オフィスに戻った私を小十郎が待っていた。言葉通り私が食事を済ませているうちに私のレポートを読んだらしい。それをいくつかに分けると彼は私に投げてよこす。乱暴なやり方に小さく溜息をついてしまうけど、彼が投げてよこしたそれの中身を確認すると苦笑が漏れた。使途不明金を追及した小十郎に対する前役員の自分勝手な言い分をまとめただけの書類だった。
「任せた」
「───────────わかりました。弁護士の先生と相談します」
「それは構わねぇが十日で結論を出せ」
「・・・・・・・・・・かしこまりました」
「それからこっちのは使えるヤツだけ抜き出した。新役員に渡せ。あぁ、今日の午後三時からの会議資料は」
「できております。パワーポイントと印刷したものを20部用意してありますが」
「あと5部用意しろ。進行はお前に一任する。好きにやってみろ」
「───────────はい」
指示を出すだけ出して恐らく食事に出たのだろう、彼の背中を見送って私は詰めていた息を吐き出した。本気を出した小十郎の威圧感にまだ身体が慣れない。にしても個人の裁量でできる範囲じゃないと社長に文句の一つも言いたくなるほどの仕事量だ。以前に聞いたことがある。普通これだけのことをこなそうとするのなら秘書の三人や四人いるというのに、彼は秘書を雇おうという気はないらしい。彼曰く、私がいればいい。と言われた時は何と返していいか反応に困った。私の能力を買ってくれてるのは嬉しいけれど、余程複雑な顔をしていたんだと思う。小十郎はそんな私を見てにや、と笑ってみせた。
「お前がつぶれるんだったら政宗さまはそれまでと斬り捨てるだろうな」
「社長にとって私はやっぱり遊び道具の一つに過ぎないのね」
「それが悔しいんだったら乗り越えて見せろ。まぁお前がつぶれるんだったら俺がもらってやるから安心しろ」
「───────────謹んでお断りさせていただくわ。いいわ、社長がそのつもりなら私も負けてられないわ」
じろ、と笑う小十郎を睨みつけて私はここにいない社長に宣戦布告をした。彼はにやにやと笑うだけで何も言わなかったけれど、あれから私は何をするにも時間配分と効率を考えるようになった。そうでなくてはとてもこなせない仕事量だったからだ。今まで自分では計画的にやっていたつもりでも、どれだけ無計画だったのかが身に染みる。そんな私を見ながら社長は笑っていたのだと思うと腸が煮えくり返る。その時点で私を斬り捨てることはできたはずなのに、小十郎が言うように、社長は私を買ってくれているらしいというのは半分は事実だろう。それならば私がやることなど決まっている。彼を見返すために働くだけだ。
時計はもう午後二時を回っていて、私は頭の中で仕事を整理しながら優先順位をつけてゆく。今日の会議は私がホストだからまずはこれからだろう。だけど、わかってはいるけれど相変わらずこの会社の女性蔑視は続いていて、それを考えるだけでも気が重い。内示はしてあるけど、明日から新しい役員の任命も同時に行われる。先日のレポートに基づいた小十郎の選出の役員たちだ。彼らはまだ頭が柔らかい部類には入るけれど、正直伊達の本社とは比べものにならないくらい頭が固いことには変わらない。良い方へ変わってくれればいいけれど、と思いながら私はプロジェクターとパソコンを持って会議室へと向かった。
時間になって席についた新役員たちは一人を除いてホスト席に座る私をじろりと見て無視することに決めたらしい。まだ姿を見せない小十郎を待つだけになった。小十郎に聞いた話だけれど、何人かの女性社員に役員の内示をしたそうだけどことごとく断られたらしい。女性が権力を持つことに慣れていないせいもあるのだろうけれど、家庭との両立ができないというのはまだましな理由で、今のポジションが楽だからなどという役員になる資格があるとは思えない理由の女性もいて、私はあきれたものだ。それに───────────どうせ役員にするのならと雑賀さんを推薦したものの、小十郎は彼女が派遣社員であることを理由に拒否されてしまった。結局男性だけの役員になってしまったのだけど、正直今の反応で彼らが小十郎に対してしか敬意を払わないのだという事実をインプットする。彼に言わせると使えない役員は切る、らしい。その第一関門が私に対する態度だそうだ。というよりもどれだけ意識が低いのかと言ってやりたくもなるのだけれど。
「すまねぇ、遅くなった」
時間を少し過ぎて小十郎が姿を現した。全員を見回してちら、とこちらに視線を向けたのは『始めろ』の意志表示。頷いた私はまず彼らに対して、現在の社長代行である小十郎から役員の人事を伝え、辞令を手渡した。全員事前に内示が行っていたから何も問題なく進み、次に私は用意していたパソコンを用いながらこの会社の現状とこれからの指標を彼らに説明していった。ここまでは特に何も意見は出なかった。当たり前といえば当たり前。この会社の業績、純利益、経費、宣伝費、それに対する費用対効果など。私がこの会社に入ってから得た内容を見た目にわかりやすくしただけの資料だ。だけどそれすら見たことがないのか、新役員たちは一様に唸りながら手元の資料に目を落としていただけだった。そして質疑応答を、と告げる私に一人の役員が手を上げた。
「片倉、この資料はどこからもってきた?」
「経理部に依頼をしてお借り致しました」
小十郎に聞くようにしているが、彼は答えないまま私を見る。答えろ、と言っているらしい。別に変なルートを使っているわけではないから私はそのまま説明した。
「会計士を通しているのかね?」
「は───────────?」
「通していないのか、だから女は使えないんだ。第一こんな重要な書類を女ごときが勝手に閲覧するなどあってはならないことだ。その責任を片倉、お前はどうとるつもりなんだ!?」
「、その書類は会計士のチェック済みか?」
「無論です。昨年度の経営状況として四季報にもある程度は乗せている情報です。ただここまで細かいものですと、本社にしかございませんから」
「違法にとってきたモンじゃねぇな?」
「当然です。正式な手続きを踏んで経理にお願いして提出いただいたものですから。それに、この書類を出してきていただいたのは女性の方でしたが」
ちく、と嫌みを交えて答えると、その男はふん、と鼻で笑って背もたれに身体を預ける。これ以上話すつもりはないという意思表示のような態度に私はちら、と小十郎を見る。
「この資料の出所云々はどうでもいい。内容に対して意見のある者は?」
じろ、と場を見回してもほとんどの役員たちが小十郎と視線を合わさないように目を伏せる。だが、ただ一人、おろおろとしながらも小さく手を上げた者がいた。
「なんだ?」
「その・・・・あのぅ・・・・・・ちょっと気になっただけ、なんだけど」
「言ってみろ」
「なんだっけ・・・・・・・そのぅ・・・・・・・費用対効果、だっけ・・・・・・・あれ、あんまり良くないって・・・・・・その・・・・・僕は思うんだけど・・・・・・・・」
「ほぅ」
目を細めた小十郎に「ひぃっ」と悲鳴を上げて机に隠れる様に、私はヤドカリを思い出した。彼はこの中では一番の若手だった。もしかしたら社長とあまり年齢は変わらないぐらいかもしれない。確か名前は小早川秀秋くん、だったかしら。会議室に入ってきたとき、私を無視するわけでもなく会釈をしてくれたたった一人が彼だった。
「だから、その・・・・・・・もうちょっと費用を抑えて・・・・・・・れ・・・ば・・・・・・・・・」
「そうは言うが、これ以上経費も抑えようがないだろう。少しは考えて物をいえ」
「は、はい・・・・・・・」
だけどその彼もさっきの役員に一喝されてきょろきょろと場を見回してしゅんとしてしまう。正直、私は彼の意見に賛成だった。というよりもこの会社の無駄の多さには正直あきれて物が言えなかった。役員たちは一人につき公用の高級車を5台と運転手5人がつき、その車はすべて新車で購入し、3年後の車検のときには新しい車に入れ替える。馬鹿馬鹿しいほどの無駄遣いだと思う。そしてその新しい車に入れ替えるときの古い車の売却益はどこを探しても見つからなかった。一台が1,000万近くの高級車だ。三年落ちとはいえ、下手な社員の年収よりも高く売れるはず。それを役員たちは毎回自分の懐にプールしていたとしか思えなかった。
「費用は抑えられねぇ、か?」
「無論だ。最大限努力はしている」
「他にそう思う者はいるか?」
ぞくりとした声音で小十郎が役員たちを見回した。さすがにそれには役員たちは危険を察知できたらしい。きょろきょろと忙しく場を見回してうつむいた彼らに小十郎はぴくりと眉を上げる。
「他に意見のある者は?」
返ってきたのは無言だった。そうか、と無機質に告げた小十郎は私に向かって次、と指示を出す。頷いて私は新しい資料を表示させた。これは役員たちには紙では配っていないものだ。
「今までの実績を踏まえまして、経費削減策をご提案いたします───────────」
その資料の説明が終わった後、返ってきたのはまたもや無言だった。但し、先ほどとは違う悪意をこれでもかと含んだものに違いなかった。「ご意見を」と告げようとする私を制して、小十郎が全員を見回した。
「これは政宗さま───────────社長からの削減策だ。全員無条件で従ってもらう。従えねぇ者はこの会社には必要ねぇ。とっとと辞めろ。残りたけりゃ従え。全員、よく考えて明日までに結論を出せ。辞表を出す奴は俺の所に持ってこい。それから───────────従ったとしても無能な者は全員切り捨てる。さっきのことを無能呼ばわりした者がいたが、の能力は社長のお墨付きだ。俺と二人で全役員と社長の仕事全てをやっていることを考えりゃわかるだろ。それすら気付けねぇ者もいらねぇ。明日から出社しなくていい。それから小早川」
「は、はいぃぃっ!?」
「お前を明日から執行役員へと選任する。の補佐につけ」
「ぼ、僕が執行役員って・・・・・・む、無理ですよぉっ!!」
「、頼む」
「かしこまりました」
「ちょっと、ちょっと・・・・・!僕の意見もぉっ!!」
「文句を言う暇があるなら今の案に従ってどうすれば達成できるかを考えろ。それが会社役員の責任だろうが。以上で解散だ」
パン、と小十郎が手を鳴らすとそれが合図だったかのように解散になった。最初に私に悪態をついた役員は私の所につかつかとやってきて「覚えてろ」と小十郎には聞こえない声で言って去っていったのには呆れてしまったけれど、片づけを始めた私を最後まで残っていた小早川くんが手伝ってくれた。
「あのぅ・・・・・やっぱり僕・・・・・・」
「小早川さん、明日からよろしくお願いしますね」
「無理!無理ですよぉっ!!どうして片倉さんもあなたも無理なことを言うんですかぁ・・・・・・・」
───────────前言撤回。ヤドカリじゃなくて捨てられた子犬みたい。それも段ボールの中に入れられてクーンクーン鳴いている柴犬を思い出した。
「無理なことは言ってないわ。あの資料を見て客観的におかしいと感じてくれたのでしょう?だったらその打開策を一緒に考えましょう」
「うぅぅぅ・・・・・・僕にもできるかなあ・・・・・・・」
「できます。ねぇ専務」
「アァ?」
「ひぃっ!!」
もう一度、と残って資料に目を通していた小十郎に振ると、彼は面倒そうに顔を上げた。途端、小早川くんの悲鳴が響いて私は小さく噴き出してしまった。
「出来る出来ねぇんじゃねぇ、やれ」
「専務、もう少し言い方というものが」
「アァ?いちいちうるせぇ。小早川、テメェがやらねぇなら他の人間を当たるまでだ。ちんたらやってる時間はねぇ。、次の役員候補は?」
「───────────無理を言わないでください。それよりも専務、やはり私は」
「却下だ。派遣社員は役員にゃなれねぇ」
「だったら、彼女が正社員になれば解決できますよね?」
「なんだと?」
「彼女に聞いてみます。もし彼女がこの会社の正社員への話を受けてくれるのであれば」
「無駄だろ」
「どうしてですか?」
「無駄だ。だがお前がそこまで言うならやってみな。ま、徒労に終わるだろうがな」
バサリと斬り捨てる彼の言葉に私はすぐには頷けなかった。もし雑賀さんが役員になってくれたら、きっと私たちと一緒に前を向いて仕事をしてくれるのに、と思う。だから諦められなかった。私は小十郎の言葉を無視して、彼女にコンタクトを取ろうと慌てて片付ける手を早めたのだった。