シェフの言う責任者は、それから10分ほどでやってきた。というよりも、私が知っている人だった。入学式の日、戸惑っている私に声をかけてきたあの男だった。驚く私に彼は気づかないままシェフに不機嫌そうな顔のまま口を開いた。
「おう小十郎。すまないな」
「いえ、で、状況は?」
「レンジがもうダメだな。コーヒーメーカーもなぁ」
「そうか」
渋い顔のまま何の気なしに店を見回した彼が私を見て視線を止めた。瞬間、眉間にしわが寄ったのは私の見間違いなのだろうか。
「お前、何でこんな所にいやがる?」
「え・・・?あの」
ドスの利いた声に固まってしまった私にシェフがゆったりと口をはさむ。
「ちゃんは少し前に入ってきてね。それよりも小十郎、あの方に連絡が取れるかね?とりあえずレンジは今日調達してしまいたい。コーヒーはとりあえずはドリップで出すしかないだろう」
「と言ってもレンジは業務用だ。今日納品は出来ないだろう」
「家庭用の上位品でもダメかね?」
「ないよりマシだろうが・・・どうせちゃんとしたのが来たらすぐに捨てる羽目になるだろう。どうせ誰も買い取らねえだろうが。仕方ねえ、とりあえず機材が揃うまで閉店だ」
「え・・・・・」
思わぬ一言に私とスタッフが異口同音に声を出す。だけどそれは彼らには綺麗に無視された。
「それは責任者としての決定かね?」
「ああ」
「じゃ仕方ないね。だが小十郎、閉店して売上は大丈夫か?」
「適当なモンを出して常連客に敬遠されるよりゃマシだろうよ」
ため息交じりに告げる低音に私たちは顔を見合わせた。今の二人の会話でまるでヤクザのような彼がこの店の責任者というだけでも信じられないのに、確か彼はまだ学生のはずで。学生たちが経営するカフェだとは知っていたけれど、まさか彼が、とぽかんとする私たちにシェフが苦笑していった。
「聞いてのとおりだよ。なぁに、休みと言っても数日だろう。すまないが今日は張り紙をして帰るとしよう」
「あ、はい」
そう言い残してシェフは本当に張り紙をして帰ってしまい、私たちはどうしようか、と視線を交わすが、もう一人の彼女は軽く肩をすくめて「お疲れ様」とさっさと帰ってしまった。一人残された私は、といえば、下ごしらえをしようとしていたかぼちゃがキッチンにそのまま出ていたのを思い出してキッチンに戻る。それを保存袋に入れようとしていたときに、私のすぐ後ろで声がした。
「おい、まさかそれをそのまま入れるつもりか?」
「わっ!?は、はい。そうですけど・・・・・」
「そこまでやったんだったら蒸してしまえ。ガスは大丈夫なんだろう?」
「たぶん・・・・・」
「アァ?どけ。俺がやる」
突然のことに飛び上がる私の手からかぼちゃを取り上げてさっさと鍋を用意して底に水をためて、蒸し器を取り出してそのうえにかぼちゃを乗せる。そうして蒸し上がるまでの間、私はじぃっと彼を見上げて観察する。第一印象と変わらない頬の傷とまるでヤクザのような雰囲気を除けば、意外にハンサムだと思う。目つきがちょっとアレだけど、整った顔立ちは人によっては男らしいと騒がれそうだ。
「お前、名は?」
「あ、です。この間はありがとうございました」
「いや、大したことはしてねぇ」
そして、思っていたよりも優しい人なんじゃないかと思うのはこういうやり取りだ。
「あの・・・・あなたは?」
「あぁ、すまねぇ。俺は片倉小十郎だ」
「片倉、先輩」
「先輩はよせ」
「じゃあ、片倉さん?」
「ああ。それでいい」
名乗った彼に「片倉先輩」と復唱すると、彼は軽く苦笑を浮かべて手を振った。そのふっとゆるんだ表情に私は思わず目が釘付けになった。笑うとこんなにかわいいんだ、ととくん、と心臓が音を立てる。
「え?でも」
「」
「はい」
彼が低い声で私の名を呼んだ。たったそれだけなのに、じぃっと私を見る彼の眼差しに頬が熱くなる。
「俺がこの店の責任者だっての、内密に頼む」
「えぇ?どうしてですか?」
「ちぃっと訳ありでな。さっきのもう一人にも口止めしといてくれ」
「頼む」と言いながら、軽く私の肩に手を置いて「そろそろいいか」と鍋を開けて中を見る。さっきからまるで少女のように名前を呼ばれただけで頬を赤くしている私のことなど目に入らない様子に、私は逆に安心した。まさかたったそれだけのことで真っ赤になるなんて、私ってばどうしちゃったんだろう。
「」
「はい?」
「お前、独り暮らしか?」
「え、ええ」
「じゃあ持ってけ」
「え!?」
蒸し上がったかぼちゃを取り出すと、いい香りが部屋に広がった。思わず鼻をひくつかせる私に片倉さんは笑いながらキッチンにあるタッパを取り出してかぼちゃを半分入れて私に差し出した。
「今なら塩を少しかけたらうまいぜ。もしくは冷まして裏ごしでもしてポタージュスープにでもしたらいい」
「いいんですか?」
「どうせ数日は店を閉めるんだ。このかぼちゃは足が早いからな。さっさと食わねぇとダメになる。持ってけ」
「あ、ありがとうございます」
「タッパは今度戻しとけ」
「はい」
思わず受け取ってしまった私が頷くと、彼は小さく笑って鍋を片付けはじめていて、私はタッパをテーブルに置いて彼の隣に立った。何だ、と睨まれるような視線が降ってくるけど、私は彼が洗った鍋を奪い取るようにして布巾できれいに拭っていつもの場所へと戻す。黙ってもう一つ、蒸し器を洗った彼がちら、と私を見る。それがちょっと嬉しくて私は受け取ってこれもきれいに拭ってからきょろきょろと見回した。
「おい、こっち貸せ」
どこに片付ければ、と思っていた言葉が聞こえたように手を出されて、私は恥ずかしくなってうつむいた。しゃしゃり出た私をたしなめるような声音におずおずと差し出すと彼は私の手から受け取って、元あったところにしまうと片倉さんはさっさと携帯を出してどこかに電話を始めてしまう。その男らしい横顔が緊張を浮かべるのに、見上げた私は目をそらせなくなった。ぐっとどこか憂いを含んだ大人っぽい表情が彼が年上であることを意識してしまう。私が見ているのに気付いたんだろう。背を向けてキッチンから出て行く彼に、私はそのまま立ちつくした。
シンクの水たまりを軽く拭いて綺麗にしてしまうと、私は鞄を取りにスタッフルームへと戻った。もしかしたら図々しい女だと思われたのかもしれない、そう考えるとずん、と心に重いものがのしかかってくる。でも今更後悔しても始まらない。そうわかってはいるけれど、急に背を向けられたのは堪えた。もう帰ろう、そう思ってスタッフルームを出ると、ちょうど戻ってきた片倉さんに呼び止められる。
「。忘れモンだ」
「え・・・・・・・?」
くい、と顎で示されたのはテーブルに置いたままのタッパ。私が慌ててそれを手に取れば、「クックッ」という笑い声が背に響く。振り返れば片倉さんがこちらを見て笑っていた。
「お前、見た目よりゃ随分ボケてんなぁ」
「・・・・・・・・よく言われます」
「だったら少しは気をつけな。隙だらけの女は見てて危なっかしい」
「・・・・・・・・はい」
笑ったままの片倉さんに私のさっきまでの沈んだ心が嘘のように軽くなる。にや、と笑う顔は男らしくて本当にかっこよくて、びっくりしてしまう。
「あぁ、」
「はい?」
「手伝ってくれて、すまねぇな」
「え・・・・・・・は、はい!」
「また大学でな。気を付けて帰れ」
「はい。じゃ、失礼します!」
軽く手を上げてくれた片倉さんに私は嬉しくなってにこりと笑って頭を下げる。そして少し重たくなった鞄を持って家へと帰り、さっそく片倉さんが言うようにポタージュスープのレシピを調べて作ってみたけども、見事に失敗してしまった。さすがにこれは片倉さんには内緒、と決めて「また大学でな」と言ってくれた笑顔を思い出して私はちょっとふわふわした気分で一日を過ごしたのだった。