数日後───────────。弁護士から元役員たちを業務上横領及び特別背任罪で告発する準備ができた旨の連絡があった。私はそれを小十郎に伝え、彼はそのまま告訴するように指示を出した。それにプラスして私と小十郎のことをマスコミに無断で公開した名誉棄損、それから報道したマスコミそのものにも同じように名誉棄損で告訴する旨を弁護士に伝えると、彼は私たちがそう言うのは予想の範疇だったのか、すでに準備が出来ていますとの返答だった。そのまま手続きを進めて欲しいことを伝えると、私は小さく息を吐いた。これが受理されれば今私たちにまとわりついてくるマスコミたちの攻撃はなくなるだろう。

「思ってたより早かったな」
「そうね。かなり急かしたから」
「あぁ、上出来だ」

次の仕事にかかろうとする私の背に小十郎の声がかかる。その声に思わず私は手を止めた。滅多にない彼からの賛辞。びっくりして振り向くと彼はにや、と笑って顔を上げる。

「どうした?」
「なんでもないわ。あなたが人を褒めるなんて珍しいって思っただけ」
「俺はそんなに冷血漢じゃねぇ。きちんとした仕事をするヤツはちゃんと褒めるさ」
「───────────そう。でもそのハードルはかなり高そうだけど」
「当たり前だろうが。普通の人間が普通にこなせるのは出来て当然だ。だがそれ以上をやった人間に対してはきちんと評価しているつもりだ」
「そう・・・・・かもしれないわね」
「何だ、その言い方は。それともお前ももっと褒めてくれ、という人間と同類か?」
「そりゃ・・・・・・・褒められて悪い気持ちになるはずがないでしょ」
「ま、それ以上を望むならそれなりの成果を出してからだな」
「それ以上って・・・・・・・」
「政宗さまに認められたいなら、もっと精進しねぇとな」
「わかってるわ」

彼の言うとおりかもしれない。確かに小十郎の評価は恐ろしいほどに公平だ。そこに私情は一切入らない。だから彼が褒めてくれるのだから私は胸を張っていいのだと思う。だけど───────────なんだろう、そのことに少しさびしさを感じてしまうのは。

ちょうどその時、私の机の電話が鳴った。2コール足らずで取ると、ダイヤルインでかかってきたらしい。相手は興信所だった。小十郎の指示で彼の懇意にしている(何故懇意にしているのかは怖くて聞けなかったけど)興信所に先日会議に出席したメンバーの身辺調査を頼んでいたのだ。そのうち、至急と頼んでいた小早川くんの基本情報だけだが判明した旨の報告だった。随分早いと思ったけれど、資料はメールで送ってもらうように依頼して電話を切る。私がその話をしている間も小十郎は黙々と仕事をこなしていて、私がそれをプリントアウトして彼の所に持っていくと、小十郎は手を止めて資料に手を伸ばした。

、お前これには目を通したか?」
「いえ。今来た資料ですから」
「だったらもう一部刷って目を通せ。───────────成程な」
「何かわかったんですか?」
「まぁな。面白いことが書いてあるぜ」

にやにやと笑う彼につられるように席に戻ってファイルを覗き込む。PDFファイル形式になっているそれをざっと眺めてみたけれど、小十郎が何を見つけたのかはわからなかった。でもそれを素直に口に出すのはどこか悔しくて、もう一度ゆっくりと上から読んでゆく。でも二回目もそれほど面白いと思うものはなかった。ちら、と彼を見ればもう興味は失ったように自分の仕事に戻っていて、私はきゅ、と唇をかみしめた。これが彼と私の差なのかもしれない。同じものを見ているのにこれほどの差があることをまざまざと思い知らされる。だけどここで彼に聞いてしまえるほど、プライドは低くない。もう一度───────────、と目を通しているうちに、私はふと目を止めた。

「専務、これ───────────」
「遅ぇ。何度目だ?」

くつ、と勝者の笑みを浮かべる小十郎には目もくれずに私は引っかかったところを食い入るように見つめる。それは彼の家族構成───────────、正しくは彼の父方の家系だった。彼の祖父の職業。会社役員と書いてあるが、その会社名が伊達と対立している毛利グループを形成する会社だったのだ。

「小早川が奴らの手先の可能性が高くなってきたな」
「待って───────────、でもお祖父さまが役員であっても、彼自身が関わっているという証拠にはならないわ」
「真っ白っていう証拠でもねぇな」

私の反論は笑みを含んだ声に封じられる。その時だった。私の頭の中で何かが警鐘を鳴らしたのは。そもそも何故彼は小早川くんを役員に選出したのか、という疑問だった。確かに彼はこの会社には珍しいタイプだった。でも年齢からいくと、新入社員を卒業したばかり。何か仕事で成果を上げているということもなかった。その彼をわざわざ役員にまでしたのか、社員全員に提出させたレポートはむしろ支離滅裂で、私は彼のレポートは使えない部類に入れていた。それを拾ってまで何故彼を役員にしたのか、という疑問に行き当たる。そしてその答えは一つしか出てこなかった。

「・・・・・・・・・・ねぇ、もしかしてこれが目的だったの?」
「何がだ?」

くつくつと笑う彼は私が言いたいことをわかっているとしか思えなかった。彼が動き出すように、とわざと彼を役員にして野に放していた、という事実に。彼が動かなければよし、動けば彼は他の会社から派遣されたスパイとしてあぶりだすために。

「あなた、最初からこのレポートを見ていたの?」
「最初からじゃねぇがな。役員を再選出する時、全員の身辺を洗い出した」
「ということは───────────」
「当たり、だ。お前にしちゃ気付くのが随分遅かったな」
「・・・・・・・忘れていたわ。あなたが手段を選ばない人間だってこと」

やっと納得がいった。この間再選出された役員は全員小十郎が他の会社からのスパイ、もしくは前役員の手足となっている可能性がある人間だということに。最初から反発を示す者は後者である可能性が高い。表だって対立してくる人間は全て排除し、残った人間はこちらに服従するか、もしくはこちらに友好的なポーズを見せて裏で画策しているか、その検分のため。中でも一番こちらにすり寄ってきた小早川くんが怪しいと小十郎は最初から睨んでいたのだ。

「それで、どうするの?」
「どう、とは?」
「小早川くんのこと。彼は」
「お前が言ったんじゃねぇか。ヤツ自身が関わってる証拠にゃならねぇと。だったら尻尾を出すように仕向けりゃいい」
「・・・・・・ブラフを仕掛ける、ということ?」
「まぁ、そうだな。協力しろ」

当然のように告げる彼に、私は小さく息を吐いた。正直、こういうやり方は私は得意ではない。相手を罠にかけるようなことはできるだけやりたくないから。それと同時に、何故社長があれだけ小十郎に信を置いているのかも理解した。彼はきっと社長のためならどれほど汚れた手段も取れるのだろう。今までも、そしてこれからも、彼はためらいなく大鉈をふるい続けるのだろう。だけどそれは、人としての心の痛みを置き去りにする、ということになる。それはとても悲しいことなんじゃないだろうか。

「ねぇ小十郎」
「何だ?」
「あなたは何故そこまで・・・・・・・・」

そう言いかけてから、彼の鋭い視線がこちらに向いているのに口を閉じた。私が彼のことを言える義理はない。

「何だ、俺の心配をしてくれるのか?」
「───────────悪い?」
「いや、嬉しいぜ。珍しいこともあるもんだな。明日は雨か」
「ふざけないで」

眼は笑っていない癖に口元だけにやりという笑みを作る。作ったとわかる口調に私は少しキツイ口調で応じてやる。そして頭を冷やそうと部屋を出ようとする私の腕を小十郎がぐい、と引いた。何を、と言いかける前に彼はじっと私を見つめた。

、で、お前はどうするんだ?」
「え───────────?」
「このことを公表して俺を追い落とすか?確かに俺の取った手段は褒められたモンじゃねぇ。叩かれりゃ埃なぞいくらでも出てくるだろうよ」

挑発する彼の視線が射抜くように私を見つめる。つかまれた腕がじんじんと痛い。適当なことを言って逃げ出すことはできなかった。低く響く彼の声は本気を含んでいて、私は彼をじっと見つめたまま目が逸らせなくなった。息をすることすら苦しい。喉がカラカラに乾いてくる。身体が金縛りになってしまったように動けない。そして今彼が言っていることは間違いなく真実なのだ、と思う。彼がこの会社に来てやっていることはそれだけの危険を伴っているのだろう。

どのくらいにらみ合っていたのかはわからない。沈黙を破ったのは私だった。乾く喉に唾を押し込んで口を開く。

「私以外にそれをできる人間がいるの───────────?」
「いや、俺がこういう手段を取るときに同行したのはお前が初めてだ」
「それは、私に追い落とされてもいいということなの?」
「───────────やれるもんならやってみな。但し、俺は敵対するヤツには容赦をしねぇ。会社を潰しただけでお前を見逃したのを忘れたわけじゃねぇよな」

ひゅ、と喉が嫌な音を立てた。忘れたわけじゃない。社長の指示で彼が私たちの会社を潰すだけにとどめていたのはわかっていた。わかっていたけれど、考えないようにしていた。後ろを振り返っても何も変わらない。だから今は前に進むことを考えていたから。だけど彼は容赦なく私の古傷を抉り出す。

「今のお前は俺には勝てるはずもねぇ。小早川のことにしてもそうだ。お前は人を信用しすぎている。ま、個人的にはお前のその甘い所は結構気に入ってるがな」

そして息をのんだ私に小十郎は低く釘を刺してくる。『やれるものならやってみろ、但し、次は俺に身も心も屈服するまで容赦はしねぇ』声には出さないけれど、小十郎の言いたい言葉が私を貫いてゆく。彼の言うとおりだった。私は彼には勝てない。それは私が一番よく知っていた。

「・・・・・・・・・・やらないわ」
「いい返事だ」

絞り出すように告げる言葉に、小十郎はようやく私の腕を離して、つい、と唇を撫でていった。彼を裏切らないという誓いのキスの代わり、とばかりになぞられた唇を私はハンカチでぬぐう。

「あなたを裏切るつもりはないわ。私は私で自分の仕事をやるだけよ。でも───────────」
「何だ?」
「私はあなたのやり方は好きじゃないわ。人を罠にかけるのは人の道に劣るやり方よ。私は私であなたと違うやり方を探ってみたいの。それでは駄目かしら?」
「───────────いや、お前らしいな。いいぜ。好きにやってみな。成果が上がるのを楽しみにしてるぜ」
「本気で言ってるのか、わからないわね」
「本気だぜ?お前の手腕を一番買ってるのは俺だからな」
「人を陥れる人の言葉は言葉半分で聞いておくわ。それよりも、小早川くん以外の役員の件、私に任せてもらっていいかしら?」
「アァ」

頷いた彼に背を向けて部屋を出る。ずん、と身体にのしかかる重さを払拭したかった。休憩室に向かう私はこの時、周囲のことなど考えることもできなかった。そう、私の背をじっと見つめる視線があるなんて、この時は想像だにしなかったのだ。



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