バチン、と大きな音が車の中に響いた。私が小十郎の頬を容赦なく張り飛ばしたからだった。避けようとすれば避けられたのだろうに、小十郎は思い切り振り上げた私の手を受けたのだ。

ヒュー、と軽く口笛を吹く音が車の外から聞こえてきて、私ははっとなって小十郎から身体を離した。慌てて車から降りようとドアを開こうとしてもロックがかかっているらしくびくともしない。外では面白そうな顔をした社長がこちらを伺っていて、私はキッと小十郎を睨みつける。

「開けて」
「ってぇな・・・・・・・」
「叩かれることをしたんだから当たり前でしょ。自覚があるから避けなかったくせに。それよりも開けてちょうだい」

大げさに頬に手をやる小十郎をにらんだまま告げると、彼は仕方ない、と言った風にロックを外す。すぐにドアを開けようとする私を察したのか社長が外からドアを開けて寄越す。

「Hey、お二人さん。熱いなぁ」
「お言葉ですが、今回のことはセクハラとして訴えさせていただきます」
「何だよ、合意じゃねぇのか?」
「違います」
「だとよ。小十郎」
「失礼」

にや、と笑って車の中を覗き込もうとする社長の身体をぐい、と押し返して車を降りた。背後で小十郎の「政宗さまに何をしやがる」という声が聞こえたけれど完全に無視を決め込んだ。

、嘘はいけねぇな。小十郎と」
「専務とは何の関係もありません。今回の件は私は完全な被害者です」

毅然と告げて車を降りてきた小十郎を睨みつける。鞄からハンカチを出して唇を拭ってから社長に向き直った。

「すみません。お手洗いに行ってきます」
「Ah・・・・・」

そのまま言い捨てるようにして到着したビルの中へと歩き出す。インフォメーションでトイレの場所を聞き、化粧を直す。落ちてしまった口紅とファンデーションをつけてから鏡に映る自分の顔をまじまじと見つめる。ひどい顔だった。無理やりキスをされた余韻なのか険のある視線に真っ赤になった目。怒りを抑えつけているせいか口元も目じりもつりあがっていて、とても今から商談に行くような顔じゃない。ふぅ、と溜息をついて私は気持ちを切り替えるためにゆっくりと深呼吸を繰り返す。少しずつ表情を戻していって何とか自分でコントロールできるまで回復させる。ふと時計を見ると、すでに20分近くが経ってしまっていて、私は慌ててトイレを飛び出した。

「so late!」

ロビーでは社長が長い脚を組んでソファにどっかと腰を下ろしていた。私を見て毒づく彼に頭を下げる。その彼を守るように彼の右斜め後ろに小十郎が立っていた。そもそも専務の彼が立ったままというのはどうか、と思ったが私は意図的に小十郎を無視して社長だけを見つめた。

「申し訳ありません」
「オンナのトイレが長いのは仕方ねぇが、時間かかりすぎだろ」
「───────────お待ちいただかなくても結構でしたのに」
「Ah?今日はアンタのお披露目だ。アンタがいなきゃここに来た意味がねぇ」
「───────────そうでしたか。それは存じませんでした」

本当に知らなかった。というよりも私のお披露目ってどういうことだろうか。私はあくまでも新しい部署の部長扱いだったはずで、社長や専務が赴く商談に必要な人間だとは思わなかった。

「行くぜ」
「はい」

組んだ足を戻して立ち上がる。指先でくい、と示されて頭を下げた。小十郎が何か言いたげな顔で私を見つめるが、私は何も言わず彼から少し距離を取るようにして歩き出した。私は先に入ってエレベーターのコントロールパネルの前に立って社長に視線を向ける。

「15階だ」

社長ではなく小十郎が私に向かっていう声が聞こえたが、私は黙ってボタンを押した。軽い浮遊感を伴ってエレベーターが停止すると、私はドアに手を挟んで社長を促した。

「どうぞ」

軽く顎を引くように頷いた社長に続いて小十郎が降り、最後に私が降りた。どうやら私を待っていてくれたらしい彼らの後ろについたことを確認すると社長は先に歩き出した。このフロアにはどうやら二つの会社が入っているらしい、とエレベーターホールの表示で確認していたけれど、社長はそのうちの一つに足を向けているようだった。

そのドアを開けた瞬間、私は絶句した。そこはとてもオフィスと言えるような場所ではなかったからだ。間仕切りさえないだだっ広い広間のような場所に、所構わずおいてあるガラクタとしか思えないような代物と、そこに埋もれるように座っている数人の男。あっけにとられている私をよそに小十郎が声を張り上げた。

「おい長宗我部!どこにいやがる!?」

仮にもオフィスに入っていうセリフではないと思うが、そう言いたくなる気持ちはよくわかる。オフィスの中にこういう場所があることも驚きだが、別に倉庫でもいいんじゃないかと疑いたくなるガラクタたち。小十郎の声に数人が顔を上げて彼を見ると、ひとりが立ち上がって奥へと走っていった。

「アニキィ!」
「何だよ、今いいとこなんだよ」
「そうじゃなくて、独眼竜の旦那が」
「アァ?待たせとけ!」
「ってわけにはいかねぇです。右目と、きれいな姐さんも一緒です」
「・・・・ったく、面倒くせえなぁ」

こちらにまったく丸聞こえの声のやり取りに、小十郎の眉間にしわが寄って行くのがわかる。アニキ、と呼ばれた男は多分社長の政宗と同じ年か、もしくは少し上に見えた。上半身はほぼ裸、軽く羽織るだけのシャツにだぶだぶのパンツ。身体は引き締まっていて割れている腹筋が見える。見ようによってはセクシーと言える恰好ではあるが、残念ながらそう言えるまでには年齢が達していないように見える。どちらかといえば悪戯っ子、という表現の方が当てはまりそうだ。髪は白銀の短髪で、顔を上げた途端、私は思わず社長を伺った。彼の左の瞳は眼帯で隠されていたからだ。

「よう鬼。相っ変わらずだな」
「独眼竜、来るなら来ると」
「アポは取ったはずだぜ。遅刻しちまったのは悪かったが」

軽く手を上げた社長と、にやりと笑うその白い髪の男の表情に似ていると思うのは私だけだろうか。小十郎があきれたように告げるのにも「そうだっけか?」とあっさりと言って手元に視線を戻してしまう。完全に面食らった私が無言のままでいるのをその男は見もしなかった。

「で、何をやってんだ?」
「今いいとこなんだよ。ちょっと待ってくれよ」
「悪ぃがこっちは急ぎなんでな。アンタと違って俺は忙しいんだ」
「仕方ねぇなぁ・・・・じゃこっちに来な」

言葉半分で聞いている風に告げる彼に社長が肩をすくめる。仕方ない、と言いながら手に持っているガラクタを床に座り込んでいる男に手渡しながら私たちを奥の扉へと手招いた。というよりも扉があることに気付かなかった。ガラクタを踏みつけないように注意しながら歩いて男について扉の向こうの部屋へ入ると、そこは会議室のようなスペースになっていた。ここだけ見ると普通のオフィスのようだった。案内してくれた白い髪の男が奥に座り、社長、小十郎、私と円座になった。

「で?独眼竜が右目と共にくるとは何の用だ?」
「忙しいところすまねぇ。伊達の新しいスタッフだ」

小十郎が軽く頭を下げてこちらに視線をやる。さすがにそれがわからないわけではなかった。小さく頭を下げてその男に向き直る。

と申します。よろしくお願いいたします」
「へぇ。なかなか別嬪じゃないか」
「これからウチの窓口はこのにやらせる。見知っておいてもらいたい」
「あぁ。俺は長宗我部元親だ。よろしくな」

にこ、と笑うとどこか少年めいた表情になる。差し出された手を握り返すと小十郎が口を添えた。

「長宗我部の会社はいろんな発明をやっていてな。これからいろいろと世話になるだろう」
「発明、ですか───────────?」

フロアに所せましと転がっていたのはどう見てもガラクタにしか見えないのだが、社長と小十郎が認めているということはかなりとんでもない発明家なのだろう。だけど目の前で笑みを見せる男からはそんな雰囲気も感じられない。

、か。いい名前だな」
「ありがとうございます」
「あ〜、そんな堅っ苦しいのはやめてくれ。俺もアンタのことって呼ぶからよ」
「───────────はぁ」

ちら、と社長を見れば完全に興味がない、とばかりに火のついていないタバコをくわえていて、思わず絶句した。社長としてこの態度はないと思うのだけど。

「というわけだ。で、鬼さんよ、アレはできたか?」
「アレかぁ。まだだぜ。もうちっと時間くれや」
「Ah?どんだけ待たせる気だよ。言っとくが俺は気が短ぇんだ」
「んな簡単にできるかよ。大体アンタんトコの注文はいっつも無理ばかりだろうがよ」
「鬼のトコでしかできねぇから頼んでんじゃねぇか」
「と思うなら焦らねぇでドンと構えてろ。大将ってのはそんなもんだろうが」

二人のやり取りに思わず頬が引きつっていくのがわかる。商談というよりもむしろ悪戯っ子二人の子守にやってきたような複雑な気分になってしまう。ちら、と小十郎を見やれば渋面のまま椅子に背を預けていて、なるほど、これが彼らのいつものやり取りだとわかる。伊達に来てもう何度目かわからない溜息を洩らした私に社長がちら、と視線を投げて話を切り上げた。

「次はこいつを寄越す。それまでに仕上げとけ」
「テメェに指図される謂れはねぇな」
「Ha!何だ、期日までにできる自信がねぇか?」
「だったら何か褒美を出せよ。期日までにできたら何か寄越せ」
「いいだろう。
「はい?」
「交渉は任せたぜ」
「───────────はい・・・・?」
「じゃ、邪魔したな」

私の逡巡には何も言わず立ち上がる。勝手なと言いそうになる私を小十郎が視線だけで押しとどめてから社長に続いて退室する。残された私はにやにやと笑いを浮かべる長宗我部さんに一礼して慌てて後を追った。



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