幕の外に出ると、政宗はちら、と背後を振り返る。うずくまったまま身じろぎもしないの姿にちく、と心が痛む。「政宗さま」と声をかけてくる小十郎には振り返らずに「床机をもってこい」とだけ告げる。ひとつため息をついた彼が何か言いたげにしていたが、一礼して命をかなえるために去っていった。そして小姓に持ってこさせるかと思えば小十郎自身が二つの床几を持ってきて、政宗が座れるようにしてその横に自分のものを開いて腰を下ろす。
「おい、小十郎」
「お供いたします」
「ったく・・・・・。お前自分の仕事は?」
「指示ならば出しております。昼過ぎに再度斥候を出しますれば、それまでは」
「おせっかいな野郎だぜ」
「それは、主君に似たのでございましょう」
「チッ───────────」
に聞こえないように小さな声でのやりとりだが、ちら、とみればは先ほどから動かないままでそんな心配はなさそうだ。陣の外に座り込んだ政宗と小十郎に小姓たちが気を利かせて茶を持ってくる。それを受け取りながら政宗は「にも持ってってやんな」と命じてうまそうに飲み干した。
「は、変われましょうか」
ぽつりとつぶやいた小十郎に政宗は内心で苦笑しながら兄と慕う彼をみやってにや、と笑う。
「お前俺の右目をえぐった時にそんな心配したか?」
「無論でございます。あのときは切腹を覚悟しておりました故、小十郎亡き後、梵天丸さまのご成長が見れないことが残念でございましたが」
「だがお前は躊躇しなかった」
「それが最善と思いました故」
「あいつは、あの時の俺に似てる」
「───────────左様でございますな」
「もしあいつが変われないのなら、俺の手で殺す」
「政宗さま!?」
「だらだら生きてるんだったら生きてる意味なんてねぇ。俺が天下を取るまであいつには猶予をやる。だがそれでも今のままなら俺が殺す。生きてほかのやつに殺されるぐらいなら俺の手でやってやる。止めんなよ」
「ご随意に」
「ま、その前にお前が何とかすんだろ」とやや投げやりな口調で告げられて小十郎は苦笑する。その信頼はありがたいが、正直政宗とは違っては女性だ。どうやって接していいのかもよくわからない。が自分を怖がっているのも知っている。だが小十郎には自分にできることしかできない。それがどれほど嫌がられることであっても。
「かしこまりました」
頭を下げる小十郎に政宗は何も言わずに頷いた。あの時───────────もし自分がもう少し早く前向きにいろいろと考えることができればもう少し違ったのかもしれない、とは思う。今政宗の近くには父も母も、弟もいない。自分がそうしたのだ。どんなに辛くてもそれが自分の決断だった。だがもし、もう少しちゃんと母に向き合っていれば、という後悔は気を抜けばすぐにでも自分の身体を侵食してゆく。だがそれを言ってはならないのだ。自分が奥州筆頭である限り。そして自分と同じ感情を抱く彼女に早く気づかせてやりたい。自分で選ぶ未来と流されているままの未来。その行く先でどれほどの後悔があろうとも流されているのでは『選んだ』ことにはならないということを。
「政宗さま」
「Ah?」
「あまりご自分をお責めになられますな」
「───────────責めてねぇ」
「小十郎が側におります。誰が何と謗ろうとも、小十郎だけは生涯政宗さまのお側にお仕えいたします」
「・・・・・・・・・ああ」
その心を見透かしたような小十郎の声に頷いて茶を口に含む。彼を疑ったことなどない。一生自分に尽くしてくれるであろう彼の言葉がしんと心に落ちる。政宗にとってそれはとても嬉しくまた自分が彼の忠義に足る主君であり続けなければならないということ。ぬるくおいしいはずのお茶がどこか苦く感じた。
陣の外で二人が話をしている頃。は膝を抱えてうずくまったままだった。
「何で・・・・・・・」
何故小十郎も政宗もあんなに自分を構うのか、訳がわからなかった。自分がどうなろうと彼らには関係がない。『竜の巫女』を引き受けてしまったせいなのか、生来のおせっかいな気質なのかはわからないが、右も左もわからなかった自分を拾って衣食住の世話をしてくれたことには感謝しているが、あんな風に言われる筋合いはない。だが図らずも「自分で選ぶ」と言ってしまった以上、やらなければ彼らは本当に自分の右目をつぶしてしまうだろう。その考えにぞっとする。
「この戦が終わったら、逃げよう」ここではないどこかに。政宗たちの言葉の端々からここ以外にもたくさんの国があるようなことを聞いた。おそらく県が違う、などという違いではなく、国そのものが違うのではないか、と思う。そこまで逃げられれば、とりあえず目の前の恐怖からは逃げられる。いい考えのようだが、はたしてあの広い米沢城から逃げ出すことが可能なのか、と考えて首を振る。普通に歩き回っていても迷うのだ。だが、じっとしているよりもいい考えのように思う。隙を見て逃げ出してほかの国に───────────そこまで考えて小さく首を振った。ほかの国の人間が自分を受け入れてくれるとは思えない。それにが着てきた服や携帯、それに時計などは米沢城の政宗の手にあるのだ。あれを置いてはいけないし、返してほしいといって簡単に返してくれるとは思えない。ぐるぐるとまわる思考には小さくうめいて頭を抱えたのだった。
昼が過ぎ───────────、外に響く気合いの声に顔を上げる。どのくらいそうしていたのかはわからないが、かなり長い時間だったのだろうとは思う。目の前に置かれたお茶はすっかり冷めきってしまっているし、太陽の光がギラギラと照らしてきて肌が痛い。
「あ、紫外線がヤバイ・・・・・・」
こそこそと日陰に移動しようと立ち上がった途端だった。
「おい」
「ひっ───────────」
後ろから響くドスの利いた低音に首をすくめる。反射的に逃げ出そうとするが、首根っこをがしりと押さえつけられる。
「どこに行く?」
「や、離してぇっ!!」
「アァ?俺から逃げ出そうとは10年早ぇ。おら行くぞ」
猫のようにひょいと首根っこを持ち上げられ、首が締まる。抵抗すればそのまま首を吊ってしまったに違いないが、その苦しさから後ろ歩きをしてしまう自分が恨めしい。だがスタスタと歩く小十郎の足の速さに追いつけるはずもなく足をもつれさせるに、小十郎は立ち止まって彼女の腰をすい、と持ち上げて肩に乗せた。
「い、いやぁっ!!」
「うっせぇ!じっとしてろ」
「や、やだっ・・・・!まだ何もしてないのにぃっ!!」
「アァ?」
「め、目はやめて・・・・・!!」
「んなこたぁしねぇよ。テメェが政宗さまの陣を占領してるから悪い。偵察に行く。付き合え」
「な、何で私!?」
「いいから来い」
陣の外で体を動かしていたらしい政宗と成実が小十郎に担がれた自分を見て、瞬間ぽかんとしてから笑い出す。ひどい、と思いながらもじたばたと暴れようにも小十郎の腕はびくともしない。一体どうやったらここまで鍛えられるんだ、と他人事ながらに感心する。そして小十郎の馬の鞍に投げ出され、「きゃぁ」と上げる悲鳴だけがむなしく響く。逆に馬番をしていた兵士には「片倉さま、お疲れさまっす。で、デートですかっ!?」と軽い挨拶をされて逆にへこんだのだが。どこの世界に無理やり俵のように担がれてデートするカップルがいるというのか。
「偵察だ。それに『竜の巫女』さまに失礼な口をきくな」
「す、すみませんっ!!」
「『巫女』だと思ってるんだったら担がないでほしいんですけど・・・・・」
「アァ?」
ぼそりとつぶやくと不機嫌そうににらまれるが、馬に乗っていない小十郎から見上げられる姿勢になる。そうなれば何故かいつもよりも怖く感じないのは身長のせいなのだろうか。だが小十郎はひらりと馬にまたがってちょうど鞍に九の字に打ち上げられているの腰をぐい、と引き上げて密着させる。
「ひゃっ・・・・・」
「おら跨れ」
片足を振り上げてようやくちゃんとまたがる姿勢にさせての背を自分の胸につけると、手綱を持って馬を走らせた。どのくらい走らせていたか、無言のままのに小十郎はくつ、と笑って冗談交じりに腹へと腕を回してぐい、と抱きしめる。
「きゃぁっ!?」
「随分静かだな」
「し・・・舌・・・噛み・・・そ・・・・・」
「く、くくっ・・・・・」
「ひ、ひどっ・・・・・!」
馬に慣れていないとは思っていたが、今はそれほど速く走らせているわけではないのに、目の前のの身体は不規則にがくがくと揺れる。からかうように告げると、必死な声が返ってきて、思わず笑みが漏れる。
「じゃあ、もうちっと大丈夫だな」
「え・・・・・?ど、どう・・・・・っ!?」
あまりにも必死な様子が悪戯心に火をつける。さらに馬のスピードを上げてやると、悲鳴を上げたに小十郎の楽しそうな笑いがこだました。
少し小高い丘の目立たない場所に馬を止め、辺りに視線をやる。遠くには伊達の陣が見え、まだ敵方は姿を現していないようだった。斥候の報告通りではあったが、地形の把握は軍師の大切な役目である。できる限り自分の目で見るようにしているが、地図の通りの情報に小さく頷いて、ぜぇぜぇと息を乱しているに視線をやった。
「だらしねぇな」
「こ、小十郎さんの・・・・意地悪・・・・・・」
「意地悪ってんじゃねぇ。テメェの鍛錬不足だ」
「馬なんて・・・乗ったこと、ないもん・・・・・・」
「───────────」
「な、何?」
「お前のいたところに馬はいねぇのか?」
「・・・・・・・いるけど」
「じゃあ移動手段は馬じゃねぇのか?」
「電車とか車がほとんどで、馬なんていいところのおぼっちゃまかお嬢様の趣味か、競馬しかいないと思うけど」
「・・・・・・・・・電車?」
「あ・・・・・・え〜と・・・・・・こう、人間がたくさん乗れる鉄の箱がレールの上を走るの」
「───────────悪ぃ、さっぱりわからん」
「だよね・・・・・・・」
「だがお前は馬にたしなみがねぇのはよくわかった」
くっくっと声を立てて笑う小十郎をよそにそっと距離を取ろうとした瞬間、がしり、と首根っこをつかまれる。
「おい、どこに行く?」
「ど、どこも行きません!」
「じゃあ何で逃げようとする?」
「そ、それは・・・・・・・・」
「とって喰いはしねぇよ」
「だって私の目つぶそうとしてたじゃないですかっ!!」
「それはテメェが悪い。心配すんな。右目をつぶすときにはちゃんと政宗さまの前でやる」
「───────────っ!?心配しますっ!!」
じたばたと暴れるの姿を楽しむように笑いながら四方へと視線を投げる。地形は報告通り。そして敵の軍は小十郎の予想通りなら伊達の陣から正対した場所へと陣をひくだろう。それが戦の常道であり、およそ外れないであろう目算だった。
「、よく見とけ」
「え・・・・・・?」
「直にここが戦場になる」
「───────────うん」
「お前は何もしなくていい。成実さまの側で陣にいるだけでいい」
「・・・・・・・・うん」
「覚悟をしとけ。戦になれば人が死ぬ」
「・・・・・・・・」
無言になったを見下ろして小十郎は彼女の頭に手をのせてわしわしと撫でてやる。「髪の毛が乱れる」と言いながら逃げ出そうとするにくつ、と笑みが漏れる。戦の前にこんな風に笑えるとは今まで考えたことがなかった。「こいつがいることで影響を受けているのかもしれねぇ」と内心で思いつつ、軍師としての役目を果たすべく沈黙する。頭を撫でていた小十郎の手がやがて止まってしまうと、は小十郎に気づかれないように小さく息を吐いた。戦争など、まさか自分が体験するとは思わなかった。それもこんな最前線で。見上げればすぅっと目を細めた小十郎はいつもの彼とも違う冷徹な表情を浮かべていて、これが現実であることを思い知らされる。戦争映画ならたくさん見た。アクションと呼ばれる分野のハイウッドの映画はこういった場所でのサバイバルを題材にしたものも少なくない。ちら、と小十郎が走らせた視線を追ってぐるりと見渡すと、じろりと彼が見下ろしてくる。
「何だ?」
「あ、ううん。なんでもない」
「何でもないわけねぇだろ。言えよ」
「あ・・・・・・んと・・・・・・」
じろ、と見下ろす彼に口ごもる。まさか彼の表情に目が離せなかった、などと言えるはずもない。慌てて視線を眼下に戻して口を開く。
「私こっちの戦はわからないんだけど・・・・」
「ああ」
「森の中に罠とか仕掛けないの?」
不思議そうに見上げてくる彼女に小十郎はらしくもなく一瞬絶句した。戦とは正々堂々正面からぶつかるべし、ということが常識なのに、あっさりと告げる彼女をまじまじと見つめる。
「お前のいたところは、罠を仕掛けるのが普通なのか?」
「え・・・・・・し、知らないけど」
「アァ?」
「え、映画なんかでよく森の中で落とし穴掘ってたり、仕掛け網したり、え〜と、地雷なんかも後々問題になってたけど」
凄む小十郎に思わず小さな声になりながらそう告げると、小十郎はしばらく考えてからを手招いた。そして敵が陣を張るであろう場所を指して口を開く。
「敵軍はおそらくあそこに陣を張る。お前だったらどう攻める?」
「え・・・・そ、そんな難しいこと言われても・・・・・・・」
「敵はどう攻めてくると思う?」
「わ、わからないよ・・・・・でも・・・・・・政宗さんたちがいる陣ってあそこだよね?」
「ああ」
「前からなら兵士さんたちがいるけど、後ろの森から突撃したらすぐに政宗さんを襲えると思うんだけど」
「成程な」
「ええと・・・・小十郎さん?」
「何だ?」
「参考に、なるの・・・・・?」
「ああ。今回は伊達の勝ちは見えてる。だがお前の考えはいざというときには使わせてもらう」
「あ、そ、そう・・・・・・」
真面目な回答には思わずそう答えてしまってから小十郎を見上げた。本当にいつも政宗のことしか考えていないとわかる彼の律義さはすごいと尊敬する。逆に適当に答えてしまったことにちょっと後悔した。彼がこんな風に考えてくれるなどと思いもしなかったから。くすぐったくもあり、少し嬉しい気持ちにはふ、と笑みを浮かべる。
「やっと笑ったな」
「え・・・・・・・」
その笑みに小十郎の手がすっとの頬をかすめてどくん、と心臓が跳ね上がる音が響く。そんなつもりはないのはわかっているのに、小十郎がじっと自分を見つめてくる瞳に頬が火照る。政宗とは違って何の意図もなくまっすぐに見つめてくる彼の瞳が時々心臓に痛い。そして頬の傷とその身にまとう威圧感さえなければ整った彼の風貌は時折の心臓を跳ね上がらせる。
「お前は笑っている方がいい」
「こ、じゅうろう、さん・・・・・・?」
「それから少しは前を見ろ。お前が生まれてきた意味は必ずある。ただお前がそれに気づいていないだけだ。何の意味もなく生まれてくる人間なんていねぇ」
「・・・・・・・・・・小十郎さんは、やっぱり凄いね」
ふっと頬に触れただけの指が離れていくのを、『いやだ』と思う気持ちには戸惑ったまま立ち尽くす。政宗を教え導いてきた彼の強さは時々自分の弱さを突きつけられるけれども、その強さに惹かれていっているのも事実だった。だから小十郎といるのは嫌ではない。時々怖くもあるけれど、それも彼が自分を戒める厳しさを人にも求めるからだ。でも彼に惹かれる感情が何であるのか、は戸惑ったまま自分の気持ちに蓋をしたのだった。