〜過去〜


19歳の時、私は都内のM大学に入学した。高校をアメリカで過ごした私は気がつけば人よりも周り道をしてしまっていた。アメリカの学校は秋から始まり秋に終わる。10月末に日本に戻っから私は忘れていた日本語を思い出すことから始まった。幸いにして留学していたことが好材料になって普段の私の学力よりも上の学校に入学することができた。だけど、その入学式の日に私の人生の中で大きな出来事があった。


「信じられない・・・・・」

クタクタになってたどり着いた校門は集合時間からほんのちょっと過ぎてしまっていた。日本の朝のラッシュというものを私は失念してしまっていたからだ。すし詰めの電車。息もできないくらい密着する気持ち悪さと下手に視線を動かそうものなら、それだけで人に酔ってしまう。アメリカで日本の電車は痴漢が多いなどとやっていたけど、なるほど。これじゃ痴漢もでるはずだ、と妙に納得しながらようやくたどり着いた校舎ががらんとしていた。人気がないわけではない。全生徒は入学式の前のホームルームの真っ最中の時間だったから。

「ええと・・・・・・」

校門近くに張り出されていたクラス割りで自分のクラスを確認して、私は途方に暮れた。校内の地図がどこにもなかったのだ。キョロキョロと見回す私の後ろの上からずんと響く低音が降ってきた。

「おいお前。どうしたんだ?」

その声に振り向いて、私は「うわ・・・・」と情けない声を上げてしまった。ヤクザがどうして学校のしかも校内にいるの・・・・?と硬直してしまう。かなり背が高い。160cmの私でもかなり見上げないと視線が合わない。でもすらりとしているというよりもがっしりとした体つきにオールバックの髪に極め付けは頬に走る傷跡だ。どう見ても堅気の人には見えない男に私はどうすることもできずそのままフリーズした。

「おい固まってんじゃねえ。新入生か?」

重ねられる声に我に返って、私はかくかくと人形のように頷く。何をされるんだろう、と不安が胸をよぎる。でもいざとなれば大声を上げて人を呼べばまさか殺されることはないだろう、と心の中で値踏みする。

「どこの科だ?」
「け、経営学科です」
「だったらここじゃねぇぞ。隣の校舎の3階だ」

くい、と示された先に確かにもうひとつ建物があった。本当かどうかはわからないし、やくざに案内されるわけにもいかないと迷う私の目に、彼の手に持つテキストが目に入ってきた。『経営学』と見間違いではない文字がその表紙を飾っていて、私は戸惑ったように彼を見上げる。

「あのぅ・・・・・・もしかして先輩ですか?」
「あ、アァ。まぁな」
「そうなんですか!?」
「それより、そろそろ行かねぇとヤバイんじゃねぇか?」

ぶっきらぼうな口調ながら、どうやら彼は立ちつくしている私が困っているんじゃないかと声をかけてきてくれたことをようやく理解する。思っていたよりもいい人なのかもしれない。その強面でさえなければ。そして私は彼にお礼を言って頭を下げた。

「ありがとうございます!」
「礼を言われるほどの事じゃねぇよ。おら急がねぇと入学式に間に合わないぜ」

その声に押されるように私は駆け出した。校舎に入ったところで振り返ったけれど、もうあの人はいなかった。夢でも見たのかな・・・・・と思いながらすでにホームルームが始まっている教室に駆け込んだときには、その男のことは頭の片隅に追いやり入学式が終わるまでには忘れてしまっていた。

入学式が終わるともう一度教室に戻り単位の計算の仕方などを習って三々五々解散になる。早速友人を見つけたらしい女の子たちがサークルの見学に繰り出していくのを見送って、私はしみじみと日本の女の子は一人じゃ何もできないのかと思う。

私は、というとどうしようかと窓からグラウンドを見下ろして、ホームルームで渡されたサークルの一覧をパラパラとめくった。大小合わせて五十以上あるサークルは生徒の自主性をやしないます、なんてお題目がうたってあるけれど、私は賑やかなグラウンドを見ながら、入りたいサークルはないかと物色する。できれば会社の経営のノウハウを研究するようなサークルがいい。学校の勉強とは違う実地のものが。そう考えれば、ボランティアでもやるのがいいのかもしれないな、と思いながらページをめくって、その一ページに手を止めた。

「これ、いいかも・・・・・・」

私が見たのは学生有志が経営するカフェの宣伝だった。実際に自分たちで店舗を借り、メニューを考えるところから店舗の内装、仕入れなどすべてを自分たちでやっているという。サークル、というよりも経営することを体験するという趣旨らしい。趣味のサークルなど入る気なんかなかったから、私はそのカフェがある場所をチェックして鞄をつかんで教室を出た。



 学校から駅までの間にある商店街の中にそのカフェはあった。覗き込んでみるとちらほらと客が入っており、外の看板を見ていると今はランチの時間らしい。メニューはランチで5種類。パスタと定食。和と洋のものが取り揃えてあり、学生がやっている、と聞いていなければ普通のカフェと変わらない。むしろ普通のカフェよりも居心地のよさそうな雰囲気すら感じては意を決して扉を開く。

「いらっしゃいませ〜」

数人のスタッフが感じのいい声をかけてくる。こちらへどうぞ、と言われて座ってパスタを注文する。テーブルに置いてある小物はどうやら手作りらしい。宣伝代わりの名刺型の店舗の名前と電話番号、そしてスタッフ募集の文字を眺めて店内を見回した。外から見たときは素朴な印象があったが、白とこげ茶を基調としたタイルがはめ込まれ、どこかセンスの良さを感じさせる。そうしているうちにパスタが運ばれてきた。トマトソースとニンニクのいい香りが鼻をくすぐり、くぅとお腹が音を立てた。いただきます、と手を合わせてフォークを持って口に運ぶ。どうせ学生たちがやっているのだから、レトルトにちょっと味付けしたのかも、と思っていたけども、その予想は外れて本格的なトマトソースのうまみが口に広がった。

「あ、おいし・・・・・」
「ありがとうございます」

思わず口に出した言葉にスタッフがにこりと笑って頭を下げてくれた。お腹がすいたせいもあってあっという間に食べ終えてしまうと、私はスタッフの仕事が落ち着くのを見計らって声をかける。

「あの」
「はい?」
「私、M大学の学生で、これを見たんですけども」

そういってサークル勧誘の冊子を見せると、スタッフは軽く頷いて私を奥へと手招いた。小ぢんまりとした部屋には壁にいくつかのロッカーと段ボールが山積みになっていた。真ん中に置いてある机とパイプ椅子がスタッフの休憩室であることを示しているけれど、私は示された椅子に腰かけた。

「嬉しいなぁ。新入生?」
「あ、はい」
「で、ここを選んだってことは、自分で何かやりたいの?」
「はい。いつか会社を興そうと思ってます」
「そっか。うん、合格」
「は・・・・・?」
「いや〜、こういうとこだから、お金のない人が無銭飲食するために来たりとか、バイトだと思ってくる人が多いんだよね。でも私たちは真面目にやってるから。あなたみたいな人がもっと来てくれるといいんだけど」
「はぁ・・・・・・・」
「じゃあ経営の方の手伝いをお願いしてもいいかな?今収支を計算できるスタッフがいなくて困ってたの。もちろん手が空いてればウェイトレスとか手伝ってほしいけど」
「わかりました」
「ええと、じゃ名前、教えてくれる?私、藤田美緒。2回生よ」
「私はといいます。よろしくお願いします」


これが美緒と私の出会いだった。美緒は私の一つ上の学年で同い年。私たちはすぐに仲良くなった。それから少しして、その日は美緒はお休みで私ともう一人のスタッフでの開店の準備をしていた。入ってみて知ったことだけど料理だけはちゃんと資格を持った人がやっていた(当たり前だけど)。でもその人がメニューを考えるわけではなく、その人も学生たちのカフェのコンセプトに賛同してくれた老年の人だった。自分の店はたたんでしまって半分ボランティアで料理だけをやってくれているそうだ。ありがたいなぁといつもみんなで話をしながらだったけど、この日はちょっとしたトラブルが起こってしまった。

「どうしよう・・・・・・」
「・・・・・・・うん」

二人して顔を突き合わせて冷や汗を垂らす。開店前の材料チェックの時間。今日のメニューのためにかぼちゃをレンジで下ゆでしようとしていたときにそれは起こった。シェフはまだ来ていないけども、非常事態に私たちはどうしていいのかわからずに立ちつくしていた。理由は簡単。今まで使っていた電子レンジが壊れてしまっていたから。基本レトルトは使ってはいないけれど、蒸す、煮る、の時間がかかることは電子レンジが頑張ってくれていたのに昨日の夜、このあたり一帯が雷で停電があったらしく、それが原因になってしまったようだ。それだけならまだいい。悪いことは重なるもので使っていたコーヒーメーカーまでが嫌な音を立てて止まってしまった。うちのカフェのコーヒーは海外の結構有名なメーカーのものを使っていた。だからというわけではないけれど結構評判がいい。新しいものを買おうにも、決定権を持っている代表とはまだ連絡が取れない。事後承諾でもいいんじゃないか、と言ってみたものの、私ももう一人のスタッフも何をどうしていいのかもわからない。

「今日、閉店にした方がいいのかも」
「やっぱり、そうですよね。私たちじゃどうしようもないし」

そうしていると、裏口が開いてシェフが顔を出した。静まり返っている私たちに驚いたようで事情を知った彼はちょっと考えて携帯を手に取った。どこにかけているのかはわからないけれど、数言話をしただけで通話を終了させて、きょとんとしている私たちに彼はにこりと笑っていった。

「大丈夫。責任者を呼んだから」

その笑顔に私たちは半信半疑で顔を見合わせたのだった。



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