エレベーターを降りて駐車場に戻る。あれが商談というのであれば、世のサラリーマンたちが命を削るように作っている資料は何だったのだろうと疑いたくなる。絶対に10分もかからなかったと断言できる。型破りというには程があると思うのだけど、社長と小十郎はそんな私の気分などお構いなしのようだった。そして社長が自分の車に向かおうとする寸前に私はとっさに彼の腕をつかんだ。

「Ah?」
「社長、お願いです。私を社長の車に乗せてください」
「───────────」
「片倉専務のセクハラには耐えられません。どうか」
「小十郎、だってよ」
「おい
「お願いします」

腕をつかまれた社長を見て小十郎が私を殺人的な視線で射抜く。思わず身体が凍りついてしまうが、そんなことには構っていられなかった。小十郎と二人で同じ車で戻るなんて今の私にとって拷問でしかない。さっきはキスで済んだ。だけどこの間のこともある。このままホテルにでも連れ込まれたら正直抵抗できるとは思えなかった。私の必死の願いに社長はじろ、と小十郎と私とを見やって、ふぅ、と溜息をついた。

「Ah・・・・仕方ねぇ。来な」
「ありがとうございます」

頭を下げて手を放して足早に歩く社長の後ろをついてゆく。背後で憮然とした小十郎がこちらを見ているのはわかっていたけれど、私は振り向かなかった。黒塗りのリムジンの後部座席に社長が座り、その横に私が座ると、運転手がゆっくりと車をスタートさせる。ほっと息をつく私に社長がちら、と私を見た。


「はい」
「小十郎は本気だぜ」
「───────────」
「あいつはお前をあきらめてねぇ。お前と別れてからずっとな」
「・・・・・・ご存じだったのですか」
「ああ。小十郎から聞いた」

あっさりと告げる社長に私は思わず沈黙した。知っていて今朝から私をさんざんからかっていたのだ。人が悪い、と口を滑らせそうになって慌てて口を閉じる。変なことを言って放り出されたら洒落にならない。

「アンタ、何故小十郎と別れた?」
「・・・・・・・社長、勤務中です」
「今更勤務中もねぇだろ。俺の車に乗りたいって言ったのはアンタだぜ。質問に答えろ」

社長の問いに私はうんざりとした口調を隠せなかった。しばらく一人になりたい、と切実に思った。疲れた、というのが正直なところだ。だけど社長は私のそんな気持ちはわかっているだろうに、じろ、とこちらを見て逆らうことを許さない口調で命じる。人の上に立ち、命じることを当然だという彼の口調に、私はふぅ、と溜息をついた。

「さあ、何故でしょうか」
「Ah?」
「理由はありません。ただ、彼と私が見ているものが違ってしまっただけです。それよりも───────────社長、本当に私たちの会社を」
「Don't be so wordy(くどい)。俺がそんな私情で会社一つ潰すわけねぇだろ。今朝アンタに言った通りだ。アンタが小十郎の元彼女だったってのは偶然だ。信じられねぇか?」

何度も同じことを聞く私を見据えて斬り捨てるように告げる。私はようやく彼がここまで言うのだから本当なのだろうという実感が持てた。評価してもらっているのはありがたいが、正直複雑な気分になる。まして毎日こんなことが続くのであれば、私がこの会社にいることはマイナスにしかならないと思う。だけど彼はそんな私の逡巡を見抜いたように口を開いた。

、言っとくがアンタを手放す気はねぇからな」
「ですが、私がお役に立てるとは」
「小十郎には釘差しといてやるよ。勤務中にはアンタに手を出すなってな。それでいいか?」
「───────────」
「信じられねぇか?だったら今度手ぇ出されたら俺のとこに来い。自慢じゃねぇがあいつは俺には頭が上がらねぇ。但し、勤務時間外は自分で何とかしろ。You see?」
「I see・・・・・・」

思わず英語で答えると社長はすっとその隻眼を細めて私を見る。「Okey」と呟く彼がすっと私との間を詰める。あっと思った時には、彼の両腕が私を閉じ込めていた。

「Ham・・・・・小十郎がアンタに本気じゃなけりゃ奪ってやるのにな」
「───────────ご冗談を」
「Ha・・・・・jokeかどうかはわからねぇぞ」

くつ、と笑う隻眼に私は半分以上本気で溜息をついた。からかわれているのはわかっている。じっとこちらを覗き込む彼の左目は真剣というには完全に楽しそうに笑っていて、私が慌てるのを期待しているようで。

「社長、ここは車中です。お怪我をされますのでお戻りを」
「成程」

社長の悪ふざけに乗ってやる、という選択肢は私にはなかった。冷たく言い放つ私に彼は私から離れて元の席へと身体を戻しながら呟いた。

「何故小十郎がアンタをあきらめねぇかわかった」
「───────────それは、是非教えていただきたいです」
「教えたら小十郎とつき合うか?」
「どうしてそうなるんですか。普通逆でしょう」
「逆ってのはどういうことだ?」
「彼に私をあきらめさせてください。迷惑しているんです」
「迷惑・・・・・?」
「ええ。迷惑です。今のままでは満足に仕事もできません。私は自分の仕事にプライドを持ってやってきたつもりです。それは一生変えるつもりはありません。私の仕事が気に入らないのでしたらいくらでも批判していただいて結構です。でもプライベートな部分で評価されるのは我慢できません」

きっぱりと告げる私の言葉を社長はじっと聞いていた。だけど不意に真剣な表情になって私に告げる。


「はい」
「何度言えばわかる?俺はアンタをプライベートで評価したつもりはねぇ。いい加減に覚えろ。アンタの仕事にゃ期待してるんだ。もしプライベートで評価したんだったらアンタを長宗我部には会わせねぇし、俺の車にも乗せねぇよ。ただ、小十郎はアンタを本気で取り戻すつもりでいる。それは覚悟しとくんだな」
「・・・・・・・・社長命令で諦めさせてください」
「無理だな。俺はプライベートにゃ口を出さねぇ主義だ」
「・・・・・・・・嘘ばっかり」

さんざん人のプライベートを聞き出してからかう癖に楽しそうにそんなことを言う彼にカチンとくる。溜息混じりに告げた私に社長はさらに楽しそうな表情になる。

「Ah?どの口がいいやがる。んなことを言ってると小十郎のマンションにアンタを放り込んでやるぜ」
「・・・・・・・やめてください。冗談に聞こえません」
「当たり前だろ?jokeのつもりはねぇ」
「さらに性質が悪いです」
「希望なら一室空いてやるぜ。俺が言うのも何だが、あのマンションは間取りもいいし立地も申し分ねぇ。俺が個人的に一棟持ってるからな。譲ってやってもいいぜ」
「───────────やめてください。私の給料では一生かかってもローンを払えそうにありませんから」
「───────────アンタ、小十郎のマンションがどこにあるのか知ってんのか?」

不思議そうな表情になる社長にしまった、と唇を噛んだ。売り言葉に買い言葉とはいえ、とんだ失態だった。どうやって取り繕うかと考える私に社長はにやり、と獲物を捕らえたライオンのような獰猛な表情になって私を見やる。

「何だよ、付き合う気はねぇといいながらマンションを行き来する仲なんじゃねぇか」
「違います!小十郎から聞かれてないのですか?」
「何をだ?俺が聞いたのは今度接収する会社の社長は自分の元彼女でそいつとヨリを戻したいっていうだけだぜ」
「───────────っ」
、答えろ。何故小十郎のマンションを知ってる?」
「・・・・・・・」
「Answer me、Hurry!」

ぱくぱくと口を開く私を逃がさない、とばかりに彼の隻眼がとらえて答えをせかす。答えるべきではないのは私が一番よくわかっている。あれはただ一夜の過ちなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。同意の上で一夜、過ごしただけ。そう記憶の底に沈めてしまいたいのに、わざと掘り起こしてしまった自分が情けない。逡巡した挙句、私は結論を出した。

「・・・・・・・お答え、できません」
「Ah?」
「社長、プライベートです。お答えする義理は」

声が喉につっかえる。かすれた声で告げた私に社長は無情に告げた。

「わかった。だったら社長命令だ。引っ越せ。引っ越し費用は俺が負担する。今の家賃分を除いて家賃も負担してやる」
「───────────っ!?そんな!」
「悪い話じゃねぇだろ。今のアンタの部屋よりゃ会社には近くなる。言っとくが世間じゃ超が付くほどの高級マンションだ。部屋も広くなるし家賃が上がるわけでもねぇ。ほかのヤツなら喜ぶとこだろ」
「私は、今の部屋が気に入っています。どうか」
、俺を敵にするか味方にするか、それはアンタ次第だぜ。小十郎はアンタを欲しいと言ってる。俺は個人的にはお似合いだと思うんだが、アンタがそこまで渋る理由がわからねぇ。別れた理由も言えねぇ、ヨリを戻したくもねぇ、でもマンションの場所を知ってるほど親密な関係にあるってのは言い訳にしちゃまずくねぇか?」
「・・・・・・・ただ、彼のマンションに行ったことがあるだけです。彼と別れた理由は・・・・・私にもよくわかりません。ただ、私にとって彼は過去の男というだけです。ヨリを戻したいとも思いません。ただ、それだけです。お願いします、もうこのことでは構わないでください」

一気に告げた私を社長はじっと見つめていた。長い沈黙が車中に流れ、やがて社長は私が本気で言っているのがわかったのだろう。リアシートに背を預けて天井を見つめる。

「わかった。好きにしな」
「ありがとうございます」

それから会社に着くまで一言もしゃべらなかった。どうやら少し遠回りをしたのだろう。先に到着していた小十郎が車を降りた社長の顔を見て奇妙な顔になった。私も無言のまま社長の後ろを歩いていき、部屋に戻ると部署に戻るように告げられる。頷いた私を案内しようとした小十郎を社長が引き留めた。別の社員を呼んで私を案内するように告げると、私は彼らから別れ、エレベーターに乗り込んだ。



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