結局政宗がとともに城下に行く、という約束を果たしたのはそれから10日後のことだった。綱元はああ言ってくれたが、政宗が自分が連れていくと言っている以上、政宗よりも先に城下に行ってしまった後の仕返しが怖かった。大丈夫ですわ、と喜多や八重は笑い飛ばしていたが、にとっては大切なことでもある。待ちます、と告げた彼女に喜多と八重は含み笑いをして自分を見返した。
「ええと、何か変なこと言いました?」
「いいえ。さまはお優しいですわね」
「えぇ?そんなことは・・・・・だって政宗さんの意地悪が怖いだけで・・・・・・」
ここ数日政宗はずっと部屋にこもって仕事をしており、顔を合わせるのは食事のときだけだ。それでも顔を合わせると、にやりと笑って自分にちょっかいを出してくるのだ。もはやセクハラの域を超えそうなそれにも我慢との根競べの様相を呈してきている。だがそれを告げるに喜多と八重は笑うだけだ。
「さま」
「はい?」
「殿が意地悪をされるのは、片倉さまと成実さま、それにさまのお三人だけなのはご存じですか?」
「え・・・・・・?」
「殿は私達女中にはとても慈悲深く、家臣の皆様にもとても慕われておいでです」
八重がそう告げるのに思わず手を止める。八重の言葉に喜多はやや苦笑気味にと八重を見比べて口を開く。
「まったく殿はいくつになられても子供でいらっしゃるから」
「あの、喜多さん」
「はい?」
「政宗さんは、愛姫にはあんなことしないんですか?」
その問いに、喜多は八重に咎めるような視線を向けて、ふぅ、と小さな溜息をついた。
「殿と愛姫さまはとても睦まじゅうございますから」
「え・・・・・・・・・」
はぐらかされたような答えには押し黙る。それ以上聞いてはいけないような雰囲気にどうしよう、と口をつぐんだ。そしてどうやら政宗のターゲットになっているのはこの城では小十郎と自分、それに大森城にいる成実だけらしい。それがどういう意味を示すのか、何故か深く考えてはいけないような気がした。
そしてその日。政宗は朝から上機嫌だった。昼近くになってと二人きりで馬ではなく徒歩で城下へと下りる。最後まで小十郎が自分を連れていけ、と談判していたが政宗は城主命令で彼を追い返した。大丈夫かな、とが心配になるほどの強い口調で告げた政宗はさっさと外出の用意をさせ、にぎやかな通りへと足を進める。
「で、、欲しいもんはあるか?」
「欲しいものって突然言われても・・・・・・・」
唐突な言葉に首をかしげる。正直ほしいもの、と言われてもピンとこない。買い物、といっても服はネットショッピングのバーゲンを狙ったりアウトレットショップで買うぐらいで、普段それほど贅沢をしないことが身についてしまっているし、本当に必要なものは八重や喜多がそろえてくれている。だから欲しいもの、という抽象的な内容に首をかしげざるを得ないのだ。
「ええと、政宗さんは?何か欲しいものあるんですか?」
「Ah・・・・・そうだな、鉄砲と馬だな」
「・・・・・はい?」
「馬は何頭いてもいい。鉄砲は奥州じゃなかなか手に入らないからな。・・・・・・何だ?」
政宗の答えに思わずぽかんと彼を見つめる。領主としての仕事を押し付けられればあれほど文句をいうのに、結局彼は奥州筆頭で立派な領主なのだ、と思う。目を輝かせて馬と鉄砲の話をする政宗が見せた年齢相応の表情に思わずくす、と笑みが漏れる。
「Ah?」
「ううん。なんでもない。ええと・・・・じゃ、甘いものとか、食べに行きたい」
「Okey。そうだな、後は・・・・・」
「はい?」
じろじろと遠慮なく眺めてくる政宗の瞳がすぅっと細められる。大体この瞳で見つめられるときにはろくな目に合わないことを実感しているにとってははっきり言って怖い。だが逃げ出すこともできずに、わずかに身体を後ろに逃がす。
「まぁいい。Come on」
そんなの様子に気づいたのか気づいていないのか、さっさと歩き出した政宗を追って歩き出す。にぎやかな通りだから人もたくさんいた。いつものような軽装に刀を差し、スタスタと歩いていく姿はとても奥州筆頭には見えないが、その隻眼は見間違えることもないのだろう。道行く人々が政宗だと気づいて声をかけてくるが、政宗はそれにも気軽に答えて通り過ぎる。気さく、というよりも無防備に近いその姿にの方が驚いた。よく時代劇などで見る光景は、えらい人だとわかった途端に土下座をするイメージがあったのだが、ここではまったく違い、普通に何気ない会話をこなして歩く彼が一度を振り返ってある店の前で足を止めた。
「それじゃ、お前の行きたいと言っていた店だ」
「わぁ・・・・・」
店の外まで甘い香りが漂ってくる。明らかに蒸し立てとわかるほかほかした湯気とその香りに誘われる。瞳を輝かせたに政宗も笑みを見せて中へと入っていった。席に着くとすぐに店主とわかる老人が政宗の側に寄ってくるが、政宗は二人分の茶と饅頭と団子を所望しただけで店主を追い返した。
「すっごくいい匂い・・・・・!」
「Ah、ここは喜多のすすめだ。喜多も結構甘いものが好きだからな」
「へぇ。あ、政宗さん、お城の愛姫たちにもお土産買って帰っていい?」
「ああ、いいぜ」
「やった!ありがとう、政宗さん!小十郎さんたちも食べるかな・・・・・」
「綱元はああ見えて甘いモン好きだぜ」
「え・・・・?そうなの?」
「ああ。あいつの袖ン中、いつも甘いもんが入ってるぜ。今度強請ってみろ」
「強請ってって・・・・・・素直にくださいっていえばいいのに」
あきれたように告げたに政宗はくつ、と笑い声を立てただけで、目の前に置かれた茶をすする。はその間に目の前に置かれた饅頭と団子にくぎ付けだ。
「食えよ」
「うん。いただきます!」
花より団子、の様子のに苦笑して勧めるとは待ってました、とばかりに手を伸ばす。まずは饅頭から、と二つに割って口に入れると幸せそうに微笑んだ。
「おいし〜〜〜!!」
「Ah、そりゃ良かった」
「ね、ね、政宗さんも食べて!」
「俺はいい。お前が食え」
「え〜!こんなにおいしいのに!」
「女ってやつは、どうしてこう甘いモンが好きなんだか」
「え・・・・・?」
「いや、何でもねぇ」
そっと自分の皿をの側に寄せながら呟いた政宗が目を細める。のこんな無防備な笑顔を見たのは初めてかもしれない。いつもどこか緊張したような表情を自分に見せるからだ。小十郎にはよく見せる彼女のこんな表情を見るためにわざわざここへ立ち寄ったのだ。そしてそんな表情を見ているのがこんなに嬉しいなどと、そんな自分をどこかおかしいと自分でも思うけれど。
「お団子もおいし〜!幸せ〜!」
「Ah?お前の幸せは随分安上がりだな」
「いいもん。安上がりでも。おいしいものを食べられるのは幸せの証拠だもん」
「餓鬼か」
「・・・・・・・餓鬼でいいもん」
ぱくぱくと止まることなく手を動かすにあきれたように告げて政宗は胸に手を当てた。甘いものが嫌いというわけではないが、どちらかというと酒と辛いつまみの方がいい。それに饅頭と団子に休むことなく口を動かすの食べっぷりにやや胸が焼けるような気がする。だがの言うとおりだ。領民すべてがのように「おいしいものを食べられることが幸せ」と言えるようになるために自分は戦っているのだ。だからこそ、立ち止まることは許されない。
「」
「何?」
「俺が仕事をしてた間、何してた?」
「え・・・・・・?」
八つ当たりなのはわかっているが、政宗がそう聞いた瞬間、の表情から笑みが消えた。恐る恐る見上げてくるが小さく首を振る。
「べ、別に・・・・・・・」
「Ham・・・・・・・・そうか」
それだけを告げて政宗から視線を逸らしたとの距離を詰めて政宗の両手での頬を包み込む。
「え・・・・・」
そしてぐい、と政宗の方に向けられてすぐ近くにある政宗の端正な顔に顔が火照る。だが政宗はそんなの右の頬をすっとなぞると、息を詰めたの胸がゆっくりと上下する。
「そうか。可哀想に綺麗な瞳だが、えぐるしかねぇか」
「───────────っ!?」
小さく告げる政宗の声が耳朶に響き、身体を硬直させたの瞳を逃げ出せないように、とばかりにじっとのぞきこむ。恐怖ににじむ瞳が何とかして逃げ出そうともがくのにくつ、と笑ってみせる。
「仕方ねぇな。そういう約束だろ?」
「ま、政宗・・・・さ・・・・・・」
「Ah?」
「あ・・・・・あの・・・・・や、八重さんに教わって・・・・着付け、習ったの・・・・・」
「一人で着れるようになったのか?」
「じ、時間は、かかるけど・・・・何とか・・・・・・」
「Ham・・・・・・・・」
そしての瞳に涙が浮かんでくるのを指先でぬぐってやる。必死で何かないかと頭を働かせて、やっとのことでそれだけを告げたに、政宗はすっと手を引いた。硬直したままのが大きく深呼吸をするのを感じながら政宗は軽く頷いてみせる。
「Good kitty」
「───────────」
「他は?」
「え・・・・・と・・・・・字を、習ってた・・・・・・」
「Ah?」
「か、楷書なら読めるんだけど・・・・筆って読めないから・・・・・字は、読めるようになりたいし・・・・・・」
ちら、と見上げてくるがもじもじと告げるのに政宗はにやりと笑ってみせる。
「成果は?」
「・・・・・・・・・聞かないでクダサイ」
「Ham・・・・じゃ今度俺が教えてやる」
「え、遠慮シマス・・・・・」
「Ah?」
「だって小十郎さんったらひどいんだもん!見た瞬間に『何だこのミミズののたくったような字は』って!!そんなの政宗さんに見せたら・・・・」
そこまで一気に告げたに政宗はその右腕を取って軽くその手の甲に口づけた。「ひゃぁっ!?」と悲鳴を上げるが恨めし気に見上げてくるのにくつくつと笑う。
「俺に見せたら何だって?」
「ぅ・・・・・・だ、だからダメ」
「明日から俺の部屋で特訓だ。これは決定事項だ。You see?」
「い、嫌なものは嫌!」
「Ha!俺に向かっていい度胸だ。感謝しろよ、この俺が見てやるんだ」
「感謝しませんっ!」
「Ah?」
「凄んでもダメ!どうせ私の書いたものを笑いものにしようって魂胆でしょ」
「That's right」
「政宗さんの意地悪っ!!」
真っ赤になってわめくの表情からは先ほどまでの恐怖はない。どうやら彼女の気が紛れさせることに成功したらしいと政宗は内心で胸をなでおろした。少しずつ何も言わなくてもやることを見つけていく彼女は自分が変わっていっていることに気づいているのだろうか。恐らく戦の前の彼女なら何もせずごろごろと過ごしていたのだろうが、先日来、少しずつの変化を知っているのはまだ自分と小十郎だけだ。
「、そろそろ次に行くぜ」
「あ、うん。ちょっと待って。お土産買わなきゃ。すみませーんっ!!」
腕を持ったまま立ち上がる政宗を制して、はたっぷりの土産を買いこんで嬉しそうにそれを手に下げる。そのまま政宗に手を引かれて去っていったに、甘味やの主人がぽかんと見送った。喜多がひいきにしているだけあって、政宗がお忍びでやってきたことは何度かある。だがあんな嬉しそうな彼を見たのは初めてで。連れの女性も見たことのない人間だった。新しい側室でも迎えたのかとは思ったが、それを口にしてはどんなお咎めがあるかわからない。だから使用済の食器を片づけながら主人は今度喜多が来たらこっそりと耳に入れておこうと決めて、何も言わずに営業を再開した。