伊達軍は山を背に三方を見渡せる場所に陣を張った。四方に斥候を飛ばし、相手の軍の位置を把握した小十郎は二日後、近くの盆地が戦場になると踏んだ。斥候の知らせによれば相手方は出張ってきたのが奥州筆頭との報告を受け戦意は下降の一途を辿っているという。思っているよりも行軍が遅いのもそのせいだ。本来なら明日にはぶつかるかと思っていたが、伊達軍の機動力が予想を上回っていたことと、敵勢力の行軍の遅さが空白の一日を呼んだ。その報告に小十郎はさもありなん、と獰猛な笑みを浮かべて夜通し働いていた彼らを労って休ませると、報告を待っている主君の元へと足を運んだ。陣の中で簡単に朝食をとった政宗が煙草をくゆらせていた。傍らでは落ち着かない様子のがキョロキョロと顔を動かしていたが、ここは戦場である。一歩でも外に出ればいつ襲われるかわからないから出歩くな、と政宗に脅され、真っ青になった彼女を気の毒に思いながら小十郎は何も言わなかった。実際はこの一帯は伊達軍の兵たちが陣を張っているからまだそれほど危険はない。だが気の立った男たちの中に女がいればどんな間違いがあるかわからない。まして彼女が竜の巫女であることを知らない者もいるのだ。自分から離れるな、と命じた政宗に小十郎も全面的に賛成だった。
「どうだった?」
小十郎の姿を見てタバコをふかしていた政宗が顔を上げる。戦場にあっても趣味は楽しむという豪胆な主君に小十郎は生真面目に頭を下げた。
「されば恐らく戦は明後日。敵軍は政宗さま御自らのお出ましに戦意を失っている模様」
「Ham、何だ温い戦になりそうだな」
「は」
頭を下げた小十郎に政宗は煙管から灰を落として舌打ちする。せっかく自分が出張ってきたのに、という残念そうな表情に小十郎は苦笑した。そもそも今回の出陣は一度は平定した芦名の残党が反乱を起こそうとしていたもので、随分前から相手方には斥候を忍ばせてあった。数も伊達軍は約5千人、敵方は約3千人。それも今は脱落者が多くどのくらい戦える者がいるのかはわからないが。
「政宗さま」
「Ah?」
「此度の件、政宗さまがお出ましになる必要はなかったのやもしれません」
「いまさら俺に留守番してろってか?」
「そうではございません。今反乱を起こせば伊達がどう動くのか、確かめようとしている輩がいるかもしれませぬ」
しばらく考える顔になった小十郎が小さく告げる。最初は不機嫌そうに聞いていた政宗が、その言葉にひとつしかない瞳を静かに閉じた。小十郎の言うことも確かに可能性のひとつではある。だが───────────
「Ham、で、お前はどうしろってんだ?」
「政宗さま次第でございます」
「Ah?」
「反乱を抑えねばならぬのは当然。電光石火を誇る伊達軍の機動力は十分に思い知ったでしょう。さっさと叩いてしまうのもよろしいでしょう。もしくはこの小十郎か成実さまに兵を預け、政宗さまは内政にお力を入れられ、反乱を起こさせないように固めるのもよいかと」
「───────────上策は?」
「どちらも上策かと存じます」
「小十郎、お前何を考えている?」
じろ、と右目を睨みつけると小十郎はちら、と政宗を見上げて口を開く。
「されば───────────ここには『竜の巫女』がおります」
「わ、私!?」
「───────────」
「『竜の巫女』の託宣をもって兵を預けられるのもよろしかろうと存じます。また、逆に『巫女』の下知により電光石火の勢いに乗り、反乱勢力を一網打尽にし凱旋するのもよろしいかと」
「ちょ、ちょっと小十郎さん!?」
そんなことできる訳がない、と慌てるが抗議するのを小十郎はじろ、と視線だけで黙らせる。その鋭さにびく、と身体が震える。まるで金縛りにでもあったようにそのまま固まってしまう。
「小十郎───────────を食い物にしようってのか?」
「せっかく『竜の巫女』がいるのです。兵士たちの士気の高いうちに敵を殲滅するのがよろしかろうと存じます。さればここに必要なのは政宗さまではなく『巫女』でございます」
「俺は飾りものか?」
不服そうに口を尖らせる政宗に小十郎は更に言葉を重ねる。
「此度の戦、政宗さまの名を聞くだけで逃げ出すような烏合の衆。政宗さまご自信がお出ましになるような戦ではございません」
そう告げる小十郎に政宗はち、と舌打ちをして足を崩す。小十郎に言われるまでもなく、適当にお茶を濁すような戦は嫌いなのは性分だから仕方ない。だが久しぶりに戦だと高揚して出陣してきたのだ。それを発散するところが欲しいのも事実。だが小十郎は自分に温存しておけ、と言うのだ。それも『竜の巫女』のに全てを押し付けて。
「テメェ、俺がNoって言うのをわかって言ってんだろ」
「ですが、の『巫女』としての名声は轟きます」
「をそこまで利用するつもりはねぇ」
「何をおっしゃいますか、宣伝に使う、とおっしゃったのは政宗さまですぞ。そしてにとっては格好の舞台です。敵方は戦意を喪失しております。そこへ神がかりの『巫女』の託宣で伊達軍が動く。勝ちは見えております。『巫女』の名声は奥州のみならず周辺各地に轟きましょう。次の戦の準備にはちょうどよいかと」
のすぐ側で論じられているというのに、あまりにも現実離れした会話に内容が頭を素通りする。そもそもいつもの小十郎の顔つきとは違う、冷徹な瞳に逃げ出しそうになる。こんな瞳をする人間だとは思わなかっただけに彼が「軍師」であったことを思い知る。「必要があれば何を斬り捨ててでも政宗を守る」酒の席で綱元がちら、と小十郎をそう評していたのを思い出す。あの時はあの小十郎さんがそんなことはない、などとお気楽に考えていた自分の浅はかさを殴りつけてやりたい気分だ。それに、小十郎から視線を逸らそうとしても意識とは別にじっと彼から目を逸らせない。逸らしてしまうとその場で殺されてしまいそうな錯覚にぞく、と背筋が凍りつく。
「小十郎」
「は───────────」
「俺の答えはわかってんだろ?」
「───────────かしこまりました」
「ならいい。それからを任せた」
「は!?」
話は終わり、とばかりに呆然としたままのを小十郎に押し付けて退室しろ、と手を振った。そうして本当に退室させてしまうと政宗はいつもは1本しか吸わない煙草を詰めて火をつけて深く吸い込んだのだった。
無理やりに政宗の陣から出されたはそっと小十郎から距離を取った。先ほど言われたことがぐるぐると頭を回る。確かに『竜の巫女』をやる、と自分が決めた。だが実際に戦場に借り出されるなど思いもしなかったし、反論しようとした瞬間の小十郎の殺気に身体が震える。先を歩く彼からは先ほどまでの威圧感は感じなかったが、今は彼の側にいたくなかった。
「」
「・・・なに・・・・・?」
「怒ってんのか?」
「・・・・・・・・・・・怒っては、ないよ」
「そうか」
「結局私は小十郎さんにとって政宗さんの役に立つモノなんだね」
「───────────否定はしねぇ」
「あ、そ。じゃあいいや」
嫌味を言うつもりがあっさりと肯定されたことに逆におかしさがこみあげてくる。結局自分は誰にも必要とされない人間なんだ、と自嘲するしかない。それはここに来る前も、ここに来てからも何も変わっていない。ただ、ここの人間が少し自分を知らなくてうわべだけ優しくしてくれていただけなのに。わかっていたことなのに、何を期待していたのだろう、と急激に感情が冷めてゆくのがわかる。小十郎に対する恐怖も自分へのあきらめに変わり、怒るでもなく、くつ、と笑うを小十郎は冷たい瞳で見下ろした。
「」
「何?」
「じゃあ何で拗ねてやがる。『巫女』をやるって決めたのはお前だろう。覚悟を決めろや」
「何の覚悟?だって『巫女』ったって、舞を舞って政宗さんが勝つって言えばいいって言われただけなんだよ。軍を率いるなんてできるわけない」
「俺がいるだろ」
「何、言って・・・・・・」
「誰もお前に全部やれって言ってんじゃねぇ。ちゃんと俺がいてやる」
「意味わからないし」
もう一度くす、と笑って「アァ?」と凄む小十郎を見上げる。あまりにも傲慢な小十郎の言葉にもう笑うしかない。何を持って「俺がいる」と言い切れるのか、と思う。自分はただの女で何のとりえもないのに。くすくすと暗い笑いを浮かべるを小十郎はじっと見つめていた。前から思っていたが、時折子供のような無邪気さを見せたかと思うと、まるで60を越えた老婆のような表情を見せることもある。そして『諦め』と『死』を纏う彼女の表情にがり、と奥歯を噛んだ。小十郎の古傷をえぐるようなその表情が気に入らない。
「だって小十郎さんにとって政宗さんが一番大事で私なんかどうでもいいんでしょ?そもそも私が『巫女』を引き受けなかったら良かったね。そしたら政宗さんも好きな戦争が出来た訳だし」
「テメェ・・・・・・・・・」
軽い調子で告げるの行く手を阻んで立ちふさがる。だがはちょっと自分を見上げただけで、軽く肩をすくめてみせた。
「もうどうでもいいよ。私を利用したいんだよね?いいよ、好きなようにしてくれて。どうせ名ばかりの『巫女』なんだし、他に行くところもやることも出来ることもないし、政宗さんたちのやりたいようにやればいいじゃない。もういろいろ面倒だし考えるのも疲れた───────────」
「ごめん、ちょっとだけ一人にして」そう言い捨てて一人で歩き出す。だが小十郎はそれを許さなかった。先回りしての行く先に立ちはだかる。何、と顔を上げようとした瞬間だった。頬に熱い痛みを感じて呆然と立ち尽くす。小十郎に叩かれた、と気付くまでしばらくかかった。だがそれが現実だとわかって視線を上げた途端、ぐい、と腕をつかまれ、
「馬鹿なこと、言ってんじゃねぇ」
と危険を孕んだ声の小十郎にがくり、と膝をつきそうになる身体を支えられる。何が起こったのか、とのろりと顔を上げれば鬼の形相になった小十郎がの身体を軽々と肩に担ぎ上げた。
「何、するのっ!?」
「政宗さまのところだ」
「え!?」
「五体満足な人間が、お気楽に命を投げ出すようなヤツには我慢ならねぇんだよ」
「意味わからないし!下ろしてっ!!」
「別に『どうでもいい』んだろ?だったら暴れんな」
「や!人攫い!!人でなし!!」
「縛られて猿轡を噛まされたいか?」
「ぅぅ・・・・・・」
低音で凄まれてその声が担がれている腹にずしんとのしかかる。本気でやる、とわかってしまうだけに思わず押し黙ったをよそに小十郎は退室を命じられた陣の中へずかずかと入っていった。
「小十郎!?」
「政宗さま、失礼致します」
先触れもなく勝手に入り込んだ彼にくつろいでいた政宗の目が丸くなる。ましてを肩にかついでいるのだからなおさらだ。だが小十郎の表情を見て政宗は四の五の言うのをやめた。の身体を地面に下ろし、小十郎は小姓に命じて縄を取ってこさせ、てきぱきとの腕を後ろ手に縛ってしまうと、その背を地面に押し付ける。政宗の小姓を勝手に顎で使っているが、本気で切れている小十郎の顔を見て小姓たちはちら、と政宗の表情だけを盗み見て視線だけで頷いた主君の許可のもと、黙々と小十郎の指示に従った。
「Ah?何するつもりだ?」
「右目を抉り出します」
「What!?」
「・・・・え・・・・・!?」
「別に『どうでもいい』んだろ?だったら覚悟決めろや。テメェは『竜の巫女』だ。政宗さまと同じ目を失えばちょうどいい」
「ちょうどいいって、何その論理!?」
「うっせぇ女だな。おい、猿轡を噛ませろ」
「いや!!や・・・・やめてっ!!んーーーーーっ!!んーーーーーっ!!!」
暴れるをよそに小姓たちは小十郎に従順だった。の身体を押さえつけて猿轡をかませると、両足と両肩を地面に押し付けられる。そして小十郎は腰から小柄を取り出し、の右目のすぐ上にそれを構える。当然麻酔などありはしない時代だからそのままえぐられればどれほどの激痛が伴うのか想像もしたくない。いや、と叫ぶ声も猿轡に消え、両肩と足を動かそうとしてもびくとも動かない。男たちに取り押さえられているのだから当然だ。ぼろぼろと瞳からこぼれだす涙が頬を濡らし、恐怖に体が震える。小柄を構える小十郎のすぐ側で政宗がじっとこちらを見つめているのが見える。泣きながら助けて、と懇願しようとした瞬間、振り上げられた小柄には「いや」と叫び目を閉じて───────────そのまま気を失った。
「Ah・・・・・・小十郎、どういうつもりだ?」
「少々、荒療治を」
「にしては、本気だったじゃねぇか」
ぐったりとしてしまったの縄と猿轡を解いてやり、布を敷いた上に横たえて小姓たちを陣から追い出すと、全身に冷や汗をかいている彼女の身体に触れ政宗はじろりと小十郎を睨みつけた。彼がここまでやるのだから何か理由があるのはわかっていたが、健康な人間の瞳を抉り出すなどあまり気持ちのいいものではない。まして、それが政宗自身が失った右目であればなおさらだ。
「本気で相手をせねば、は受け入れたでしょう」
「どういう意味だ?」
「はこういいました。自分の命を『別にどうでもいい』と」
「Ham・・・・・・・・」
「自分が政宗さまのために利用されるのも『じゃあいい』と。それが許せなかっただけです」
「そういえばコイツ、妙に諦めは良かったな」
「ですが、それを一番疎んでいるのはです」
「で、荒療治、か」
「は───────────」
頭を下げた小十郎に政宗は苦い笑いを張り付かせた。遙か昔の自分の姿にの言葉が重なってゆく。誰にも愛されず、疎まれた嫡子。だからいつでも死にたいと願っていた。だがそんな自分の葛藤を小十郎は察していた。自分が奥州筆頭として生きるために全てをささげてくれた彼が、膿んだ右目を抉り取り、自分が右目になる、と誓ってくれたあの日を一生忘れない。
「は昔の俺に似ている、か。なるほど、な」
そしてそんなの心が政宗にはわかる。何もかも本気を出すことなどやめていた。やる気もなく、ただ死ぬまでだらだらと生きることが苦痛だった。あの日々は今も苦く政宗の心の中にある。だからこそ小十郎は彼女を放っておくことが出来ず、こんな荒療治をしてでも生きることの意味を糾そうとしたのだ。あの日自分に対する小十郎と今の彼とが記憶の中で交差する。「変わってねぇなぁ」と苦笑がこみ上げてくるが、それを押し込めて政宗は小十郎に視線をやった。
「小十郎」
「は」
「少し、と話をしたい。しばらく誰も入れるな」
「かしこまりました」
「それから」
「は───────────」
「一応コイツは女だ。少しは手加減してやれ」
苦笑混じりの主君の言葉に小十郎は確かにやりすぎたかもしれないと思いながら頭を下げたのだった。