無言のままの私に居心地が悪くなったのか、社長は私にクリアファイルを差し出した。拒否することもできずに受け取ってしまった私が困惑していることに気付いたのだろう。社長はにやりと笑って中身を読むように、と身振りで示す。逆らう必要もないからファイルの中身に目を通す。
「アンタなら、どうする?」
意地悪く笑う隻眼をちらりと見上げて、私は無言のまま目を皿のようにしてファイルの中身を追ってゆく。何の変哲もないただの会社の調査内容だった。中身からすれば私の会社と同規模かもしくは少し大きな会社であるらしいが、残念ながら業績はそれほどよくはない。その会社の社長や役員の事細かなデータと社員の人数、営業成績の傾向などがまとめてあるだけのそれに私は眉をひそめる。
「申し訳ありませんが」
「Ah?」
「どう、とは、どういう意味でしょうか?この会社を接収されるおつもりですか?それとも───────────」
「・・・・・・んなことは自分で考えろ。アンタなら、この会社、どう料理する?」
私の当然の質問をバッサリと斬り捨てて面白そうな顔でこちらを窺う。完全に試されているな、と思いながら、もう一度そのデータに目を通して・・・・ある一点で目を止める。
「あら・・・・・・」
「何だ?気が付いたことは答えな」
にや、と口角だけを上げる笑みで挑発する彼に私は逆に冷静になった。もしかしたらダミーかもしれない、と思ったのだ。学生の時。会社を経営したいという私に小十郎が教えてくれた。目に見えるものはあくまでも目に見えるものだ。その裏にあるものを常に読め、と。本当に大切なものは書いていなことにある。そうベッドの上で私を抱きしめながら目の前の社長と同じ笑みで彼は私を挑発したのだ。そしてこう言った。「やれるモンならやってみろよ。お前ならできるはずだぜ」と。まだ若かった私はその言い方にカチンときて「やってみるもん」と反論したものだ───────────。
「Hey、。何を考えてる?」
その声にはっと我に返る。私としたことが小十郎のことを思いだすなんてとんだ失態だ。いえ、と答えてもう一度データに視線を走らせる私に社長は業を煮やしたように私の手から資料を取り上げた。
「Time up。答えろ。命令だ」
乱暴なやり方に私はわざと彼に聞こえるような溜息をつくと、彼は「Ah?」と言いながら眉を上げる。だが私の頭の中には今の資料の内容は大方インプットが完了していた。
「接収されるおつもりなら、おやめになられた方がよろしいかと思います」
「───────────理由は?」
「取引先、架空もしくは名前だけの企業がいくつかあります。もしかしたらこの会社はあるグループ会社の一員では?」
そう告げる私に社長は軽く肩をすくめて「Yes」と答える。
「表向きは取引をしているように見えますが、その実お金は同じところをぐるぐるとまわっているように見えます。グループ全体を接収されるのでしたらよろしいかと思いますが、この会社だけでは───────────」
結論まで言わせず彼は私の言葉を遮ってすっと瞳を細める。そして手の中の書類をそのままシュレッダーに放り込んで小さく「Perfect」と告げて軽く拍手までして寄越した。
「さすがだな。アレを見抜いたか」
「───────────社長、もしかして・・・・・・」
「Ah、まぁダミーだ。アンタがどこまで見抜くかTestしただけだ。怒んなよ」
「別に怒ったりは致しません。私の経営手腕を見極めたいと思われたのでしたら当然かと思います」
「Ham・・・・・・・可愛くねぇオンナだな」
「失礼ですが、そのお言葉はセクシャルハラスメントに該当します」
別に怒ることでもないから冷静に答えただけなのだが、どうやら彼の勘に触ってしまったらしい。途端に不機嫌そうになる彼に私は至極冷静に当たり前の事実を告げた。
「」
「───────────はい」
「その言い方、小十郎にそっくりだぜ。それにさっきの会社のダミーをよく見抜いたな。普通はそんなとこ気づかねぇ。こいつを作ったのは小十郎だからな」
にやり、と笑う彼に私は一瞬絶句して、ふるふると震えそうになるこぶしをギュッと握りしめる。冷静になれ、と自分に言い聞かせて、突き抜けていく感情を何とかやり過ごす。
「片倉専務と同じ大学出身なのは事実ですが、そのような関係はありません」
「───────────Ha・・・・・語るに落ちたな」
「は?」
「『そのような関係』ってどんな関係だ?Ah?きっちり説明してもらいてぇなぁ」
完全に面白がっているとしか思えない口調で私を感情に走らせようとしているのはわかった。多分、少し前の私ならこれで逆上してしまっていただろう。でも、今回のことで私もいろいろと学んだ。特にこの社長に対しては感情的になった方が負けだ。
「ですから特別な関係はありません。専務は同じ大学の先輩であり、私は後輩であるだけの関係です。それとも社長には私と専務の関係を邪推されたい理由でもございますか?」
「そりゃそうだろ。その方が面白ぇ」
「ご期待に沿えず申し訳ありません。それよりもそろそろ本日の予定をお教えいただけませんか?それとも、社長には私を試したいとおっしゃるならばどうぞご随意に。私は私にできることしかできません。それは心得ているつもりですから」
嘘ばかり。心の中で舌を出しながら表面上は取り繕った表情で私は社長に対して挑戦状をたたきつけた。正直彼とのここまでのやり取りは完全に彼のペースで、私のいいところなどひとつもない。これが商談だったなら、私の完敗だったに違いない。だけど自分にも珍しいことに、彼を相手に引くつもりなどさらさらなかった。私は少々好戦的な気分になっていた。
その時だった。美緒を送ってきた小十郎がノックをして入ってきたのは。私の挑戦的な視線と社長の探るような視線で何か感じたらしい。「失礼」と言いながら社長に向かって一礼した。
「政宗さま。そろそろお時間です。ご出発の準備を」
「Ah・・・・・・・」
「」
「はい」
「お前も来い。大事な商談だ」
「───────────かしこまりました」
大事な商談に勤務初日の人間が同行していいのか、と小十郎に視線で問いかけたけれど、彼は私の視線など完全に無視して社長の世話を焼き始める。まさか小十郎は毎日これをやっているのか、と思いながら、社長のスーツと荷物をさっさと集めて、着崩している社長にジャケットを差し出した。
「政宗さま」
「・・・・・・片っ苦しいな」
「今は結構ですが、先方に着いたときにはお召しください」
「・・・・・・Shit」
軽く舌打ちして小十郎の手からスーツをひったくると慇懃に頭を下げる小十郎を放ってさっさと歩き出す彼に私は小さく息を吐き出した。これからしばらく彼と顔を突き合わせなければならないのかと思うと頭が痛い。そう思っているとぐい、と腕を引かれて我に返る。
「何してやがる。政宗さまをお待たせするな」
「───────────放してください」
引いたのは小十郎だった。彼の立場上、部下になる私に対して乱暴なことはできないはずだが、私の手を離さないまま彼はぐい、と顎を引いた。
「だったらさっさと行け」
「自分で歩けます。放してください」
「、政宗さまと何をお話していた?」
「片倉専務。勤務中です。何度も言わせないでください。手を放してください」
二人きりになった途端名前で呼んでくる彼に対しての三度目の抗議の声にとげが混じっていることを隠せなかった。振り払うように自分の腕を取り戻して私は彼を置いて歩き出す。先ほど上がってきたエレベーターは既に階下へと向かっていて社長が先に降りてしまったのだとわかる。下のボタンを押して待つ間に小十郎は私に追いついてきていた。ちら、と見上げただけで無言になった私に小十郎も私を見ただけで何も言わなかった。上がってきたエレベーターで地下の駐車場に降りると戸惑う私を小十郎が手招いて車へと誘導する。リムジンかと思えば黒のクラウンだった。運転手の姿が見えないのに眉を寄せる私に小十郎はあっさりと運転席へと身を沈めて助手席を指した。何度目かわからない溜息をついて私が隣に乗り込むと小十郎はエンジンをかけて静かに走らせた。
「社長は?」
「先に行かれてる」
「専務自らが運転するんですか?」
「アァ?この車にゃ誰もいねぇよ。堅苦しいこというな」
「ですから勤務中です」
「固ぇこと言うなよ」
「───────────専務。公私混同されるようでしたら私は公共交通機関で移動します。止めてください」
「降りれるもんなら降りてみやがれ」
駐車場を出て公道へと合流したクラウンは流れに沿って走り出す。私の言葉ににやりと笑ってスピードを上げた。だが運転しているのは見るからに頬に傷のあるヤクザでスーツを着込んで、後部座席はスモークガラスになっている車に他の車はぎょっとしたように面白いようによけてゆく。半分予想はしていたが、随分早い時間に到着したようで先に出たはずの社長の車は見当たらない。
「社長の車は・・・・・」
「」
「専務。ですから」
きょろきょろと見回す私の肩を小十郎が小突く。いい加減に、と抗議しようとした私はそれ以上言うことができなかった。小十郎の唇が有無を言わせず私の唇を塞いでいたからだ。驚いて身を離そうとする私の背中を小十郎の腕が引き寄せる。どん、と小十郎の胸を叩いて抗議しても彼はキスをやめなかった。必死で逃げ出そうとする私をあざ笑うかのように唇を割られ舌先が入り込んでくる。だが行為は唐突にそこで止んだ。コンコン、と窓を叩く音に私がびくりと肩を震わせる。嫌な予感に恐る恐る視線を上げると、そこにはにやりと笑う社長の姿があって、私は茫然と見上げることしかできなかった。