対照的に小十郎は少し着なれたスーツを来て私を待っていた。夕方、食事をしようと彼が誘ってくれたのだ。彼は車で迎えに来てくれて、ホテルのレストランで食事をした。他愛のないことをぽつりぽつりと話しながら食事が終わってしまうと、彼は唐突にこう言った。

、別れるか」

と───────────。正直、それほどショックではなかった。多分こうなるんじゃないか、って心のどこかでわかっていたから。それに、ここ数か月、付き合っているとは言っても名ばかりで、ほとんどフリーと変わらない生活だったから、さびしいとも思わなかった。今の私には会社が一番大切だったから。

「うん。そうね」

あっさりと頷いた私に小十郎は苦笑した。

「あっさりと頷いたな、お前」
「だって付き合ってるっていう状態じゃないし、小十郎だってほかに好きな女の子、できたんじゃない?」
「いねぇよ。お前こそどうなんだ?俺とのデートはすっぽかして他の男としてねぇだろうな?」
「男とはしてないわよ。仕事が忙しいの。そういう意味では美緒と毎日デートしてるようなものだけど」
「そうか───────────」

来年には私も大学を卒業だし、今年卒業の美緒は就職はしないと言って私を手伝ってくれている。正直、小十郎よりも会社を優先していた。そして会社のことをあれこれと話す私を苦笑したまま聞いていた小十郎が、時計をちら、と見て立ち上がる。

、悪ぃ。送ってってやれねぇが」
「うん、大丈夫。まだ時間も早いし、それよりも今からまだ仕事?」
「ああ。覚えなきゃならねぇことが山のようにあるんだ」
「大変ね」
「まぁ、な。
「何?」
「今までありがとうな」
「え───────────?」
「お前のおかげで楽しかったぜ」
「私も。小十郎に会えてよかった」
「じゃあな」
「うん。元気で」

私が差し出した手を小十郎が握りながら抱き寄せられる。そして軽くキスを交わして、私たちは恋人を解消した───────────。



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