重い身体を引きずるようにして会社に戻る。ふう、と何度目かわからないため息をつくと私は断罪される罪人の心持ちで社長室へのエレベーターへと乗り込んだ。相変わらずなめらかに上昇し、軽い浮遊感を伴って停止する。そしてエレベーターから降りたホールで長宗我部さんが私を待っていた。

「あ・・・・」
「あー、すまねえ」

思わず硬直する私に彼は軽く頭をかいてちら、と視線をそらす。

「謝らないでください」
「そうじゃねえよ。すまねえな、あんたを困らせちまった」
「いえ・・・・・・・・お気持ちは嬉しいのですが」
「あーそのことなんだけどな・・・・・・・忘れてくれ」
「は?」
「いや、その、な・・・あー、マジで悪かった!!」

長宗我部さんの態度に首をかしげる。何かそれほど謝られるようなことがあったのかしら、と考えてみても、さっきの告白ぐらいしか思いつかない。

「いや、その───────────さっきのアレな、独眼竜の考えなんだよ」
「は?」
「いや、あいつがさ、あんたがどう考えてるか試してみろっつうからさ、あんたはきっと軽く笑い飛ばすか、いつもみてえに無視されちまうかと思ってたわけだ。だったら冗談だって笑い話にできると思ってた。だけどあんたがあんなに真剣に考えるとは思わなくってよ。、本当にすまん!」

ぽかんと口を開けた私が彼の話を理解するまでにしばらく時間が必要だった。

「最低───────────」
「だよな・・・すまねえ」

だとすれば私の悩んだ時間はなんだったのか。だけどそれ以上に社長のやり方にふつふつと怒りがこみ上げる。人を人とも思えないようなやり方に人を翻弄して楽しむような悪趣味はあの社長の悪いクセだ。

「では、あのキスも嘘だったわけですね」
「え・・・・・・あ・・・・・・・怒ってる、よな・・・・・・・」
「当たり前です」
「嘘じゃ、ねぇよ」
「は───────────?」
「嘘じゃ、ねぇ。独眼竜にせっつかれたのもホントだけどよ、あんたがあの時うんと言ってくれたら右目からかっさらうつもりだった。嘘じゃねぇ」
「それ・・・・・・・・は・・・・・・・」
「だけどさ、あんたが真剣に悩んでたからまずいって思ったのさ。俺は困らせるつもりはなかった。ただ、俺を選んでくれたら俺は好きな女にあんな顔をさせねえよ」

すっと差し出された手に戸惑う。まるで好きな人にするような仕草。彼のオフィスでは私はその手を振り払うことができなかった。そして今も。

「いや、困らせて悪かった。だが───────────」
「え・・・・・・」
「あんたを欲しいって思ってんのは本当だ。だがこんなやり方はフェアじゃねぇな。忘れてくれ」

困惑したまま固まっている私にひら、と手を振って社長室を指差して「そろそろアイツ、しびれを切らす頃だぜ」といたずらっぽく笑って彼は私が乗ってきたエレベーターへと消えた。どういう意味だろう、と深く考えるのは後回しにして、私は怒りを抱えたまま社長室へ向かい、軽いノックの後に部屋に入る。

「so late!どこで油売ってやがった」

深く椅子に座り、行儀悪く机の上に足を組んだ状態で社長がじろ、と私を見る。私は一つ深呼吸して彼の前で頭を下げる。

「申し訳ありません。誰かの悪知恵のせいで悩んでおりまして」
「Ah?」
「社長、はっきりと申し上げます」
「何だ?」
「プライベートに口出しするのはおやめください。迷惑です。まして長宗我部さんまで巻き込んで何をなさっておいでですか。社長の本業はこの会社を守ることではありませんか。一従業員のことなど捨て置いてください」

一気に言いきってもう一度頭を下げる。言いたいことは言った。これで義理は果たした、と踵を返す私の背に社長の声が飛ぶ。

「待てよ。勝手に帰るんじゃねぇ」
「すみません、体調がすぐれませんので」

嘘じゃない。社長に振り回されているとガンガンと頭が痛くなる。そのままドアを開けようとする私の手をいつの間にか側に来ていた社長にすごい力でつかまれる。

、こっち見ろ」
「放して、ください」
「アンタ、俺の仕事はこの会社を守ることだって言ったな?」
「───────────は?」
「バカを言うな」
「社長?」

まったく予想外の言葉に驚いて彼を見上げる。その先に真剣な表情の彼の隻眼があって、私は思わず息を飲み込んだ。

「アンタ、自分の会社をそういう風に見てたんだな」
「社長、おっしゃってる意味が───────────」
「だからあっさりと潰される羽目になるんだろうが」
「───────────っ」

一瞬───────────、心臓を鷲掴みにされたのかと思った。息が止まって、彼を見上げる瞳には恐怖が浮かんでいたのかもしれない。

「いいか、会社ってのは、守ることもそりゃ大切だが、それ以上に大きくするってのも大切なんだよ。テメェの力でどれくらいの大きな仕事ができるか、それをやるためにどうすりゃいいか、ひとつひとつ考えていくのが社長の仕事だ。だがアンタはそれを怠った。だからあっさりと小十郎に潰された。自覚しろ」
「───────────そ・・・・ん・・・・・・・」
「先を見て、舵を取んのが社長だ。間違ったとしても言い訳も許されねぇ。その両肩には社員全員の生活と人生がかかってる。だからこんな面白ぇゲームはねぇ。アンタはそれを忘れたんだ。俺たちがやらなくてもアンタの会社はいつかはこうなる運命だった。それは会社がどうこうじゃねぇ、社長のアンタの采配がまずかっただけだ。いつまでも甘ぇこと言ってんじゃねぇよ。アンタのせいで路頭に迷うかもしれなかった社員たちのためにアンタは償わなきゃならねぇ。それがどういう形になるかはアンタ次第だがな」

今まで、目を逸らしてきた現実を突きつけられる。そう、だった───────────。会社がなくなったのは私のせいだ。私がしっかりしていなかったから、まだ大丈夫なんて甘いことを言っていたから───────────。小十郎はそんな私の甘えを容赦なくついてきただけ。私がちゃんと守るつもりなら守り切れた。そんな後悔が苛んで、気が付けば私はぽろぽろと涙をこぼしていた。

「オンナってのは便利だな。泣きゃいいと思ってやがる」
「ちが・・・・・っ・・・・」
「違わねぇだろ。だったらアンタが泣いてんのは何故だ?後悔か?遅ぇよ。泣くんだったらもっと前に泣け」

それでも社長は容赦なく私を責める。一言一言がまるで心に刺さるナイフのようで。崩れ落ちる私を社長は一瞥しただけで手を差し伸べもしなかった。自分の席に戻って足を組んだ彼はじっと私を捕らえたまま。

「ま、今の俺にとってのアンタは都合のいい秘書で面白ぇおもちゃでしかねぇがな。ここまで言われて悔しいんだったら這い上がれよ。アンタはそれだけのモンを持ってたんじゃねぇのか。小十郎が選んだ女がそんな腑抜けだったなんてな。とんだ茶番だぜ」

吐き捨てられた言葉に怒りが湧き上がる。ずっと───────────、一か月以上彼の側にいたのに、彼はずっと私をそんな風に見ていたのだろうか。ただ使い勝手のいい秘書で、小十郎の弱みでもある私で遊ぶためだけに側に置いていたのだろうか。

、ひとつゲームをしようぜ」
「───────────」
「アンタにひとつ会社を任せてやる。期間は一年。今小十郎が視察に言ってる会社だ。お前は小十郎と協力して会社を軌道に乗せろ。できたらアンタの願いをなんでもかなえてやる。You see?」
「・・・・・・・失敗、したら───────────?」
「Ha!失敗することを今から考えんのかよ!」
「───────────条件は最初にクリアにしておくのが交渉の第一だと思いますが」
「そうだなァ・・・・・・・・ま、順当に考えてアンタは首だな。小十郎のヤツは他の仕事で挽回してもらう。ま、アイツにゃいい薬だろうしな」

当然といえば当然の答えに私はく、と唇を噛んだ。当然この賭けそのものを拒否することもできる。今まで通り、社長の側で秘書として何事もなかったかのように過ごして彼の嫌がらせにも耐えて───────────、でも私はそんなことはしたくなかった。それに、もう一度チャンスがあるのならやってみたい、とそう心の底から湧き上がってくる欲求にふぅ、と大きく息を吐き出して社長を睨みつける。

「───────────やります」
「Ha!そうこなきゃな!明日資料をやる。今日はいい。帰れ」
「はい」

「なんでしょうか?」
「期待してるぜ」

ぐいと涙を拭いた私の背に思いがけない声が飛ぶ。思わず振り向いてしまいそうになるけど、私は軽く頭を下げただけで社長室を後にした。あれだけのことを言われたのに、悔しいという感情よりも、私は新しい仕事を任される高揚感に言いようもなく酔っていることに気付きもしなかった。そして社長がどんな表情を私の背でしていたのかも私は察しようともしなかった。



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