定時の鐘が鳴ると、私はいそいそと立ち上がった。つい先ほど、弁護士からマスコミ向けに告訴していたものが受理された旨の連絡があったからだ。外で待つマスコミの数もこれで少なくなるだろう。ようやく小十郎と離れて一人で行動できる。そのことが嬉しくてたまらない。ここしばらく朝から晩まで部屋にいるとき以外はずっと彼と一緒だったから、自分の好きな買い物もかなり抑えていたからだ。机を片付けている私に、小十郎は不思議そうに顔を上げた。

「何だ、帰るのか?」
「───────────ええ。たまにはね、息抜きさせて欲しいわ。それに東京に戻るチケット、買ってこようと思って」
「そうか」
「せっかくだから回数券を買ってこようと思っているのだけど、経費で落としてもいい?」
「構わねぇが・・・・・・・・別に行く都度買えばいいだろうが」
「回数券の方が一回当たりが安くなるの。期限はあるけど何度も往復するのがわかってるのなら、お得じゃない」

私にとってはごく当たり前のことを言ったつもりなのに、小十郎は驚いたように私を見ていて、首をかしげる。

「小十郎?」
「いや───────────、お前にそんな感覚があったのかと思っただけだ」
「どういう意味?」
「何でもねぇ。いいから先に帰れよ」
「ええ。そうするわ。お先に」

軽く頭を下げた私に彼はひらりと手を振るだけに留めていた。昨日までは帰るなら俺も一緒に帰ると言い張っていたのだけれど、さすがに今日は時間が時間なのもあって追いかけてはこないようだった。久しぶりの定時での帰社。エレベーターを待つ間にうーんと身体を伸ばしてどこに行こうかと考える。ウィンドウショッピングもしたいし、久しぶりに外で食事もしたい。お酒も飲みたい。独りで入れるバーも開拓したい。それに映画も見に行きたい。休日も小十郎と一緒だったからやりたいことは沢山ある。でもどれも始めてしまえば時間を忘れてしまいそうだったから、まずは駅に行ってチケットを買ってしまおうと地下鉄に乗り込んだ。

駅についてみどりの窓口で無事にチケットを手に入れて、街へと戻ろうとした時だった。ポケットに入れている携帯が震えているのを感じて取り出してみれば、携帯からの着信だった。登録していない番号。でも会社からかもしれないと思って耳に当てる。

「もしもし」
『あ〜、、か?』
「はい。その声・・・・・もしかして長宗我部さん?」
『アア。久しぶりだな』
「ええ。お久しぶりです。どうしたんですか?」

本当に彼の声を聞くのは久しぶりだった。少なくとも仙台に来てからは一度も連絡を取っていなかった。びっくりして聞き返すと、彼は少し無言になってからこう告げた。

『アンタ、今仙台だってな』
「ええ。専務と共に出向してますが・・・・・・・」
『えーとさ・・・・・・・今俺も仙台駅にいるんだ』
「は───────────?」
『アンタの顔が見たくなってよ、つい、来ちまったんだ。で、会えねぇか?』
「長宗我部さん・・・・・・・」
『悪ぃ。急にそんなこと言われたら驚くよな。今日じゃなくて構わねぇ。明日でも明後日でもアンタの予定が空くまで待つつもりだ。その・・・・・俺のために時間取ってくれねぇか?』

驚いて声が出ない。東京で長宗我部さんが私に告白して以来、連絡を取っていなかった。そのまま私が彼の会社の担当を外れたせいもある。だから声を聞くのはあれ以来だ。変わらない声、だった。

『俺がんなこと言っても信用してもらえねぇか。そうだよな、俺はアンタにひでぇことをしたんだ。信じてもらえねぇのも仕方ねぇよな』
「───────────今、駅のどちらですか?」
『新幹線の改札出たとこにいる。今からホテル取ろうかと思ってんだが』
「近くにいますのでそちらに行きます。同じ場所にいてください」
『マジか?あぁ、待ってる』

それを聞いて電話を切る。どうしようかと考えるまでもなかった。エスカレーターを上がり新幹線口へとたどり着くと、そこには印象的な髪の長宗我部さんが手ぶらで立っていた。私を見るとちょっとはにかんだような笑顔で手を挙げる。

「よう、早ぇな。本当に近くにいたんだな」
「よう、ではありません。脅かさないでください」
「悪ぃ。でもよ、アンタの顔が見たくなったのも本当だ。ちっと痩せたか?」
「いえ。それよりも荷物は?」
「あぁ、ま、数日なら金がありゃ何とかなると思ってな。まさか今日会えるとは思わなかったが」

あっさりと告げる彼に私は絶句した。たとえ数日だとしても手ぶらで旅行など私には考えられない。だけど彼はにこにこと笑うだけで、本当に何とかなると思っているらしい。溜息をつこうかと思っていたのに、そう告げられることに思わず吹き出した。くすくすと笑う私を長宗我部さんはじっと見つめてくる。

「本当に長宗我部さんは面白い方ですね。もし私が会いたくないと言ったらどうされるつもりだったんですか?」
「あー、まぁそん時は独眼竜にでも手を回してな、会えるまでは諦めねぇつもりだったぜ」
「・・・・・・・それ、冗談ですよね?」
「本気に決まってんだろ。で、会って早々すまねぇ、ホテルどっか空いてるか探してぇんだ。観光案内所かなんかねぇか?」
「・・・・・・・ちょっと待ってください」

確か私の住んでいるマンションの隣は空いていたはずだ。社員の出張にホテル代わりに使っているはずだから、空いていれば使っても良いだろう。職権乱用、かもしれない。でも何故か、この時の私は彼をホテルに泊めるとは考えられなかった。そして小十郎の番号を呼び出して長宗我部さんが来ていること、泊まるところを探していると告げると、彼はちょっと待ってろ、と言って一度電話を切った。

「おい、今の」

どうやら会話の内容から察しがついたらしい。少しバツの悪い表情だけど、私は小さく頷いた。

「ええ。専務に調べていただいてます。私が宿泊しているマンションは社員の出張にも使っているので、空いていれば使ってもらえます」
「いや、でもよ、俺っちは一応部外者だぜ」
「まぁ、そのあたりは専務が何とかするでしょう。それよりも本当に何も持ってこなかったんですか?」
「ああ。そうだなぁ、下着ぐれぇは調達しねぇとな」
「───────────それはどうぞご自由に」

軽口のつもりなのだろうけど、本当に手ぶらで旅行に来てしまったことが信じられない。そんな話をしている間に私の携帯が音を立てた。見れば小十郎からで、ちょうど昨日から来週いっぱいまで空き部屋が出るとのことだった。そこに長宗我部さんを泊めてもいいか、と聞くと、「いいんじゃねぇか」と無愛想且つ適当な返事が返ってきて、私は肩をすくめた。

「1、2泊なら大丈夫だそうです。荷物がないのでしたらどうしましょうか」
「だったら、仙台のうまい店案内してくれよ。やっぱり仙台っつったら三陸の牡蠣と海の幸だろう?」
「牛タンのお店でしたら知ってますが───────────牡蠣ですか?」
「それより、、アンタの用事があれば付き合うぜ。一人より二人の方が楽しいだろ?」

最初に小十郎に連れていってもらった牛タンのお店は今も私のお気に入りのお店の一つになっている。せっかく仙台にいるのだから、と思ったけれど、長宗我部さんのリクエストに首をひねる。魚介類の方が好きだったとは知らなかった。でも確かに彼が言うようなお酒が出るお店には一人では入りにくいのは事実で。私を呼び出してしまった埋め合わせだろう。軽く頭をかいてそう言ってくれる彼に私は小さく笑う。

「そうですね。では付き合っていただけますか?ウィンドウショッピングになると思いますけど」
「ああいいぜ。ついでにアンタのこともいろいろ教えてくれよ。仕事じゃねぇ、アンタをさ」
「───────────え・・・・・?」
「行こうぜ」

ぽんと肩を叩かれて歩き出す彼の背を追うように歩き出す。正直に言えば、長宗我部さんの顔が見れて私も少し嬉しかった。あの時、変な別れ方をしているのだから尚更。でも屈託なく笑う彼の笑顔がとてもまぶしく見えた。仙台に来てあんな風に笑ったことがあっただろうか。誰かと一緒にいて、楽しいと思ったことがあっただろうか。毎日が緊張と仕事に追われ、マスコミに追われ、小十郎と一緒にいることを義務付けられて、私はいつの間にか笑うことを忘れていたような気がする。

「なぁ
「何ですか?」
「アンタ、やっぱり笑ってる方がいい」
「え───────────?」

唐突にそんなことを告げる長宗我部さんにどくん、と心臓が音を立てた。私を見る彼の瞳がまぶしそうに細められる。まるで小十郎が私を見る瞳のように。

「さっきのアンタ、まるで右目のようだったぜ。小難しい顔をしてさ。こっちでの仕事、そんなに大変かぃ?」
「ええ。まぁ」
「だよなぁ、あの右目と二人きりだもんなぁ」

だけどそんな動揺を隠すように私は前から気になっていたことを聞いた。

「長宗我部さんは片倉とは長い付き合いなのですか?」
「長いってより、深い、が正しいかもな」
「え・・・・・・・?」
「昔、ヤツとやり合ったことがあってな。まぁ、結局決着は着かず仕舞いだったがよ」
「そう、なんですか」
「アン時はまだ独眼竜も家を継いだばかりだったし、俺っちと折り合える条件を提示したらあっさりと手を引いたがよ、アイツは独眼竜にゃ勿体ねぇ男だと思うぜ」

───────────知らなかった。そんな昔からの知り合いだったなんて。だけど長宗我部さんの評価は正しいものだった。小十郎はただ社長の幼い頃から教育係として側にいるだけじゃない。彼自身の手腕は私も目の当りにしているし、あの社長が心から信頼しているのは専務だけ。社内のそんな噂が立つのもわかるし、事実半分はそうなのだろう。社長は本当に信頼している人間は数少ない。小十郎、成実さん、綱元さん、そして長宗我部さん。それは社長の態度を見ていればわかる。私が彼の担当だったときの無言のうちの信頼は正直少し羨ましくもあった。

「まぁ、正直、アイツを敵に回したくはねぇな」
「それは、同感です」
「ハハッ、意見が一致したな。強面の上にあの辣腕じゃあなぁ。誰でも尻尾を巻いて逃げ出したくもならぁ」

その言葉に私は小十郎の顔を思い出して吹き出した。くすくすと笑う私を見て、長宗我部さんはすっと瞳を細める。その表情でわかってしまった。私を笑わせるためにあんな言い方をしたのだと。私の中に、小十郎がいることを彼が知っているということも。

「なぁ、時間が勿体ねぇ。タクシーで行こうぜ」
「え、ええ」

始めて仙台に来たわけではないのだろう。スタスタと先を歩く長宗我部さんに引かれるように私たちはタクシーへと乗り込んだのだった。



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