〜現代〜

翌日、私は仮病を使って会社を休んだ。仕事を休む、なんてどのくらいぶりだろう。風邪をひいても自分の会社はほとんど休んだ記憶はない。一度、インフルエンザでダウンしたときだけ休んだけれど、それ以外はとんと記憶にない。でも貧乏性なのか結局同じ時間に目を覚ましてしまい、ゴロゴロとベッドに転がったままテレビをつける。朝のニュースを適当に見ながら携帯をいじる。本当に困った。私にその気はないというのに、社長は小十郎の味方だし、完全に面白がっているとしか思えない。どうやってこの先切り抜けていっていいのかわからない。ふぅ、と溜息をついた途端だった。携帯からメール着信の音が響く。この時間に誰だろうと開けてみると、慶次からのメールに驚いた。

『おはよう。元気かい?いい男ができたら紹介して欲しいな。ちなみにさ、こないだの男はちゃんの彼氏候補?悩みなら聞くよ。時間が空いたら美緒ちゃんと一緒にランチでも行こう』

相変わらずの彼からのメールに思わず笑みが漏れる。それにしても小十郎を見られていたとは思わなかった。どう返そうかと考えているうちに、ふと慶次に相談してみようかと思う。彼は妙に恋愛には敏感でよくみんなの恋愛相談に乗っていた。美緒が結婚するときも慶次の後押しがあったと言っていた。だから今日の昼、会えないかとメールを送ってみる。返事はすぐに戻ってきた。『いいよ。どこにする?』と。私は11時半に行きつけのカフェを指定して送信すると、ゆるゆると起き上がった。



約束の時間。カフェの場所が少しわかりにくいかと思っていたけれど、慶次は時間に遅れずにやってきた。「や」と軽く手を上げる彼に笑って私は中へと入っていった。時間が早いせいかまだ空いていた。今日のおすすめセット、という名の定食を頼むと、慶次は店をきょろきょろと見回してからにこりと笑う。

「いい店じゃん。さすがちゃんはお洒落な店知ってるねぇ」
「ここは安くて美味しくてヘルシーだからたまに来るのよ。それよりも今日は仕事は?」
ちゃんのお誘いを断るわけにゃいかないよ。それよりちゃんこそ、今日は仕事じゃないの?」
「うん、休んだの。ちょっと・・・・・・相談に乗ってほしくて」
「へぇ───────────俺に相談ってこないだの男?」
「まぁ、ね───────────」

歯切れの悪い私をせかすことなく、料理が運ばれて平らげるまで慶次はこちらに合わせてくれていた。そして食後のコーヒーが出てくると私は小さく溜息をついた。

ちゃん、溜息はいけないよ。幸せが逃げていくってね」
「慶次・・・・・溜息をつきたくもなるわ」
「お、核心だね。いいよ。で、何をそんなに悩んでいるんだい?」

軽い調子で告げる彼に、私はぽつりぽつりと話し始める。元々彼とは付き合っていたこと。私の会社は彼につぶされたこと、今の会社に入って彼が私とヨリを戻したがっていることなど。慶次は適当に相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。そして私が洗いざらい話してしまうと、彼は考え込むように腕を組んだ。

ちゃんはさ、その男のこと、どう思ってるの?」
「どうも思ってないわ」
「それは嘘だね」
「え・・・・・・?」
「どうも思ってなければ悩むことはないよ。ちゃんはその男のことが好きなんじゃない?でも会社を潰されたこととか、前の彼氏だとかっていうプライドが邪魔をしてるとしか思えない」
「慶次?」

意外な言葉に私はびっくりして顔を上げる。小十郎に味方している社長や美緒ならともかく、まさか慶次にそんなことを言われるとは思わなかった。

「だったら今、ちゃんにキスしていい?」
「いいわけないでしょ!」
「でもその男のキスはいいんだよね?」
「だから迷惑してるんじゃない」
「でも嫌じゃない」
「慶次!」
「怒らないでよ。それってさ、俺以外の誰かに言われたんでしょ?察するに美緒ちゃんかその男に近い誰か、かな。で、ちゃんは俺に否定して欲しかった、とか」

そう言われて思わず息をのんだ。その通りだった。社長に同じようなことを言われたのは昨日のこと(しかも実践付で)。でも私はそうは思えなかった。小十郎とのことは終わったことであって、今の私の中には小十郎に対する愛情は存在しない。でも───────────慶次にまでそう思われるほど私の心の中には小十郎がいるのだろうか。

ちゃん」
「何───────────」

じっと考え込む私を慶次が呼ぶ。ふと顔を上げた先に唇が触れそうな位置に慶次の顔があって、私は思わず手を振り上げていた。

「っと───────────!」

振り下ろそうとする手を握って慶次がにやっと笑う。「ほらね」と私に向かって無邪気な笑みを見せる彼に私は思わず眉を寄せた。

「悪ふざけがすぎるんじゃない?」
「悪ふざけじゃないよ。ちゃんは無意識のうちに俺が近づくのは嫌だと思ってる。でもその男が近づくのには無防備だろ?今すぐとは言わないからさ、考えてやったら?」
「慶次・・・・・・・」
「だってさ、そいつ、本気だと思うよ。それだけちゃんに無視されても嫌だと言われてもちゃんがいいんだろ?これが逆で俺がその男だったら、本気じゃない女にそこまでできないよ。本気だから待てるんだと思うよ」
「でも」
「って思うんだったら悩んでみたら?俺は恋に悩める女性は綺麗だと思うからさ。大体そこまでアプローチしてくるんだから待たせたって平気だよ」

へらへらと笑う慶次を軽く睨んで私はためていた息を吐き出した。きっと私は彼に否定して欲しかったんだ、と慶次に言われて初めて気が付いた。社長も美緒も、小十郎はいい男だ、と異口同音に言う。そんなことは私が一番わかっていた。彼とつき合っていたのは私だし、彼の良いところも悪いところも知っているという自信がある。でも───────────、私は彼より仕事を選んだ人間なのだ。彼にアプローチされる価値のある人間じゃない。彼を捨てたのはきっと私。別れようと彼に言わせたのは私なのに、小十郎の気持ちに戸惑ったまま、それをただ否定していただけ。それを慶次によって突きつけられて、ふぅ、と溜息をつく。

「ほらほら、溜息はダメだってば。ちゃんの悪いところは理知的すぎて感情的にならないとこだね」
「え?」
「だって仕事のためだって言えば全部押し殺しちゃうだろ。何よりも仕事優先。俺はそんなちゃんはすごいと思うけど、時々は自分が女性で誰かと恋をすることを忘れないでほしいと思うよ」

ふざけているにしては真剣な瞳でそう締めくくって慶次はひら、と手を振ってカフェを出て行った。残された私は冷めたコーヒーをすすりながら自問する。慶次の言うことはもっともだ。感情的に───────────と言われれば最初の小十郎からのメール、何故私は無視しなかったんだろう。呼び出されるままにバーに行って、言われるままに小十郎のマンションに上がりこんで関係を持ってしまった。最初に私が無視していれば、きっと彼は私をあきらめていたのだろう。そういう意味では、今の状況を招いているのは私自身だ。それを小十郎のアプローチだけのせいにしてしまい、狡賢く逃げ回っているのは私の方だった。気づいてしまえば私は何て愚かなんだろうと自己嫌悪に陥った。前に付き合っていた男にも同じことを言われていたのに。『お前は仕事仕事仕事。男なんていなくても平気なんだし、付き合う必要もないから別れよう』と。過去の男は皆そういって別れを切り出してきた。私はそれのどこが悪いのかと思っていた。あのときの私には会社しかなかったのだから。そして長い時間、私はずっとカフェで頭を抱えたままだった。



 翌日───────────。重い身体を引きずって出社する。いつも通り開発室に寄って美緒たちから報告を受けると社長室に向かう。社長は相変わらずの重役出勤だった。小十郎が口を酸っぱくしても社長自身が出勤時間ちょうどにここにいることはない。いつも私が開発室から戻る時刻ぎりぎりに顔を出し、小十郎の小言をバックに書類を決裁している。そんな光景が当たり前だったから、その場に小十郎がいないことに私はやや面食らった。

鞄を席に置き、パソコンを立ち上げる。メールを一通りチェックしていると、そこには報告メールの他に1件、気になるメールが入っていた。差出人は長宗我部さん。仕事の件で打ち合わせがしたい、日時は任せるので連絡が欲しい───────────と。社長からは長宗我部さんとの打ち合わせは私に任されている。今日のスケジュールを確認して午後3時に空いている。今日の午後3時半にお伺いするというメールを打つと、社長が姿を見せた。

「Good morning、、体調は戻ったか?」
「はい。ご心配をおかけいたしました」

こちらを見てにやりと笑い、頭を下げる私にひらひらと手を振る。本当に何とも思っていないとわかる態度に私は半分ほっとして席へと戻り、社長に今日の午後、長宗我部さんとの打ち合わせのための外出を告げると、彼は軽く肩をすくめて「任せた」とだけ言ってどっかと足を机に投げ出した。きっと小十郎がここにいたら「政宗さま」と怒るんだろうけど、私がそうしてやる義理はない。見なかったふりを決め込んで席へと戻り、自分の仕事を開始させた。


「はい?」
「小十郎のヤツ、今日と明日出張にやった」
「そうですか」
「どこに行ったか、気にならねぇか?」

ちら、と私が社長を見て、「いいえ」とだけ告げると、わざとらしく舌打ちして立ち上がる。そのまま私の机の書類をかき分けて仕事の邪魔をするように腰を下ろすと、彼はじっと見つめてくる。

「可愛くねぇなぁ、アンタ」
「お褒めの言葉と受け取っておきます」
「Shit・・・・・・」

無言のまま私の机の上に腰を下ろしたままの社長に視線を上げる。

「社長、失礼ですが邪魔をしないでいただけますか?昨日の仕事がたまっておりますので」
「Ah?嫌だっつったら?」
「片倉専務に言いつけます。子供じゃないんですからご自身が仕事をされないのはともかく、私の邪魔をしないでいただきたいのですが」
「・・・・・・・・アンタ、やっぱりそういうトコ、小十郎にそっくりだぜ」
「───────────社長」
「All right」

もう一度大きな舌打ちの音がこれ見よがしに聞こえたけど、私はそれも聞かなかったふりで社長が離れていくのを視線の端にとらえる。「面白くねぇなぁ」という独り言も無視すると、彼は自分の机に戻って仕事を始めたのだった。



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