二日後。いつも通り出社した私を待っていたのは出向の辞令だった。二日後より向こう一年間伊達の子会社への出向を命ず、というものだった。それ自体は私が希望していたからいいとして、問題はその出向の場所。宮城県仙台市青葉区。住所からはわからないけれど、きっと繁華街の中に中にあるのだろう。はめられた、と私は本気で社長を睨みつけた。彼は意図的にその子会社の場所を私に伝えなかったのは明白だったから。
「社長───────────」
「Ah?何だ?」
にやり、と笑う彼に私はふるふると震えた。完全に思惑通り、という表情にひらひらと手を振った彼は私に追い打ちをかける。
「マンションはこっちで用意してある。会社から徒歩で5分。必要な家具や家電は運び込ませてあるからお前は自分の荷物だけ持ってけばいい。ああ、2週間に一度、こっちに帰ってくる切符代は会社から出してやるからな。仙台までなら新幹線でわずかに1時間半だ。通えねぇ距離じゃねぇ。感謝しろよ?」
感謝しろよ、と言われてはいありがとうございます、といえるほど私は人間ができていない。だけどこれ以上何か言うともっと自分に跳ね返ってくるのはわかっているから、私は唇をかみしめるしかなかった。その時、部屋をノックして小十郎が姿を見せた。辞令を握りしめて唇をかみしめている私と楽しそうに笑う社長を見比べてわずかに目を見開いた。
「政宗さま」
「Ah?どうした?」
「いえ、出発のご挨拶にと思いましたが・・・・・・、どうした?お前準備は?」
「───────────取り急ぎ準備して参ります。専務、着任は明後日からでよろしいですか?」
「あ、ああ。構わねぇが。政宗さま、ですが本日と明日公休にしても」
「別にいいだろ?オンナは準備に時間がかかるだろ?ま、別に海外に行けって言ってるわけじゃねぇ。必要なモンは現地で買いな。領収証を出したら経費で落としてやるよ」
「───────────失礼します」
にやにやと笑う社長をよそに荷物をまとめると私は彼に頭を下げて会社を出る。知らなかった、といえば言い訳になる。社長からこの話を持ちかけられたときにちゃんと確認していない私が悪いのだ。どこが条件をクリアに、よ。と自嘲したくもなる。そんな私を社長はにやにやと笑っているだけだったから余計にだ。会社を出て、足早に地下鉄に降りようとした時だった。携帯が震えて着信があることを知らせてくる。相手は、と見れば会社の携帯番号。今出たばかりなのに、と思いながら通話ボタンを押した。
「はい、です」
「おい、今どこだ?」
「───────────小十郎」
「家まで送ってってやる。乗っていけ」
「・・・・・・・結構よ」
「阿呆」
「え───────────?」
「お前、荷物はどうする気だ?」
「それは、宅配便か何かで・・・・・・・」
「今から梱包して取りに来てもらう気か?俺は車で向こうに向かう。持っていってやるよ」
「でも」
「でもじゃねぇ。今どこだ?」
小十郎の言葉に思わず沈黙する。もしかして彼は仙台まで運転して向かう気なんだろうか。確かに今から準備して宅配便を呼んでも着任当日に荷物がちゃんと着くかどうかわからない。初日だからスーツも必要だし、それまでに必要なものだってある。小十郎の申し出は正直ありがたかった。だけど、それが小十郎でなければ私は飛びついていただろうけど。
「おい───────────、ああ、そこにいろ」
「え───────────?」
唐突に通話が切れると同時に私の目の前に黒塗りの車が滑り込んできた。驚く私に運転席に座る小十郎が乗れ、とばかりにドアのロックを開けた。少し迷いながらも、私は小さく息を吐いてドアを開いた。
「小十郎、運転中の携帯はマナー違反だと思うけど」
「アア?ハンズフリーにしてある。問題ねぇだろ。いいから早く乗れ」
せかされるままに助手席に乗りドアを閉める。すぐに車は走り出して私のアパートへと向かう───────────。って、小十郎は今の私の部屋を知っているの・・・・・・?
「小十郎」
「何だ?」
「もしかして、私の今の部屋知ってるの?」
「さっき調べた。お前は正式に俺の部下になったからな。部下の住所ぐらい知っててもいいだろ?」
「それ、職権乱用って言うんだけど」
「言ってろ。政宗さまがな、俺たちが仙台に行っている間、1週間に一度、ヘルパーを入れて下さるそうだ。そのために調べただけだ」
「───────────普通単身赴任するって言うと、引っ越せって言われるものだと思ってたけど」
「そりゃそうだろ。今回のはあくまでも例外だ」
「そう、なの───────────」
「ああ。期限は一年だが、政宗さまの腹ん中じゃ半年で終わらせるつもりらしいぜ」
「半年!?」
「俺はそう聞いた。一応お前の手前一年と言っちゃいるが、半年でケリをつけろってな。それよりも短い分には問題ねぇ。そんだけの短い期間だからな。いちいち引っ越す方が金がかかる」
「それは、そうだけど」
思わず口ごもった私をちら、と見ただけで小十郎は何も言わなかった。それにしても、社長は一体どれほど小十郎を信頼しているのだろう。会社の立て直しなんて、普通数年単位で実施するというのに、私には一年と言っていた。それでも短いと思っていたのに、半年でなんて。確かに小十郎の手腕はすごいと思う。だけど今まで何人もの人間が送り込まれて全員失敗しているというところに乗り込んでいって、わずか半年で何かができるとは正直思えなかった。もしできたとしても、それは下手をすると社員全員を入れ替えるような荒療治になるんじゃないか、と思う。
「社長は」
「アア?」
「ううん。一体あの人はどういう人なの?」
「どう、と言われてもなァ」
「だってあなたがずっとつきっきりだったんでしょ?」
「まぁな。あの方は伊達の御曹司で、ただお一人の方だ」
「答えになってないわ」
「」
「何?」
「俺はあの方は竜だと思っている」
「───────────は?」
「俺たち常人には見えていないものがあの方には見えている。そう思うときがある。あの方にとっては俺もお前も手足のひとつにすぎねぇのさ。ただそれが優秀か否か、それで手足を入れ替えておいでだがな。俺の目から見て、政宗さまはお前に随分期待をしておいでのようだ」
「───────────私?」
「ああ。あの方は、その・・・・・あまり女性を信用なさらない。だがお前は違う。秘書としてきちんと仕事をするお前の手腕は認めておられる。自信を持て」
小十郎が常人じゃないなんて思わない。だったら私は一体何だというのか、と自嘲が漏れる。私はいつだって小十郎を追いかけていた。恋人だったときは彼の隣にいたいと必死で。今は上司である彼の背中をずっと追いかけている。正直、伊達に入っての数か月で彼の優秀さは身に染みた。そんな彼が未だに私を求めてくれるのはどうしてなのか、まだ答えが出ない。
「ねぇ小十郎」
「何だ?」
「どうして───────────」
「アァ?」
「───────────ううん、なんでもないわ」
付き合っていた頃は彼との距離がこんなに開いているなんて思ったこともなかった。私は私を信じていたし、小十郎を追いかけるのはとても楽しかった。でも、十数年経って再開した時、私はこんなにも戸惑ってしまっている。彼は遥か彼方にいるのに、振り返って私の手を取ろうとしてくれている。彼のアプローチに素直に諾と言えたらどれほど楽だろうか。
「」
「何?」
「向こうのマンションだが」
「ええ」
「一応お前が怒る前に言っておくが、俺と隣の部屋だからな」
「───────────そんなことだろうと思ったわ」
「政宗さまは同室にしてやるとおっしゃっていたがな、それをするとお前はさっさと逃げてしまうだろうからな。俺から断っておいた。ま、別に同じ部屋でも構わなかったがな」
「私が構うわ。小十郎、私たち付き合っているわけじゃないのよ。そんな男女が同じ部屋なんて、勘弁してほしいわ」
「」
「何よ」
「お前、好きな男でもできたか?」
「え───────────?」
「それともお前にアプローチしてきてる男がいるか?」
「───────────それ、は」
一瞬、長宗我部さんのあの真剣な表情が私の脳裏をよぎる。社長にけしかけられた、と本人は言っていたけれど、あの真剣な瞳を思い出すと息が詰まる。そして無言になった私に小十郎は何も言わなかった。そのまま車を走らせて私の部屋へと到着すると、彼は二時間後にまた来る、と言って戻っていった。てっきり上り込むのかと思っていただけに拍子抜けしたけど、やらなきゃならないことは山のようにある。クローゼットの奥底に眠らせておいたスーツケースを出して、普段着や下着などを片っ端から詰めていく。最悪は社長の言うとおり現地調達もできるけど、着なれたスーツや靴はなかなか代わりがある訳じゃない。さすがに歯ブラシやシャンプーなんかは現地でそろえるとして、化粧品や携帯の充電池など───────────、思いつく限りのものを詰め込んだ。小十郎が持って行ってくれるから重いものから遠慮なしに詰めて、パンパンに膨れたスーツケースの口を閉めて時計を見上げると、あっという間に二時間近くが過ぎてしまっていた。耳を澄ませば表に車の音がする。小十郎が戻ってきたのだろう。私は大きなそれをゴロゴロと転がしながら玄関を開けると、そこには予想通り小十郎の姿があった。但し───────────、今朝見たスーツ姿じゃなく、休日のようなシャツにパンツ。今から長時間の運転になるから楽な恰好にしたのだろうと思うけど、私は一瞬、言葉を失った。
「、荷物はこれか?」
「え、ええ」
「他には?」
「まだあるけど、これだけでいいわ。残りは宅配便でも支障がないから」
「そうか」
それだけを言って私では転がすのがやっとのスーツケースを軽々と持ち上げて下の車のトランクへと入れる。そしてまた玄関へと上がってくる小十郎は今の労働を何とも思っていないような涼しい顔で私に言う。
「すまねぇ、水か茶があればもらえねぇか?」
「え、ええ。ちょっと待ってて」
「上がるぜ」
「え、ちょっと小十郎・・・・・!?」
私の許可の前にさっさと上り込んで冷蔵庫を開ける。そういえばしばらく留守にするならこの中も空にしなきゃ、と思いながらもカップを用意してやると、彼はお茶のボトルを取り出してカップへと注ぐ。
「お前は?」
「え・・・・あ・・・・うん。少し飲もうかしら」
「カップ寄越せ」
「ええ」
そして私の分のカップを置くとなみなみと注いで私に寄越す。小十郎は余程喉が渇いていたんだろう。一気に飲み干して二杯目を注いでから今度はゆっくりと喉に押し込んでゆく。
「懐かしいな」
「え───────────?」
「お前、茶はこれじゃなきゃダメだって言ってたな」
「え?ああ、うん」
「なぁ」
「何?」
「これが終わったら───────────」
「え・・・・・・・・?」
「本気で考えてくれねぇか」
「小十郎、何度も言ってるじゃない。それは」
「あれから何か月だ。お前の気持ちは変わらねぇか?」
「───────────それ、は」
「渡したくねぇ」
「え───────────?」
「他の男なんぞにお前を渡したくねぇ。、俺のものになってくれ」
真剣な言葉に、私は思わずそのまま固まった。小十郎のことは嫌いじゃない。心底嫌いなら私はきっぱりと会社を辞めていた。だけど彼とつき合っていたころの気持ちは蘇ることはない。だから小十郎とは専務と社員の関係でいたい、それが私の結論だと思っていた。でも───────────、今の彼の声にどくん、と心臓が大きく音を立てた。付き合っていた頃、私たちは双方を束縛しないという協定の上で成り立っていた。だから小十郎が私に対して束縛してきたのは記憶にない。それが、今の彼の必死な表情と逃がさないと明確に告げる腕が私を捕らえて離さない。付き合っているときですら見たことのない彼の独占欲に絶句する。彼にもこんな感情があったのだろうか、そして私は彼のその情熱に応えられるような女なんだろうか。
「少し、考えさせて」
「───────────」
「お願い。小十郎のことは嫌いじゃないわ。でも、前にも言ったけど私の中ではあなたは終わった人なの。そう言われても正直困るわ。だから、少し時間を頂戴。気持ちの整理をつけたいの」
「わかった」
「今回のことが終わったらちゃんと返事をするわ。それでいい?」
「ああ」
もう、逃げられない───────────。ずっとのらりくらりと逃げてきたけど、小十郎は本気で私を求めてくれているんだ、ってわかったから。最初はからかっているのか本気なのか判断がつかなかったけれど、今の彼の表情を見て、もう逃げられないと思った。彼と過ごした私の数年は今でもいい思い出で、今も、彼とこうやっているのは嫌いじゃない。彼の腕も、瞳も、声も、あの時すべてを彼にささげていた私が彼のことは嫌いになれるはずがない。だけど今まで過去のこと、と逃げていた私に、今までのツケがまわってきたのだ。もし彼から逃げ出すのなら、私はすべてを捨てて逃げ出さないといけない。そう、思った。